第23話 自分の為の選択

文字数 3,016文字

 ただ、男の背中を追いかけた。
 それしか、考えていなかった。
 
 だから、ネレイドは道に迷っていた。
 
 炎に焼かれて、森は形を変えてしまった。
 今まであった道がなくなり、なかった道が開けている。

「お母さん! おばさん! ……誰かっ! 誰か返事してよっ! ねぇ、お願いだから……」
 
 ネレイドは叫ぶも、炎が爆ぜる音しか聞こえてこなかった。

「なんでっ! なんで誰も答えてくれないの」

『既に喉が潰れるほど叫んでいたからだろ。それで、叫ぶことに意味がないと思い知らされていた』

 頭に響く冷静な声。
 初代は淡々と、事実だけを伝えてくる。

『そんな彼女たちにとって、死は救いなのかもしれん。このまま、死なせてやったらどうだ? この火勢なら、幸いにも死体は残らんだろうし』
「ふざけないでっ!」
 
 怒りに任せて、ネレイドは手にしていた包丁を地面に叩きつける。黒い刃は軽く跳ね、羽虫型の初代レイピストへと転ずる。

「別にふざけてなんていないさ」
「じゃぁ、死体が残らないことのどこが幸いなのよっ!」
「男に弄ばれたことを知られずに済む」
 
 あの惨状を思い出しただけで、ネレイドの頭に血が上っていく。

「おまえは知らないだろうが、死体ですら弄ぶ男はいるぞ。言うまでもなく、人間にな」
「そんなっ!」
「少なくとも、見て触ってへらへらと笑える奴はいる」
「……レイピスト様たちが、そうなの?」

 もしそうだとしたら、殺すつもりでネレイドは訊いた。

「さすがのオレもそんな趣味はない。ペドフィは勿論のこと、サディールにもな」

 幸いにも、初代は否定してくれた。

「オレたちの中に死者を弄ぶモノがいるとしたら、レヴァ・ワンくらいさ」

 ネレイドは強く、黒衣の胸元を掴む。
 相変わらず生温かくて、気持ちの悪い感触。
 だけど、これがなければ自分も男たちの玩具にされていたかもしれないと思うと、手放す気にはなれなかった。

「だから、おまえが本気で望めば死者を生き返らせることはできる」
「……本当に?」

 素直に喜べなかったのは、この剣の馬鹿さ加減を知っていたからだろう。

「あぁ。もっとも、今のオレたちを生きていると言えるのならな」

 少女は小さく首を振る。
 色々と超越した初代と二代目は楽しそうではあるものの、ペドフィは違った。声しか知らないけども、いつも辛そうでなんともいえない寂寥感を漂わせている。

「この馬鹿剣には、生きているって意味が理解できない。自我さえあればいいと思っているのか、ご覧の有り様だ」

 元は精神だけの状態。
 剣に封じられ、動かす身体すらなかった。

「もっとも、身体はこっちでこしらえることができる。生きている身体、それもオレの血を引いた者がいれば完璧にな」

 それは相手の自我を殺し、肉体を奪うということ。

「おそらくだが、魔族側にはオレの血を引く者がいる。そいつを生け捕りにすることができれば――」

「――いい」
 ネレイドは話を打ち切った。
「もう、いい。もう……」
 
 すべてが少女の理解の範疇を超えていた。
 何をもって生きていると言えるのかなんて、今まで考えたこともない。
 それでも、初代が提示した選択肢は違うと思った。

「……私には、自分の為だけに生きることなんてできないもん」

 他人を殺して、その身体を母親に与えるなんて無理だ。私の知っているお母さんなら、そんなこと絶対に喜ばない。

「私はこれまで……色々と、我慢して生きてきた。でも、それが間違いだったなんて思っていない」

 今まで欲しかったモノ、やりたかったことを頭の中で並べてみる。
 そのすべてを手に入れていたとして、今の自分があるかどうかを考えてみる。

「……わかんないや。でも、悪くない。私、今の自分が嫌いじゃないもん。もっと素敵な人になりたいとは思うけど、自分じゃなくなるのは……ちょっと嫌かな」

 ネレイドはその場に座り込む。膝に顔を埋めて、涙を流す。
 自分の為に魔族を殺したことは後悔していない。
 その行為に、楽しさを感じたことも否定しない。
 
 だけど、そのことを誰かに話すことはないだろう。
 自分の為だけに生きたとして、必ずしも幸せになるとは限らないのだ。

 事実、初代も言っていた。
 人生をやり直したとして、一人じゃロクなことをしないだろうと。
 
 あの時、自分の為に殺すと決めたから逃げる男を追いかけた。
 もしそうでなかったら、違う道もあったのかもしれない。
 だけど、あんな目に遭った人たちにどう接していいのか、考えてもわからなかった。

「ははっ……私の為には、これで良かったのかな?」

 そんな風に思うなんて、私はやっぱり鬼畜の末裔なのかもしれない。
 だけど、決して英雄にはなれないと思う。

「だってもう、普通の生活には戻れないんだもんね。お母さんが生きていたとして、私のしたことを喜んでくれるとは思えないし……。でも、私はこれからも魔族を殺さなきゃいけない」

 誰かの為じゃなくて、自分の為に。
 自分だけがのうのうと安全に生きていくなんて、私には無理だ。
 それに、彼らがしたことを許せそうにもない。

「あのね、レイピスト様。私、強くなるよ。自分の為に。自分が楽しめる世界にする為に」

 そこまで言って、ネレイドは眠りに落ちた。

「この状況で眠れるなんて、よほどの馬鹿か大物だな」

 立ち上がったネレイド――ペドフィが操縦していると判断して、レイピストは投げかけた。

「それとも、現実逃避か? 目が覚めたら、悪い夢は終わっているって」

「――違う」
 少女の気持ちに触れていたペドフィは、責めるように否定した。
「彼女は確かに選んだ。ただ、実行する力まではなかった」

 母親たちを見捨てることを。

「頭の中で選ぶだけなら、誰にでもできると思うけどな」
「あんたが生きていた時代とは違う。この年の少女が、母親を見捨てる覚悟を決めるのはそんな簡単なことじゃない」

 しかも、選択を誤っただけで救う力はあったのだ。

「だったら、言ってやるべきじゃなかったのか? オレみたいにさ」

 抽象的であったが、初代は訊いていた。
 
 ――そっちでいいのか? と。
 
 その意味を理解しながらも、ペドフィは何も言えなかった。サディールとの会話の所為で、どっちがネレイドの為になるか判断できなかったからだ。
 結果、黙秘を選んだ。
 ていよく、逃げてしまった。

「まっ、自分の人生すら決められなかったおまえには荷が重いか」
「……あぁ。だから、おれには言い返す資格はない」

 初代を否定することはできても、代案を出すことはできやしない。
 所詮は罪悪感から逃げる為だけに、教会の意向に従った傀儡。彼らの定めた規律に沿って生きてきたくせして、裏切られた愚か者。
 そして、今となってはただの木偶だ。
 思いつく考えは教会色が強く、それが嫌で別の答えを探すも……見つからない。

「それでも、今嬢ちゃんの身体を使っているのはおまえだけだからな。おまえに決めて貰わないとならない」

 何を? 
 と問う前に、初代はすっかり忘れていた人物の名をあげた。

「ピエールは生きていると思うけど、どうする?」
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登場人物紹介

 4代目レイピスト、ネレイド。

 長い赤髪に緑の瞳を持つ少女。田舎育ちの14歳だけあって世間には疎い。反面、嫌なことや納得のいかないことでも迎合できてしまう。よく言えば素直で聞き分けがよく、悪く言えば自分で物事を考えようとしない性格。

 もっとも、先祖たちの所為で色々と歪みつつある。

 それがレイピストの血によるモノなのかどうかは不明。

 初代レイピスト、享年38歳。

 褐色の肌に背中まである銀髪。また、額から両頬にかけて幾何学的な刺青が入っている。

 蛮族でありながらも英雄とされ、王家に迎えられる。

 しかしその後、神を殺して魔物を犯し――最後には鬼畜として処刑された忙しないお人。

 現代を生きる者にとってあらゆる意味で非常識な存在。

 唯一、レヴァ・ワンを正しく剣として扱える。

 2代目レイピスト、サディール。享年32歳。

 他者をいたぶることに快感を覚える特殊性癖から、サディストの名で恐れられた男。白と黒が絶妙に混ざった長髪にピンクに近い赤い瞳を有している。

 教会育ちの為、信心深く常識や優しさを持っているにもかかわらず鬼畜の振る舞いをする傍迷惑な存在。

 誰よりも神聖な場所や人がかかげる信仰には敬意を払う。故にそれらを踏みにじる存在には憤り、相応の報いを与える。

 レヴァ・ワンを剣ではなく、魔術を行使する杖として扱う。

 3代目レイピスト、ペドフィ。享年25歳。

 教会に裏切られ、手負いを理由に女子修道院を襲ったことからペドフィストの烙印を押された男。

 黒い瞳に赤い染みが特徴的。

 真面目さゆえに色々と踏み外し、今もなお堕ち続けている。

 レヴァ・ワンを闇として纏い、変幻自在の武具として戦う。


 エリス。銀色の髪に淡い紫の瞳を持つ16歳の少女。

 教会の暗部執行部隊で、神の剣を自称する『神帝懲罰機関』の人間。

 とある事情からレイピスト一行に同行する。

 アイズ・ラズペクト。

 竜殺しの結界により、幾星霜の時を湖に鎖された魔竜。

 ゆえに聖と魔、天使と悪魔、神剣レヴァ・ワンと魔剣レヴァ・ワンの争いにも参加している。

 現在はペドフィが存命中に交わした『レイピスト』との約束を信じ、鎖された湖で待ちわびている。

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