第107話 最初で最後のお茶会
文字数 4,860文字
王都ヴァンマリスが鎖されたのは急なことだったので、厨房には沢山の食材が残ったまま。中には腐っていたりして使えない材料もあったけど、自分が楽しむには充分だった。
今のところ、まだ住民たちは戻ってきていない。
また王国騎士団も神帝懲罰機関も糧食を持参しているからか、食糧の監視は甘かった。
「ふんふんふ~ん」
少女は鼻歌を歌いながら、材料を混ぜていく。
卵、砂糖、小麦粉を使った簡単な焼き菓子。
正直、これだけなら焼き上がりを楽しみだとは思わない。
しかし、ここは王城の厨房――高価な木の実や果物の砂糖漬けも沢山あった。
罪悪感を覚えるほど、それらを生地にぶち込んでいたので、ネレイドの気分は上々だった。
「うん、美味しい」
他にも蜂蜜やお酒に漬けた木の実や果物。
それらをつまみ食いしては、満足そうに笑う。
加え、素晴らしい茶葉も見つけた。
乾燥させた花弁や果物が混ざっていて、容器を開けただけで甘い香りがする。
「きゃっ、このお酒美味しい」
更には甘いお酒も発見して、その味に感動を覚える。
実に少女らしく微笑ましい趣味ではあるが、やっていることは泥棒と大差ない。
「……何をしていらっしゃるんですか?」
だからだろうか、厨房にやって来たエリスは丁寧かつ攻撃的な口調。
「お菓子を作って、お茶の準備をして……。ちょっと、お酒なんかを楽しんでいたり?」
自覚のあったネレイドは意識して、可愛い声を出す。
「あなたねぇ……」
「あっ、焼けた焼けた。エリスも食べる?」
「けっ――」
エリスが否定する前に、
「もちろんだとも」
竜の声。
具現化し、ぷかぷかとネレイドの元へ。
「……はぁ」
諦めたのか、エリスは深い息を吐いた。
「ねぇ、何処かいい場所あるかな?」
それを察して、ネレイドはいけしゃぁしゃぁと質問する。
「それでしたら――」
そうして、二人は花園を眺めながらお茶とお菓子を楽しむ。
「おいしー」
猫脚の丸い机と椅子。付かない足をぷらぷらとさせながら、ネレイドは奇麗に植えられた花に目をやっている。
「あっ、あの青い花。もしかして、お茶に入ってたやつかな?」
竜は黙々と食べ、エリスは努めて気難しい顔をしていた。
教会で作られるお菓子とは比べものにならない贅沢。また、仲間たちが働いている中でのお茶会に、罪悪感と少しの優越感を抱いて複雑な心境。
「――悪いが、竜に用がある」
そんな中、ペドフィがやって来て竜をかっさらっていく。
竜は素直についていくも、その手にはお菓子。
ぱくぱくとかじりながら、ペドフィの後に続いていた。
「そう言えば、その服はどうしたの?」
黙っているのも悪いと思ってか、エリスが今更ながらに訊いてきた。
「見つけて、借りたの」
ネレイドが纏っているのは、黒い一繋ぎのドレスに白のエプロン。
「それって……」
エリスの記憶では女の使用人が着る衣装だったが、
「可愛いでしょ?」
本人はご満悦の様子だったので言わないでおいた。
「また、勝手に……」
それでも小言だけはしっかりと口にするも、
「いいじゃん。それくらいは許されることをしたわけだし」
先祖たちのおかげで、ネレイドの性根はだいぶ逞しくなっていた。
「それに、これから大変だろうし」
「……えぇ。ついにです」
「ううん、そうじゃないよ。私が言っているのは、全部が終わったあとのこと」
初代と王子の会話を思い出して、緑の瞳が悲し気に曇る。
「今度は人間同士の争いが始まる」
「……それは初代レイピストが予言したの?」
「うん。教会は絶対に恨まれる。王家も選択次第じゃ恨まれる。そして、両者が争うことになる」
想像に難くない成り行きだったのか、エリスは否定しなかった。
「あなたはどうする気なの?」
「私? どうもしないよ。どっちにも、お世話になったしね」
「薄情ね」
冗談ぽく、エリスは漏らす。
「かもしれない。でも、私がでたら争いじゃなくて虐殺になっちゃうし」
「だったら、争いも止められるんじゃない?」
「できるかもしれないけど、レイピスト様たちは嫌がると思う。それに、そんなことは私も頼めないしやりたくない」
再び、英雄になれなんて勝手過ぎる。
「エリスは? 竜さんの力を使えば、似たようなことはできるでしょう?」
「決着がついたら、竜は解放するつもりよ。もちろん、できればだけど。それに、もともとは人間の味方をする約束でしょう? わたしの個人的な理由で戦わせるわけにはね」
「そっか。なら、大変だ」
他人事のようにネレイドは言う。
その言い草で、本当に関わる気がないことをエリスは悟った。
「えぇ、たぶんね。でも、争うつもりはないわ。許して貰えると思ってるわけじゃないけど……」
自分たちの命が、償いになるとも思っていない。
「我儘なのかしら? たとえ教会のすべてが否定されたとしても、わたしは納得できない。だって、そうやって生きて来たんだもの。そうやって誰かを助けて来たんだから、全部が間違っていたなんて思えるわけがないじゃない」
エリスは感情的に吐き捨てる。
それはちょっとした、甘えだった。
「いいんじゃない? 迷いながらだったけど、復讐を果たせて私は満足はできたし」
案の定、ネレイドはなんとも思っていない様子。
「迷いがないんだったら、たとえ間違っていたとしても満足できるよ」
のほほんとした顔で、曖昧な意見を口にしてくれた。
「実際はわかんないけど、レイピスト様とサディール様なんてアレだしね」
「あの二人を出されると困ります」
「でも、あの二人だって凄く大変だったと思う。話を聞いた限りでも、どうしようもなかったことがあるしね」
もっとも、サディールに至ってはあの困った趣味すら、仕方のないことだとほざいていたが。
でも――子供だったのだ。
自分と同じか、それ以下の幼い子供だったのだから……本当に仕方がなかったのかもしれない。
「けど、最期は自分の意思で処刑台に上がっている。誰の目から見ても間違っていたのに、自分のしたことを否定しなかった」
先祖たちにはそれを避ける力もあったにもかかわらず、素直に殺されている。
でも、それは教会の判断が正しいと思ったからじゃない。
ただ、自分が間違っているとわかっていた。
間違いに気づいていてなお、どうしようもなかったから……。
「あの二人の場合は、否定できなかっただけじゃない?」
「かもしれない。でも、エリスだってそうでしょう? 今更、教会の教えを否定することなんてできないんじゃない?」
「あの二人と一緒みたいに言われるのは嫌だけど……そうね」
「なら、もう行くとこまで行くしかないよ。それで終わったとしてもきっと、悪くないと思う」
年相応の笑みを見せて、
「――少なくとも、満足に死ねるはず」
ネレイドは言った。
「……はぁ」
エリスは諦めの溜息を吐く。
これまでも何度か感じたことではあるが、ネレイドは既に生きるのを諦めているようだった。
やりたくないことを口にする反面、やりたいことは何一つ言わない。
現にここにいるのも自主的と呼べるほどの動機ではなく、責任感に付随したもの。これまで助けて貰ったお返しという、なんとも曖昧な理由だ。
先ほどの話を取ってもそうだが、ネレイドは死を終わりではなく目的と捉えている節が多々あった。
とはいえ、教会の教えを説いたとしても意味がないのはわかっている。
どう死ぬかよりも、どう生きるかが大事なんて言葉が届くはずがない。
ただ、そうなるとエリスにはかける言葉がなかった。
「あら、エリス。こんなところでサボっていたの?」
頭の中で悩んでいると、ユノが姿を見せた。
「ユノさん。はい、あーん」
あたふたとするエリスとは裏腹に、ネレイドは立ち上がってお菓子を口に運ぶ。
「え? ――んっ。美味しい」
「よしっ。これでユノさんも共犯だ」
物騒な発言にユノは目を見開くも、ネレイドの足取りは早かった。
「お茶のお代わりを淹れてきまーす」
ユノは呆気に取られてその後ろ姿を見送り、
「まぁ、いいか」
椅子に腰を下ろして、お菓子をつまむ。
「実を言うと、私もサボりにきたの」
「そうなのですか?」
「どうしたの? 悩んだ顔して」
弱っていたので、エリスはこれまでの経緯を簡単に説明した。
「それは、どうすることもできないわね」
「……そうでしょうか?」
答えの早さに、エリスは面食らう。
「だって、私たちはあのコの家族じゃない。ましてや友達なんかでも。あえていうなら、仲間といったところでしょう?」
「……はい」
「それも利害関係で結ばれた一時的なもの。そんな仲間が、生き方に文句を付けたところで聞くわけがないじゃない」
「……そう、ですね」
自分のことを思い出して、反省する。教会の生き方に文句を付けられた時、エリスは聞く耳を持たなかった。
「世の中には、家族を捨ててまで恋人を選ぶ人もいるのよ。つまり、たとえ友達になっても駄目ってこと。本当の意味であのコの生き方に口を出していいのは、伴侶となる相手だけなの」
優しく窘められて、エリスは身を縮める。
「もちろん、仲間や友達も大事よ。でも大事なだけで、生きていく上で必要なものではないわ。結局、人は家族の下に生まれて、自分の家族を作って、その家族に見守られて死んでいくの」
そこに友達や仲間が入る余裕はない。
家族がいない場合ならともかく、いる場合は遠慮するのが常識であった。
「それに私たちは神帝懲罰機関。神の剣として、レヴァ・ワンを見過ごすわけにはいかない。その意味がわかりますね?」
「……はい」
「そんな顔をしないで。私だって、あのコをどうこうする気はないわ。でもね、そうじゃない人は絶対に現れる」
だから、自分たちはネレイドの傍にいるべきではないとユノは主張する。
「あのコ一人なら、誰にも見つかる心配はいらない。薄情かもしれないけど、関らないのが私たちにできる唯一の感謝じゃないかしら?」
ユノは年齢に似合わない笑みを浮かべ、
「もっとも、神帝懲罰機関を辞めるのなら話は別だけど」
悪戯っぽく鳴らした。
「そんなこと……」
「えぇ、私には無理だわ。でも、竜の力を宿しているエリスなら可能でしょ?」
「……でも、そこまでは付き合いきれません」
エリスはその選択を恥じ入るように漏らすも、
「それでいいのよ。友達なら、責任なんて言葉が生じる真似をすべきではないわ」
ユノは責めなかった。
「一方が重荷に感じた時点で、友達は大事なモノから邪魔なモノに成り下がるから――精々、その友情を大事になさい」
いつの間にか友達と決めつけられているが、エリスは否定するタイミングを逃してしまう。
「邪魔をする」
急にペドフィが竜と共にやってきて、
「サディールはそっちの席でいいか?」
珍しく、人型のレイピストが続く。
「私としても、女性陣とご一緒したいところです」
更にはサディール、
「おまたせしました」
お茶を持ったネレイドに、
「これはどちらに?」
何故か給仕の仕事を手伝わされているニケ。
一気に賑やかなお茶会と成り代わり、誰もが小難しい話をしまった。
そうして、お菓子とお茶を口にしながら、それぞれが他愛のないおしゃべりを楽しむ。
まるで、これが最後だと知っていたかのように――
誰一人として、この空気に水を差す者はいなかった。