第22話 サディストの異名
文字数 3,207文字
ネレイドが苛立ちのまま包丁を振るだけで、燃え盛る炎は消えてなくなった。
その事実に、口元が吊り上がる。
言いようのない高揚感が込み上げてきて、男の背中が見えた時、つい笑ってしまったのだ。
「――止まれぇっ!」
炎を周辺にまき散らしながら逃げる男に向かって、命令。衝動的に出た、意味のない言葉だったが男は従った。
否、従わざるを得なかった。
何故なら、適当に振るっただけのレヴァ・ワンによって、両足を喰われてしまっていたから。
それでネレイドは思い出す。
この剣は知能が足りない、と初代が言っていたことを。止まれと吐き捨てただけで両足を奪うなんて、さすがに馬鹿すぎる。
いや、それとも今は初代が気を利かせた?
『違う。オレはそこまで馬鹿でもお人よしでもない』
思った瞬間、否定の声。
「じゃぁ、レヴァ・ワンが私の命令に……?」
『あぁ、そうだ。餌を食べさせてくれたから、飼い主として認めたってことだ』
餌、という響きでネレイドが両足を失った男に目を向けた。醜くも、両手で這って逃げようとしている。
ただ不思議なことに、血は一切見当たらなかった。
「そうか。食べたんだ、このコが」
地面に散った血痕まで。となると、男の止血をしたのもこのレヴァ・ワン。
一滴に至るまで、それは自分のモノと言うわけか。
「ほんと、食い意地が張っている」
急ぐことなく、ネレイドは歩いていた。
男を嘲笑うように歩いて、追い越して、しゃがんで待つ。
男はもう前すら見ていなかったのか――
それとも、炎から身を守る為に髪から顔に至るまで闇で覆っていたから気づかなかったのか、ネレイドにぶつかった。
逃げる為に出した腕が少女の靴に触れ、断末魔のように息を吸い込んだ。
大きく、一瞬だけ――
「ねぇ、なんであんな真似ができるの?」
両手で這う男は虫みたいだったので、ネレイドに憐みが生まれた。いつでも殺せるという余裕から、どうでもいい質問をする。
「ねぇ、聞いてる?」
どうせ殺すというのに、少女は答えを待つ。レヴァ・ワンの切っ先で男の額を軽くつつきながら。
「ねぇってば?」
まるで動物に餌を与えているよう。男の額から流れる血は黒い刃に無尽蔵に染み込んでいき、面白くもないのにネレイドはその光景を眺めていた。
それが男の恐怖を煽る。
目の前にいるのは悪魔に違いないのに、顔は少女そのもの。仕草もそうだ。このような状況でもスカートの裾をきちんと挟んでおり、顔にかかった髪を慣れた手つきで流している。
「ねぇ、答えてよ」
徐々に切先が身体を侵していき、男は恐慌状態に陥る。もう、死んでおかしいくらいに刃は刺さっている。
なのに、痛いだけで生きている。
錯覚ではない。
少女は退屈そうに、額に刺した剣をゆっくりと下に下ろした。
あり得ないことに、刃が頭から股間まで通り過ぎる。
今まで体験したこともない苦痛と吐き気と恐怖に襲われ、
「おれ……」
男は口を開いた。
少女がもう一回、と言わんばかりにまた額に黒い刃を突き立てたからだ。
「おれ……たちは……魔族だ。人間じゃない」
もっとも、ネレイドにそんな意図はなかった。再度、切先を額に持っていったのはレヴァ・ワンがそう望んだからに他ならない。
事実、この剣は喜んでいる。
他の部位から流れる血と何が違うのかはわからないが、どうやら男の額がお気に入りの様子。
「魔族の血が流れて、いる。現に、その所為か今まで、まともに生きていけなかった。頑張っても、努力しても認められず、何も得られず……」
「……それが、理由になると思ってるの?」
「あぁ! 俺は魔族だ。だから、人間をもてあそんで当然なんだ!」
「じゃぁ、私はどうなるの? 私にはレイピストの血が流れているんだけど? ここであなたを犯して、痛めつけて殺すのが当然だって言うの?」
ここで男は笑った。
恐怖で顔を引きつらせながらも、腹の底から笑い声をあげた。
「既にそうしているじゃないかレイピスト! この鬼畜の末裔が!」
自覚のなかったネレイドはその指摘でキレた。
男を黙らせようと刃を振り上げ、
「――そこまで、にしておきましょうか」
サディールに止められる。
「無抵抗の相手を殺すのは、お嬢さんにはまだ早い」
「……」
感情的になっていながらも、ネレイドが止まったのはサディールが人間の形態を取っていたからだった。
服装こそ全身を覆う黒いローブであるが、手足も身体も成人した男性そのもの。それでいて、白い肌とピンクに近い赤色の瞳は羽虫形態の時と同じ。
「……サディール様?」
「えぇ、そうです。お嬢さんのおかげで、人型を象れるようになりました」
優雅に頭を下げ、白と黒が絶妙に混ざった髪が流れる。
その姿を見て、ネレイドは二代目が語っていた戯言が本気だったと悟る。この容姿と立ち振る舞いであれば、若い女たちが望んで抱かれにいったのも理解できなくはない。
「お嬢さん、あなたは助けに来たんですよね? だったら、こんな男に構っている暇はないはずです」
そう言って、サディールは指さす。
自分たちが辿った道、炎に包まれた森を。
「――お母さんっ!」
そんな大事なことを忘れるなんて、本当どうかしていた。
どうしてどうして――鬼畜の末裔が! 男の声が脳内で響く。
「違う違うっ! 私は……っ!」
がむしゃらに走るネレイドの背中を見送って、サディールは可哀そうな男に目をやる。
「あなたには、色々と訊きたいことがあるんですよ」
穏やかに助けた事情を説明するなり、サディールは男の右目に指を突っ込んだ。
脅し文句もなく、ごく自然に。
「――あぁぁぁぁぁっ!」
慣れた手つきで眼球をえぐりだし、これ見よがしに地面へと落とす。
そして――
「……っ! や、やめっおね――がっ!」
繋がっていないのに、眼球を踏みつぶすと男は悲鳴を上げた。
「申し訳ございませんが、あまり時間がありませんので手早く進めさせていただきますね」
男の両手が地面に縫い付けられる。
サディールの掌から出現した二本の黒い杭によって。
「さて、では話してください」
「なっ……何をっ?」
当然の疑問だろうに、サディールは男の顎を持ち上げた。
「何をって、随分と理解が遅いんですね。魔力だけでなく、知能まで劣化しているんですか?」
言いながら、空いた手で男の右耳を掴む。
――と、男の耳が千切れた。
まるで肉食獣の牙。
サディールの手は掴んだだけで、容易く男の身体を食らう。
「早く話さないと、二つあるものがみんな一つになってしまいますよ? もっとも、何故かあなたには
目が三つ
あるようですが――」そう言って、サディールは
男の額に指を突っ込み
、禍々しい眼球
をえぐり出した。そして、男の眼前に突きつけるように差し出す。
「これは魔術ではなく、明らかに
魔物の特性
ですね。額に埋め込むことで上手く隠していたようですが、レヴァ・ワンの前では児戯に等しい」現に、この目は既に死に体だった。おそらく、自分が来る前にレヴァ・ワンが気づき――魔力を食らっていたのだろう。
「――嘘だっ! 知らない! 俺はそんなの知らないっ!」
本当にそうなのか、男は自分の額に埋まっていた眼球に嫌悪感を抱きながら首を振った。
「そうですか。では、そのことも含めて話してください」
「だからぁっ! 何をっ!?」
繰り返される疑問に対して、サディールは酷薄の笑みを浮かべる。
やれやれと肩を竦めながら、
「
全部
、ですよ。いちいち質問するのが面倒なので、全部話してください。何を話したら駄目かは、ご自分がよくわかっているはずでしょう? それを私は知りたいんです」わかりやすく教えてあげた。
「この眼球にだって、心当たりくらいあるのでは?」
「ぁっ……」
ここにきて、男は理解する。
サディストの異名を。
そして、先ほどの少女を鬼畜と詰ったことが間違いであったことを――