第98話 策に溺れる
文字数 3,091文字
危うく地面に叩きつけられるところだったし、せっかくの仕込みも無駄になってしまった。
その上、魔人ロロギヌスがレヴァ・ワンの気配に怯えてか、攻撃方法を一変してきた。
高い家屋の屋根で双剣を構え、
「きえぇぇぇっ!」
炎と雷の刃を飛ばしてくる。
それでいて顔は周囲を警戒しており、目の前のエリスにはさほど脅威を感じていない様子。
「くっ……」
街の犠牲を考慮すると避けてはいられないが、容易く受けられるほど優しい攻撃でもなかった。
先走る炎の熱が視界を霞ませ、遅れて放たれたはずの雷が易々と炎を追い越し――真っ先に、襲い掛かってくる。
レヴァ・ワンならともかく、エリスがこれを防ごうと思ったら消耗戦にならざるを得ない。
そして、魔力の総量でいえば今の竜よりも魔人のほうが上であることを、奇しくも先ほどの凍結が証明してしまった。
『近接戦闘でなくとも、厄介だな』
感心するように、内なる竜が漏らす。
『えぇ。何かいい手はありますか?』
既に残骸と化した街を渡るよう、エリスは回避行動をとる。
『難しいな。本来の我は圧倒的な力でもって、敵を蹂躙する。ゆえに、僅かな力を上手く使う術は学んではおらぬ』
湖での姿を思い出して、エリスは納得する。確かに、あれほどの体躯を有していれば技など必要ない。
『なら、わたしが頑張るしかないんですね』
攻撃を避けつつ、エリスは魔人の周りを走る。
と、そこで自分の失策を悟った。
「……結界っ!?」
痛みとまではいかないが、身体は電気を感じ取っていた。後ろを見ると、雷が鎖のように繋がれ――初めて見る紋様を描いている。
起点は三つだが、水が渦巻くような複雑な曲線。また鎌の如く湾曲した部分もあって、局地的に広くなったり狭くなったりと、目に奇妙な錯覚を与えた。
「ちっ」
先ほど、こちらが仕掛けようとしていた攻撃。察していたのか、それとも偶然か。どちらにせよ、エリスは動揺せずにいられなかった。
『レヴァ・ワンと戦う為に創られていながら、こんな小賢しい術まで身に付けているとは』
竜の声には、嫌悪が入り混じっていた。
『壊せますか?』
『それ自体は容易い。ゆえに、この結界は我らの動きを誘導する為の細工であろう』
それでも行くか? と竜は念を押す。
そう言われ、エリスは迷う。
ここから近い力点は二つに一つ。
その間にも、魔人は炎と雷の大盤振る舞い。
行動が制限されたエリスは避けきれず、いくつかは氷の盾で受けるしかなかった。
『我らの魔力を削る目論見、か』
今度は怒りが混ざっていた。
おそらく、強き竜にとっては考えられない戦い方なのだろう。
罠を張り、弱らせる。
優位な状況でも慢心せず、着実に勝利へと進めていく。
『可憐なる赤髪のネレイドを待つのも、一つの手ではあるが』
『いいえ、駄目です』
初代レイピストがいる以上、エリスは最後に回される。
感情論ではなく、竜の存在を根拠にして――
「それに、魔人程度に勝てなければ先が思いやられます」
相手にも聞こえるように、エリスは声を張り上げた。
だが、攻撃が荒くなっただけで、隙を見せるまでには至らない。
『なら、エリスに任せよう。今の我はただの力だ。上手く使ってくれ』
『ありがとうございます』
魔物や魔獣の考えはわからないが、人間なら読めなくはなかった。
現在、魔人にとって完璧な布陣。このまま魔力戦に興じるもよし、結界を壊しにいってもよし。
だが、それはひとえに近接戦闘では上だという自負があるからに他ならない。
最初の攻防で実力の差は明らか。
その後、徹底的に避けていたこともあって、こちらからは仕掛けてこないと思い込んでいる。
ゆえに、隙はそこにある。
なまじ自信があるからこそ、近接戦闘においては罠や誘いを必要としていないはず。
想定こそしていないが、来ても歓迎できるといった具合に――
エリスは結界の力点に向かうと見せかけ、突如進路を変えた。
魔人に向かって飛翔し、迫りくる炎と雷を氷爪で薙ぎ払う。
相手は驚いている様子だったが、その顔はすぐに笑みへと転じた。
無駄な放出を止めて、双剣を構える。
「――でぇぇぇぇやぁぁぁぁぁっ!」
らしくないが、ネレイドを真似てエリスは雄叫びを上げた。
そうして一閃――魔人の双剣を振り払う。
「――なっ……それは!?」
所詮は魔力で象られているものなので折れることはなかったが、炎も雷も共に剣の形を喪失した。
「――はぁっ!」
返す形で、エリスは
氷の大剣
を振るう。そう、真似たのは威勢の良さだけではない。
異形の手――竜の爪を持ちながら、人間の武器に頼る戦い方。また、大剣もレヴァ・ワンを模してあった。
魔人にとっては盲点となったはず。
竜の力を知っているからこそ、その爪よりも弱い武器に頼るなんて。
現に、魔人は防戦一方。
ただ厄介にも、エリスの予想以上に近接戦闘に長けていた。もしくは、自分の大剣技術があまりに拙いのか、一向に攻撃を当てることができない。
爪に切り替えるか悩むも、その隙が命取りになるかもしれないと押して、押して、押しまくる。
魔人は幾度か剣を生み出そうとしたが、その度エリスの大剣が邪魔をする。大剣の扱いに不慣れとはいえ、さすがに魔力を象る隙は与えはしない。
結果、魔人は素手で戦っており――
「……ふむ?」
気づいてしまったようだった。
「――なっ!?」
魔人は冷静さを取り戻し、たちまちエリスが防戦一方になる。
「困った困った。オンナには優しくしないといけないのに――」
憎しみを感じさせる顔で魔人は言う。
「――嫌なこと、思い出した」
レヴァ・ワンと戦う為に創られたこと。
――あの予想外の攻撃。
また、不意にレヴァ・ワンと同じ大剣を見せられたことによって、魔人の根幹は揺さぶられていた。
だからこそ、相手をレヴァ・ワンと錯覚し――剣に拘り、追いつめられてしまった。
だが、今は違う。
相手が人間に竜と思い出し、単純な解決策――素手で攻撃すればいいと、切り替えることができた。
「くっ……っ!」
逃げる相手には大剣も悪くなかったが、攻めてくる相手だと話は別である。
エリスは早々に大剣を放棄し――魔人も再び双剣を手にした。
このまま近接でやりあうかどうかエリスは悩むも、逃げて状況が改善するとも思えない。
結界は相変わらずそこに――なかった。
「……」
エリスは平静さを装い、
「――はぁっ!」
声を荒げて、襲い掛かる。
魔人が気付いていないところからして、ネレイドではない。それに彼女がこそこそと立ち回るとも思えなかった。
となると、位置的に考えてサディール。それに彼なら、相手に気づかれず結界を壊す術も知っているに違いない。
エリスは囮役として、不利な近接戦闘に挑む。
自分が窮地に陥ろうとも、敵に隙さえ与えてやれば彼がなんとかしてくれだろうと期待して。
果たして、その算段はあっけなく崩される。
「――随分と苦戦しているな」
こちらの思惑など露知らず、
「……ペドフィ・レイピスト」
救援に来た男は闇を纏って、堂々とその姿を晒していた。