第104話 決着、王都ヴァンマリス
文字数 6,039文字
初代が羽虫のように飛びまわり、他の面々は揃って胸を撫でおろす。
人馬が転倒したあとは総攻撃。
ニケが先に合流できたおかげで、簡単だった。
壁を打ち壊した鈍器の一撃で頭を潰す。
それを見て、教会育ちのサディールとユノは初めて筋力の偉大さを思い知った。
「しかし、面白い仕掛けだったな」
鉄色の人馬は飛沫となって弾け飛ぶなり、あちこちに流動して、壊れた壁や床を修復し始めた。
誰もが、その光景に目を奪われている最中での初代の発言。
緊張の緩和から、全員が笑顔を浮かべる。
そして、何名かは痛みを思い出す。
「おや、勿体ない」
ユノが縛っていた紐を断ち切り、サディールが嘆く。
「せっかく、芸術的な肉感でしたのに」
「重心の偏りがない見事な縛り方ではありましたけど、その発言を聞いて感謝する気が失せました」
とはいえ、亀の甲羅を模したあの縛り方でなければ、こうして軽口を叩く余裕もなかったはず。全身が痛いだけで済んだのも、サディールのおかげだとユノは理解していた。
「大丈夫か?」
天井の装飾にしがみついていたエリスが軽やかに着地するなり、ペドフィは投げかけた。
「えぇ、一応は。慣れない動きが多かったぶん、身体は色々と大変みたいですけど」
自分のことなのに、エリスは他人事のように漏らす。
「同感だ。この手の痛みは、実に懐かしい」
ペドフィは村での暮らしを思い出して、苦笑する。
「おまえらはここで、少し休んでいろ」
初代が人型になり、言い放つ。
「嬢ちゃんは付き合え。それとニケ――案内を頼む」
その人選から、誰もが察する。
「承知いたしました」
疲労を滲ませた顔でありながらも、ニケは恭しく返事をした。
「疲れているとこ悪いな。けど、王を迎えに行くのに王国騎士団がいないわけにもいくまい」
「えぇ、仰る通りです」
動きっぱなしだったので、体力の消耗も激しかったはず。現に逆立てた金髪は汗でしおれ、くたびれた雰囲気に一役かっていた。
それでも、ニケは規則正しい歩みで先導する。
正直、ネレイドには理解の苦しむことだった。
でも、口を挟もうとも思わない。
何故か働いている父親の姿を思い出してしまい、今は話しかけてはいけない時なのだと、自分に言いきかせる。
「段差が激しいので、お気を付けを」
「あっ!」
ネレイドは小さく声をあげる。
注意を受けたのは、一度上ってみたいと思っていた螺旋階段。
「どうかされましたか?」
「いいえ。なんでもありません」
聖都カギでは壊れていて叶わなかったけど、まさか王都で叶うなんて――少女はくすぐったい気持ちで、一段一段を踏み進めていく。
「王妃様たちも上っていたんですか?」
「いえ、この階段を使われていたのは王と王子のみです。もちろん、掃除婦などは除きますが」
二人しか並べそうにない、狭い階段。
それが見上げると、果てしない天空へと続いている気がして、言いようのない畏怖を覚えると同時に好奇心が刺激された。
いったい何が待っているのか、青い光が見える。
「この上には、真の玉座があると言われていました」
「ニケさんも行ったことがないんですか?」
「えぇ。ただ、重大な危機が起こった時、王はここにいるはずだと教えを受けております」
「レイピスト様は?」
ネレイドは振り返って、すぐ後ろを歩く初代に尋ねる。
「そりゃ、あるさ。けど、こんな光はなかった」
「青い光」
ネレイドは戦装束の青い装飾に手を当てる。
「聖なる、神様の光」
「今となっては、失われた王家の光さ」
悲しそうに初代は漏らした。
そうして三人は黙々と上り、広い空間に出る。
といっても、いわゆる宿屋の一室程度で――そこは玉座と呼ぶには狭すぎた。
だが、それを補うように青い光で満たされている。
空よりも薄く、水よりも濃い青の輝き。
けど、瞬く間に消えてしまう。
初代が部屋に踏み入れるなり、ガラスが砕け散るような荘厳な音……
「……どうやら、間に合ったようだな」
そして、しわがれた老人の声。
光と共に、幻想的な空気も一掃されていた。
今となってはかび臭い、小さな部屋でしかない。家財と呼べそうな物はおろか、椅子や机もない空き室。
その中心には男が一人座り込み、後ろには若い少年が控えていた。
「――王、でございますか?」
信じられないと言わんばかりに、ニケが問いかける。
「あぁ、そうだ。お主は?」
「ご無礼をお許しください。私は王国騎士団のニケ・アマノサグメ。レヴァ・ワン――初代レイピスト様と四代目ネレイド様を、ご案内する役目を仰せつかった者であります」
「……そうか。ご苦労だった」
くたびれた声だった。
威厳も何も感じられない。
ただただ、死を待つ哀れな響き。
「あんたが今の王か?」
ニケが下がって、初代が近づく。
「あぁ、そうである。レイピストよ……これが貴方を追いやった、王家の成れの果ての姿でございます」
床に座り込んでいるからか、哀れな物乞いのようだった。
後ろに立っている少年――王子の祖父と言われても信じられるほど、老いて見える。
「無様だな。貴様の妻は――いや、娘たちですらもっと毅然としていたぞ?」
「……そうで、ございますか」
話にならないと察してか、
「何があった?」
初代は王子に問いかけた。
「何があって、ここまで腑抜けとなった?」
王子の青い瞳には涙が溜まっていた。
それでも流すまいとしてか、頭を激しく振る。
「魂を消耗されたからです」
そうしてから、王子は静かに語り出した。
「魔力が血に宿るように、聖力は魂に宿ります。それゆえに魔剣レヴァ・ワンは血肉を食らい、神剣レヴァ・ワンは精魂を食らう。そして、ここにありましたのはその神剣レヴァ・ワンの模造品でした」
王は剣の持ち手を握っていた。
しかし、刀身はおろか鍔すらない。
「神の残した剣があったのは知っていたが、まさか神剣レヴァ・ワンの偽物だったとはな」
誰に聞いた? と初代は詰問する。
「わたしは父から。父は水鏡の観測者から、聞かされたと言っておりました」
「他には? 何を持ちかけられて、こんなとち狂った真似をした?」
王子の年齢はネレイドと同じくらいであろう。少女は妙な親近感を覚えるも、心の中で声援を送ることしかできなかった。
「……何も。父はただ、一方的に言い渡されただけです。旧聖都カギ、そして王都を鎖すと。ですから、父は民たちを逃がしました。そして、この城を守る為に先祖が遺した結界を発動させ……」
「つまり、王家の管轄はこの城だけか。しかも、おまえはただの予備か」
「……はい。もし父が死に絶えたあとは、わたしが引き継ぐつもりでした」
それで、あの第一声だったのだろう。
「そうなるとこの城は、外の魔獣やら悪魔から身を守る為に作られたわけか」
サディールの推測通り。残された聖なる力の持ち主たちは、人々を纏める中心ではなかったようだ。
許されたのはこの城のみ。
それも周囲を強力な魔に囲まれた中での住処。
レヴァ・ワンが去った後の立場が窺い知れる。
「で、王子よ。おまえに覚悟はあるか?」
「……父の後を継ぐ覚悟でしたら」
「――違う」
初代は戦いに赴かんとする顔で問う。
「民たちに真実を語る覚悟はあるか?」
「それは……」
目に見えて王子は迷っていた。
一方、ネレイドには意味がわからない。
「そうすれば当然、教会とは敵対することになる。たとえ神帝懲罰機関に限定したとしても、人間同士の争いは避けられないだろう」
察してか、初代が噛み砕いてくれた。
「それが嫌だというなら、ちょうどこの腑抜けが使える」
「……まさか?」
王子の顔が絶望に染まる。
「この王を民たちに晒せばいい。そうすれば、皆納得してくれる。そして、おまえがこの腑抜けを裁けば――完璧だ」
とんでもない提案だった。
命を削って民を助けた王に罪のすべてを擦り付け、その命を持って贖うなど。
「王が狂って古の魔術を使った。口で言っただけなら誰も信じないだろうが、この姿を見せてやれば納得する者もでてくるはずだ」
ニケの反応からしても、今の王の姿が皆の知っている王と一致しないのは明らか。
「ですが、それでは旧聖都カギは? あちらの説明が付かないのでは?」
「そっちは神帝懲罰機関がなんとかするだろう。それに王都ほど面倒じゃない。向こうの住民は全滅しているからな」
「そんなふざけたことが……っ!」
「自分の住処を奪われた人間にとっちゃ、他所のことなんざ他人事なんだよ。大事なのは、何故自分たちが追い出されないといけなかったのか。どうして、自分たちの街が壊れているのか。誰が賠償してくれるのか」
その説明だ、と初代は言い切った。
「それにあっちは、目に見えない神を信じている連中だ。受難や試練、裁きの一言で事足りる」
正確には、奇麗事で押し通せる強かさを持っている。
だからどれだけ責められ、何を言われようとも揺らぐことはないだろう。
「ちなみに、おまえが真実を語ろうが語るまいが、教会への不信感は増すに決まっている。それにより、いざこざが増えるのも間違いない」
そこで問題なのが王家の立ち位置。
「教会を弾圧するのか、庇うのか。それとも、我関せずとかわすのか。その選択次第じゃ、間違いなく王家は終わるぜ」
これまで平和な時代だっただけあって、王子にはなんの考えもないようだった。
青い瞳がすがるように注がれるも、ネレイドにはどうすることもできない。
「言っておくが、こいつはまだ十四の小娘だ。それも田舎育ちの世間知らず。それでも、ここまでやって来た。
王子の視線に気づいてか、脈絡もなく初代が紹介した。
「仮にも、おまえは王家に生まれた男だろう?」
「わたしは……」
「それとも、逃げて母や妹たちに押し付けるのか?」
「それ、は……」
「情けねぇ奴だな、嬢ちゃんもなんか言ってやれよ」
「えぇっ!」
いきなり振られ、ネレイドは本当に嫌そうな声をあげた。
「私が? この王子様に?」
「色々あんだろ? 甘えるなとか、私よりマシだとか」
「それはそうですけど」
そこは同意だったので、肯定する。
「……後で怒られたりしません?」
振り返ると、ニケは耳を塞いでくれた。
真面目な中年にそのような茶目っ気を出されると、言わないわけにもいかない。
「私は鬼畜の末裔だから、殺して殺して殺して殺して――たぶん、誰も助けてくれないと思う」
あっけらかんとネレイドは言い、
「でも、あなたは王子様だから。とにかく、格好つけたらいんじゃない? 死ぬ気で恰好付けて、皆が憧れるような王様になったら、女のコはたぶん味方してくれると思うよ」
満面の笑みで締めくくった。
「……恰好つける?」
おそらく、覚悟していたのとは別方向の言葉だったのだろう。
王子はちょっと抜けた顔で、どこにでもいる少年みたいに眉をひそめた。
「そう。こっちじゃ知らないけど、
そして、ネレイドもどこにでもいる少女のように喋っていた。
「あとは、誰かに頼ればいいと思うよ。私に三人のご先祖様がいたように、あなたにも沢山の味方がいるんでしょう?」
「……あぁ」
「それに……素敵なお母さんだったよ。だから、きっと大丈夫だよ」
これ以上、言うことはないとネレイドは口を噤む。
「……やはり、あなたさまこそが……真に王家の血を引く者……でしたか」
沈黙を埋めるように、座り込んでいた王が泣き出した。みっともない台詞を口にして、涙を流す。
目に見えて王子が傷ついた顔を浮かべ、
「――違います」
少女は強い口調で否定した。
相手が死を前にした哀れな大人と知りながらも、その発言を受け入れることはできなかった。
「その道を継ぐ者は私ではありません」
自分が偽物だと知りながらも、王家としての矜持を口にした王妃を知っていたから――
「王子よ、悪いが前言を撤回させて貰う」
初代は殊勝な態度で謝りながら、
「この腑抜けは今ここで死ぬべきだ」
非情な提案をした。
「王子の許しさえ貰えれば、こちらで処分させていただくが?」
「……いいえ。それには及びません」
王子もまた、芝居がかった仕草でその申し出を断った。
「――ニケ・アマノサグメよ」
厳粛な呼び声に、
「――はっ!」
ニケが応答する。
「――剣を」
その一言で理解したのだろう。
ニケの顔が哀しみに塗り潰された。
けど、ただ悲しいだけじゃなかった。少なくとも、ぼろぼろと泣いている王とは微塵も一致しない表情。
「――父上」
騎士から預かった剣を抜いて、王子は呼びかけた。
息子らしい、どこか甘えるような声で訴えた。
「――父上」
でも、それは届かなかった。
王は自分の悲しみに溺れ、王子の言葉に耳を貸さなかった。
「――父上」
だから、三度目の呼びかけは冷たかった。
けど、儀礼的なのは声だけで、顔は感情的になっている。
王子は剣を逆手に持ち替え、振りかぶる。
三人はそれを見て、背を向けた。
――実の父親を殺すことにもう迷いはない。
レイピストに言われたからでもなく、王子は自分の意思で決めていた。
もしかすると、それは子供じみた我儘だったかもしれない。
父は自分の命と引き換えに多くの民を救ったのに、それは誇らしいはずなのに――今の父親を誰にも見られたくないなんて……きっと、自分は酷い息子に違いない。
それにこんな状態とはいえ、最後の最後で自分を否定されたことも恨んでいる。
王家を継ぐ者だからこそ、ここまで来たのに。
命を捨てるつもりだったのに。
――父上はそれを否定した。
振り下ろされた切先が王の胸を貫く。
生々しく肉を断つ音は一度だけだった。
「あれくらいなら悪くないか」
「……だって、お父さんだもん」
安心して、ネレイドは涙を流す。
剣の持ち方と顔つきからして不安だったけど、王子は衝動だけで殺したわけじゃない。
振り下ろされた刃は一度きり。
その後はただ、抑えきれない少年の嗚咽が部屋を満たしていた。