第108話 喰らい合う魔

文字数 4,267文字

 馬車を使ったとしても、王都と旧聖都カギは半日とかからない距離にある。
 だからこそ、その音は容赦なく王都ヴァンマリスを貫いた。
 
 賑やかなお茶会を楽しんだ翌日の朝――誰もが覚醒するなり、装備を整える間も惜しんで臨戦態勢を取る。
 聞き間違えようのない、破壊の旋律。
 特に王都ヴァンマリスを解放した面々には、嫌というほど憶えがあった。

 ――文字通り、街が壊れる響き。

「……もう、やだなぁ」

 泣き言を漏らしながらも、ネレイドは就寝着を脱いでいく。
 訊いてもいないのレヴァ・ワンが詳細を教えてくれたので、既に警戒を解いていた。

「――朝早くに失礼いたします。ネレイド様、ご無事でありますか?」

 扉を叩くのはニケ。
 登場の早さからして、だいぶ前から起きていたのだろう。

「大丈夫。でも、いま服着てないから入らないでね」
「こ、これは失礼を――」
「発生源は旧聖都カギだから。落ちつくよう、お仲間には伝えといて」

「承知仕りました」
 お仲間、という言い方からニケは判断して、王国騎士団の下に走る。

「……はぁ」

 ネレイドは一糸纏わぬ姿で、鏡の前に立っていた。
 だけど、そこに笑顔はない。
 昔は鏡を見るだけでも楽しかったのに――今はもう、一人だと笑う気にもなれなかった。

 まだ一年も経っていないから、目に見えるほどの変化はない。
 それでも、手でなぞっていくと違和感を覚えるほどには成長している。
 胸も腰もお尻も……。
 このまま大人になっていくのかと思うと、嫌気がさしてくる。

「……はぁ」

 下着を着けて、溜め息一つ。
 せっかく全身を映せる鏡があるのに、これから戦装束に袖を通さなければならなかった。

 白を基調とした一繋ぎの造り。ただ裾を筆頭に、ところどころ青い刺繍が施されているので儚げなイメージはない。
 上衣に当たる部分には幾重にも布が重ねられ、胸当てのように厳重。
 スカート丈は膝に触れる程度の二重構造――正面と左右に大きなスリットが入っており、そこから下の青い生地が覗かれていた。

「可愛いんだけどねぇ……」

 聖なるモノとか王家とか、とにかく重くて素直に喜べないのが本音であった。あと袖丈がないのと、背中に空いた二つの穴もすーすーして落ちつかない。

「……んっしょと」

 長い髪は編み込んでから、衣服に触れないように固定。落ちてこないよう、またせめてものオシャレとして色々な髪留めを使う。

「うんっ。やっぱ、不釣り合いだよ……」

 レヴァ・ワンの所為で真っ赤に染まった髪。
 持ち前の緑の瞳に白と青の衣装。
 こうも取っ散らかっていると、肌の露出が多いのに救われた気がしなくはない。
 もっとも、戦闘中は四肢にレヴァ・ワンを纏うことになるので、結局はどうしようもなかった。

 そうして、ネレイドが準備を終えて朝食の場に赴くと、他の面々は身支度を整え待っていた。

「食べるのなら、早くしなさい」
「おはようございます。ネレイド」

 エリスとユノは神帝懲罰機関の祭服。
 漆黒の生地に赤いライン。頭のベールを含め、両腕を広げた際、十字架に見えるようにデザインされている。
 ユノは艶やかな黒髪なので、まさしくレヴァ・ワンの色彩。エリスは銀髪――さながら、霧に隠れた月のようであった。

 こちらは内なる竜が気づき、神帝懲罰機関にはユノが伝心術で一斉に知らせていた。

「あちらもお食事中のようですので、お嬢さんも食べたほうがいいですよ」
 ピンクに近い赤の瞳を悪戯っぽく瞬かせて、サディールが言う。いつもは黒と白が斑になった長い髪だが、今日は白髪部分が赤く染まっていた。

「それに旧聖都カギには、食材もなさそうだしな」
 真っ当な冗談を口にしたのはペドフィ。こちらも黒い瞳に赤いシミが射しこんでおり、異様な存在感を醸し出している。

 共に魔力で象った黒衣であるものの、サディールは教会の祭服、ペドフィは騎士団の鎧に似たデザインだった。

「その格好、朝っぱらから大変じゃなかったか?」
 席に座ると、机の上に羽虫姿の初代がいた。顔には紋様の入れ墨が彫られており、瞳同様に赤い輝きを放っている。

 戦闘中でもないのに、それぞれがレヴァ・ワンの影響を受けていた。

「それじゃ、私たちは先に行っていますので」

 ネレイドが食事を始めるなり、初代を残した全員が席を立つ。

「無理はしないでくださいね」
 察して、ネレイドは声をかける。

「もちろんですとも。私たちは念の為、ですから」
 そう言って、サディールは手を振った。

「それにここにいた魔獣やら魔人を考慮すると、勝てるとも思えない」
 ペドフィはあっさりと負けを認めて、小さく笑った。

「それでは」
 ユノが頭を下げる。
 エリスは何か言いたそうに口を歪ませたまま、結局は前髪を揺らす程度に頭を下げた。
 
 おそらく、ニケが既に馬車の用意をしているのだろう。

「サディールたちを乗せた馬車は北から陸路を、エリスは南から空路を警戒しながら進む。で、嬢ちゃんは直進――塩湖を突っ切って旧聖都カギに乗り込む」
 
 初代の説明を聞きながら、ネレイドは朝食を食べる。

「本当の念の為は私なんですね」
「そういうこった」

 レヴァ・ワンの感知能力を持って、旧聖都で起きたことはなんとなくわかっていた。
 結界を担っていた五つの魔の封印が解除され、何故か共食いをしている。
 その数が減る度に、レヴァ・ワンが怒りか興奮かわからない脈動を始めるので、とにかく鬱陶しかった。

「……はぁ。あと二体」

 そして残り一体となった時、どう動くかがわからないからこそ、ネレイドは王都に残されている。

「勝手に死なないですよね、水鏡の観測者」
「さすがに、そんな阿呆じゃねぇだろ」
「なら、考えがあってのことなんですね」

 住んでいた人々だけでなく、街を滅茶苦茶にするのも――

「王都と同じようにやっても、勝てないと判断したのは確かだろう」

 一体は成す術もなく倒され、残りも順番――協力する隙を与えず、各個撃破。相手がよほど強くない限り、同じ結果で終わるのは必至だった。

「とりあえず、こちらに万全の準備を整えさせないって意味じゃ成功してる」

 なんでも、しばらくの間は揉めていたらしい。
 エリスとユノはすぐに行くべき派、サディールと初代は様子を見るべき派、ペドフィとニケは中立派といった具合に。

「私も待つべき派です。せっかく共食いしてるんだから、最後の一匹になるまでは待ってたほうが得だもん」
「嬢ちゃんらしい考えだな」

「えー、レイピスト様は違うんですか?」
 勝手に同じだと思い込んでいたので、ネレイドは驚いてしまう。

「あぁ。個人的には、嬢ちゃんとエリスの速攻で片を付けるってのが、正解だったと思っている」

 しかし、それには時間がかかり過ぎていた。
 着替え云々、情報と意見の共有を図った時点で手遅れ。

「これは仕掛けてきた時間帯からの推測だ」

 即座に来て欲しいなら活動時間帯――特に夕方、夜になる前にという焦りを誘うのが道理。
 逆に、来て欲しくないなら深夜帯を選ぶ。

「早朝ってのは、速攻は困るけどそれなりに早く来るのは歓迎。また、遅くなって構わないって魂胆だとオレは思っている」
「つまり、最悪を避けたったことですか?」
「さすが、嬢ちゃん」

 確かに、朝は急げばそれなりに早く動ける。
 けど、それなりであって迅速とまではいかない。
 特に、仲間が多い場合はそうだ。
 高速で飛んで行けるのは、ネレイドとエリスの二人。だが、それを選択するとなれば、全員が集まっていて伝言を残せる状況に限られる。

「色々と、考えているんですね」

 問題として提示されたからわかっただけで、これを自分から見抜くのは無理である。

「そりゃ、相手は……神算鬼謀の持ち主みたいだからな」

 初代たちは、堕ちた天使のことを秘匿すると決めていた。女は壮大な恋愛劇に弱いと力説するサディールに従って。

「じゃぁ、そろそろ行きますか」

 レヴァ・ワンの反応からして、まだ二体の魔は戦っている。
 だが、時間的に準備はしておくべきだと、ネレイドは王都上空に佇む。
 黒い四肢と翼。そして、手にはレヴァ・ワン。空間転移を警戒して、初代は早くも大剣を象っていた。

「……黒い煙と赤い炎」

 建物の形まではわかないけど、その二つだけはよく見えた。

「もし、一体になったら集中しろ。見えなくても、レヴァ・ワンは捉えてくれる。そうすれば、相手が空間転移をしようが見逃すことはない」

 応じるようネレイドは刀身を撫で、
「ねぇ、レイピスト様。もし、ここから旧聖都カギごと吹き飛ばしたら、気持ちいいかな?」
 とんでもないことを訊いてきた。

「どうせ、街は壊れているんだし。面倒なことは全部まとめて、吹き飛ばして終わりにできたら……」

「そりゃ、気持ちいいに決まっている」
 初代は軽い口調で同意を示す。
「けど、後が面倒だぞ? 特にサディールは真相の解明に拘っているし。エリスやユノだって、直接言ったり訊きたいこともあるだろう」
 だから絶対に文句を言われまくる、と初代は想像に難くない面倒を口にした。

「うわぁ、それは嫌かも」

 なのに、想像ができない面倒だとそうは思えなかった。
 すべてが終わった後の人間同士の争いとか、王家と教会のゆく末とか――

「……どうでもいいなぁ」

 それが少女の本音であった。
 どう考えても、そちらのほうが大変で面倒に決まっているのに、微塵も興味が持てない。

「嬢ちゃん、お――」
「――来ました。最後の一体」

 初代の台詞を遮るように発して、ネレイドは集中する。
 ――逃がさないと。
 レヴァ・ワンが求めるままに殺してやると強く念じて、相手を縛る。

「……たぶん、これで空間転移は封じたと思います」
「そこは断言しとけ。言葉が乱れると、なし崩しに意思やら概念。しまいには、現実の事態まで乱れるからな」
「はい! 封じました!」
「じゃぁ、殺しに行くぜ。これでもう、裏をかかれる心配はいらねぇ」
「はいっ! 何処へ向かおうとも逃がしません!」

 初代の言葉をそらんじるようにして、ネレイドは一直線に旧聖都カギへと急ぐ。
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登場人物紹介

 4代目レイピスト、ネレイド。

 長い赤髪に緑の瞳を持つ少女。田舎育ちの14歳だけあって世間には疎い。反面、嫌なことや納得のいかないことでも迎合できてしまう。よく言えば素直で聞き分けがよく、悪く言えば自分で物事を考えようとしない性格。

 もっとも、先祖たちの所為で色々と歪みつつある。

 それがレイピストの血によるモノなのかどうかは不明。

 初代レイピスト、享年38歳。

 褐色の肌に背中まである銀髪。また、額から両頬にかけて幾何学的な刺青が入っている。

 蛮族でありながらも英雄とされ、王家に迎えられる。

 しかしその後、神を殺して魔物を犯し――最後には鬼畜として処刑された忙しないお人。

 現代を生きる者にとってあらゆる意味で非常識な存在。

 唯一、レヴァ・ワンを正しく剣として扱える。

 2代目レイピスト、サディール。享年32歳。

 他者をいたぶることに快感を覚える特殊性癖から、サディストの名で恐れられた男。白と黒が絶妙に混ざった長髪にピンクに近い赤い瞳を有している。

 教会育ちの為、信心深く常識や優しさを持っているにもかかわらず鬼畜の振る舞いをする傍迷惑な存在。

 誰よりも神聖な場所や人がかかげる信仰には敬意を払う。故にそれらを踏みにじる存在には憤り、相応の報いを与える。

 レヴァ・ワンを剣ではなく、魔術を行使する杖として扱う。

 3代目レイピスト、ペドフィ。享年25歳。

 教会に裏切られ、手負いを理由に女子修道院を襲ったことからペドフィストの烙印を押された男。

 黒い瞳に赤い染みが特徴的。

 真面目さゆえに色々と踏み外し、今もなお堕ち続けている。

 レヴァ・ワンを闇として纏い、変幻自在の武具として戦う。


 エリス。銀色の髪に淡い紫の瞳を持つ16歳の少女。

 教会の暗部執行部隊で、神の剣を自称する『神帝懲罰機関』の人間。

 とある事情からレイピスト一行に同行する。

 アイズ・ラズペクト。

 竜殺しの結界により、幾星霜の時を湖に鎖された魔竜。

 ゆえに聖と魔、天使と悪魔、神剣レヴァ・ワンと魔剣レヴァ・ワンの争いにも参加している。

 現在はペドフィが存命中に交わした『レイピスト』との約束を信じ、鎖された湖で待ちわびている。

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