第33話 覆る前提
文字数 2,850文字
サディールの意見である。
またしても例の男を逃がし、踊らせた結果、そこが決戦の場になるとのこと。
「……だいぶ、ありますね」
地図を見て、ネレイドがぼやく。そこに辿りつくまでに街が三つもあり、村に至っては八個も点在していた。
「地図を見る限り、城塞都市に関しては私たちが知っているだけですね。先代、私、ペドフィ君。それぞれが生きていた時代の最前線。本当に平和な時代が続いていたようです」
つまり、この辺りは先祖たちにとっては魔境と呼ばれていた区域。
だからこそ、森や山が多く、整備された街道以外は獣道のまま。
「さて、どの道を行きましょうか」
地図とにらめっこするサディールは人型になっていた。
もっとも、身体は脚まで黒衣で覆われているので、その中がどうなっているのかまではわからない。
初代は羽虫型で地図が見える位置に漂い、三代目は相変わらず精神体でネレイドの中に引きこもっている。
そして、その少女は街道に備え付けられている休憩所で涼んでいた。
無理やり詰め込んで百人が限界の小屋。本来は水瓶もあるのだが、魔族たちの所為か汚物が浮かんでいて使える状態ではなかった。
「使えなくなったら自分たちも困るって、わかんねぇのかな」
「たぶん、先のことなんて考えてなかったのでしょう。単に、閉塞感と反抗心から既存の秩序を壊したかった」
初代と二代目の話に耳を傾けながらも、ネレイドは会話に加わることはしなかった。
「いつの時代にもその手の輩はいるが……ちと、多すぎじゃねぇか? それが平和な時代の代償だとしたら、いつかは魔族じゃなくて人の手で壊れる時が来るぞ」
「そうですねぇ。為政者がどれほど苦労しているかも知らずに、成り代われるつもりでいたとしたら。きっとロクでもない、世界になるでしょう」
「下手をしたら、オレの時代まで退化ってか。けど、あの教帝を見た限りじゃ、そう思われても仕方ねぇな」
腹立たしいことではあるが、サディールが言っていた通り、先祖たちのおかげで少女の知能は上がっていた。正確には視野が広くなり、様々な考え方ができるようになった。
「あの、教帝って?」
知らない呼称がでてきたので、ネレイドは疑問を挟む。
「教会のお偉いさん。その様子じゃ、今だと呼び方が違うみたいだな」
「はい。その方は教皇様と呼ばれていました。あの、もしかして、私の身体で会っていたりします……?」
少女は嫌な予感がして、恐る恐る尋ねる。
「あぁ、聖都カギで会った。で、レヴァ・ワンが喰った」
「なっ! ななな、なんて罰当たりなことをっ!」
とんでもない答えに血の気が引いていく。
「落ちつけ。別に殺したわけじゃない。いわゆる、ケジメって奴をつけただけだ」
「彼は教会の代表として、贖いに来たのです。自らの死をもって、私たちに対して行った罪の数々を――」
なんの打ち合わせもなく、初代と二代目は息の揃った嘘を吐く。
「教会が私たちにしでかしたことを考慮しますと、とてもじゃありませんが協力なんてできませんからね」
「そのことを、教会の連中もわかっていた。だから、気に病むことはない」
実態はどうであれ、ネレイドにとって教皇は敬うべき存在である。
そのような人物を彼女の身体で殺したなんて話、色々と面倒くさい展開になるのは目に見えている。
なので、誤魔化せるならそれに越したことはなかった。
「じゃぁ、教会の人たちと一緒に戦うんですか?」
当然の質問に、
「あー、そういえばそうでしたね」
サディールは何か腑に落ちたようだ。
「なら、こことここは任せちゃって……」
地図の村々に印を付け、自分たちのルートを記していく。
「村は全無視で行くのか?」
「えぇ、この規模でしたら教会の人間で解放できるはずです」
「それをどう伝える?」
「伝えずとも、理解してくれるかと。今、教会の拠点となっているのは、間違いなく旧聖都カギです」
「あー、水鏡か。土地の魔力を観測できる者がいたら、こっちの意図は伝わるな」
「きっといますよ。だって私でしたら、ここを神帝懲罰機関の育成所に選ぶ」
黙ってはいるものの、ペドフィの怒りをネレイドは感じ取った。
これまでは不機嫌程度だったのに、神帝懲罰機関の名前が出た途端、感情の波が一気に振り切れた。
「それに私たちが城塞都市アレサを目指しているとわかれば、絶対に文句を言いにくる。それよりも先に、聖都カギを中心とした五芒星の街を解放しろとね」
アルベの街を含めた五つの街。
城塞都市アレサは、そこから思いっきり外れた西側に位置していた。
「あの、話を聞いていて思ったんですけど、アルベの街がまた奪われる可能性もあるんですか?」
真面目な話の最中だったので、ネレイドは丁寧な言葉で窺う。
「ないとは言い切れないが、可能性としては低いな。これまでの状況から察するに、魔族の主戦力は聖都カギで死んでいる」
「先代の意見に賛成です。聖都カギに攻め入り、レヴァ・ワンに手をつけるのは容易ではなかったはず。仮にも、それを成し遂げたにしてはこれまで会った魔族たちは酷い」
つまり、魔族たちの中枢は聖都カギで既に滅ぼされていた。ほかならぬ、レヴァ・ワンに喰われて。
その結果、役立たずのみが残り、街は長期的な支配ではなく、ただ略奪されるだけだった。
そして、多くの魔族は目の前の略奪で満足している。そこで割を食っている者たちがいたとしても、烏合の衆では外壁と門を有した街を落とすことはできやしない 。
「それに可愛そうなあの男は五芒星の街ではなく、わざわざ城塞都市アレサに向かっている」
「そっちのほうが頼りになるってか? まっ、戦力に余裕があって、聖都カギを落とせる気でいたんなら、旧聖都を狙うのは当然だな」
「事実、五芒星の街に魔族の統率者はいませんでした。いたのは徒党を組んだならず者だけ。なので、暴動を起こすタイミングを指示した何者かは聖都カギで死んだか、旧聖都カギに向かっているかのどちらかです」
「前者であって欲しいもんだ。力ならともかく、レヴァ・ワンの頭はからっきしだからな」
「もし後者だとすればかなり厄介な相手ですよ。場合によっては、聖都カギと五芒星の街が壮大な囮という可能性もあるわけですし」
そこで、淀みなく会話をしていた二人の空気が変わる。
「だとしたら、前提が覆るな」
珍しく、初代が重苦しい口調でいった。
「えぇ。魔族の主戦力は健在で、旧聖都こそが真の目的」
続く二代目の返答も緊迫していたので、
「なるほどです」
ネレイドはわかったふりをして、
『……絶対にわかってないだろ』
頭の中で、これまで静観していたペドフィにツッコまれてしまった。