第32話 乙女の祈りと紳士の口づけ
文字数 2,997文字
「もちろん、その荷物は私の為に用意したんだよね?」
悪戯っぽくネレイドは言う。
聖都カギから旅立つ時も、ピエールはきちんと準備をしてくれた。
「あぁ。おまえのことだから、どうせ何も考えていないと思ってな」
渡された荷物をネレイドは受け取る。
それは、とても重かった。
「ちょっと。か弱い女の子になんてもの持たせるのよ」
「安心しろ。サディール様が持ってくれる。ていうか、レヴァ・ワンに収納できるらしい」
「えっ? そうなんだ」
「ったく、これだもんな。まぁ、今まで食事や寝床の準備ができるまで、寝ていたからしょうがないか」
「寝てないもん。ちょっと、気を失ってただけ」
「そうだったな。おまえは……大変だったんだよな」
らしくない返しに、ネレイドは黙り込む。
「きっとこれから先も、もっと大変な目に遭うんだろうな」
「……ピエールはここで暮らすの?」
「いや、いったん村に帰るさ。母さんが死んだこと、父さんに話さないといけないしな」
「そっか……」
「安心しろ。おまえのことも、ちゃんと伝えておくから」
それは凄く助かった。ネレイドは怖くて、村に帰ることができなかったから。
もし村も被害に遭っていたらと思うと、怖くてどうしようもない。それにお父さんに会ったら、きっとそのまま逃げたくなる。
でも、それはできない。レヴァ・ワンを食べさせてあげないと、この剣は飼い主はおろか周囲の人間まで食べてしまう。
それに魔族の目的の一つでもある自分が隠れていたら、沢山の人たちが酷い目に遭うのだ。
それがどれほど辛いことか知ってしまった以上、見て見ぬふりはできなかった。
「そして、そのあとはおまえの後を追う」
「えっ?」
「でも、追いつくことはない。俺はおまえのことを話していくつもりだ」
「なんで……?」
「いつか、村に帰るんだろ? だったら、おまえには普通の女の子でいてくれなきゃ困るんだよ。レヴァ・ワンに選ばれて仕方なく戦っているだけの……嫌々ながら、必死で頑張っているだけのな」
それはもう諦めたことだったのに……。
「間違っても、神や教会に選ばれた英雄や勇者なんかになられたら困る。だから、俺は街の人たちがそういった誤解をしないように、おまえが解放していく街から街へと旅して行くつもりだ」
もし、そうなれるのなら……。
「馬鹿なの? そんなことしたら……きっと酷い目に遭うよ?」
「だろうな。現に昨晩、それでちょっと喧嘩になった。それでも、俺は決めたんだ。それに、そんなことくらいでしか俺はもう……」
……願ってもいいのだろうか?
「おまえの助けになれやしないからさ」
私はお母さんを助けられなかったのに、沢山の苦しんでいる知り合いを救えなかったのに、沢山の魔族を残酷に殺したのに……。
「……あなたの行き先々に、とめどない幸せが訪れますように」
ネレイドは小さく涙を零して十字を切り、ピエールに拙い祝福を送る。
「なんだよ、それ。ぜんぜん、似合ってないぞ」
「もっと喜びなさい。乙女の祈りよ?」
「図々しい奴だな、自分が乙女のつもりかよ?」
「なによ、文句ある?」
「いや。おまえが乙女になれるなら、俺も紳士になっていい……よな」
そう言い訳して、ピエールは幼馴染の手を取り、片膝を付いた。
「あなたの無事を、心から願っております」
少女の手の甲に、少年の唇が触れる。
「……なんか言えよ。似合ってないのは自分でわかってるんだから」
黙って見ていると、ピエールのほうが限界だったようだ。
「ううん、ありがとう。恥ずかしいのに、格好つけてくれて」
「……おま、そういうのは思うだけで口に出すなよ」
「やだっ。だって、しばらく話せないんだもん。だから、どんなにつまらないことでも言葉にしたい」
「あー、そうですか」
ピエールは立ち上がり、両手で包み込むように強く、少女の右手を握った。
「まさか、こんなに早くおまえと別れる日が来るなんてな。アックスの村にいる時は思ってもいなかったぜ」
ネレイドは空いた左手を精一杯広げて、少年の手を包み込む。
「私も。下手したら、結婚するんじゃないかって思ってた」
「下手したらって、それはこっちの台詞だ」
そして、最後は自分たちらしく別れを告げる。
「それじゃぁ、行ってこい」
「うんっ! それじゃぁ、行ってきます」
そうして互いに手を離すなり、同じタイミングで背を向けた。
いつまでも手を振って、声をかけるのはらしくないと。明日また会えるみたいに、二人はお別れをした。
「嬢ちゃんは強くなるって誓った。けどな、強くても泣いていいんだぜ?」
沈黙に負けてか、初代が慰めの言葉を吐く。
「嫌よ。ピエールと別れたくらいで泣くなんて……」
強がりでもなんでもない。本当にピエールとはただの幼馴染で、特別な好意はなかった。
「お嬢さんは幼馴染と別れただけじゃありません。故郷とお別れをしたんです」
二代目がちょっとだけマシな台詞を吐く。
「そんなのとっくに終わってましたっ」
『……』
なのに、三代目が何も言わないものだから。
「ちょっと! ペドフィ様も何か言ったらどうですか? 女の子が落ち込んでいるのに黙っているなんて、どういう神経してるんです?」
少女は腹が立ち、身勝手な怒りをぶつける。
『……いや、そのなんだ。泣きたかったら、泣いていいと思うぞ』
「だからっ! 誰も泣きたいなんて言ってないですぅ!」
「本当、ペドフィ君は駄目駄目ですね。気の利いた台詞が言えないにしても、オチくらいは付けてくれないと困ります」
「誰もオチなんて求めてません!」
茶化すようなサディールの言葉に、ネレイドは噛みつく。
『いったい、どうしろと……?』
ペドフィは二人の先祖に愚痴を言うも、
『このまま、怒らせてあげなさい』
『泣く気がないなら、別の方法で発散させるしかないからな』
二代目と初代に大人の対応をされてしまう。
「っていうか、もしかしてオチを付ける為にいつも酷いこと言ってたりします?」
「おやっ、ついにバレてしまいましたか。私たちと話すことで、確実にお嬢さんの知能が上がっていますね」
「なんですか、それじゃまるで私が馬鹿だったみたいじゃないですかぁ!」
「オレのレヴァ・ワンを振って、こけた姿はまさに馬鹿っぽかったけどな」
「あれ……わぁっ! ……上手くいったから、別にいいじゃないですか」
『ほらっ、ペドフィもなんか言え』
『そうですよ。今は全員で話すことが大事なんですから』
どうやら現状を――少女の気持ちをわかっていないのは自分だけのようで、ペドフィは困惑する。
それでも必死に言葉を探し……
『正直、乙女の祈りはないと思う』
致命的なことを口走る。
『あちゃー』
『そりゃ、怒らせろとは言いましたけど……』
二人の先祖の呆れた声。
そして、
「きぃぃぃ~っ!」
少女のヒステリックな金切り声が辺り一帯に響き渡る。
些か風情がないものの、それこそが