第83話 終わりの始まり

文字数 3,143文字

 エリスが魔獣を氷漬けにしてしばらく経ってから
「おや? なんですかこれは?」
 サディールがやっと出て来た。

 もっとも、見た目が少しだけ変わっている。
 白と黒が絶妙に混ざった髪とピンクに近い赤の瞳――顔は見慣れたものだが、首から下が華奢になっており、身長も縮んでいた。
 おそらく、拷問を受けていた女魔族の身体をそのまま使っているのだろう。

「城塞都市アレサに封じられていた魔獣です」
 エリスは端的に答える。

「こんなモノがいたとは……。私たちの予想以上に、神帝懲罰機関は食えない相手のようだ」
 当の本人を前にして、サディールは言ってくれる。
「この方――アレクトさんの記憶を読む限り、水鏡の観測者が黒幕で間違いありません」

「……そう、ですか」
 以前のように、エリスは否定しなかった。
「その方のお名前は?」
 ただ、静かに確認する。

「ナターシャ」
 
 誰も口にしていないはずなのに、サディールは見事に言い当てた。

「それにリビ・ジョニスという方も元神帝懲罰機関のようです。そして、この氷に(とざ)されている小さな男性がエイルさん」

 氷は清冽な水のように透き通っていたので、はっきりと顔が見える。

「随分とのんびりしていらっしゃいますけど、助けにいかなくていいんですか?」

 頼まれた自分が言うのもなんだが、ネレイドは傷を負っているはず。
 
「えぇ、ペドフィ君が目を覚ましたので」
「……そう、ですか」

 エリスにとって、三代目は未知の相手。
 神帝懲罰機関を恨むあまり引きこもったという話だが、正直理解に苦しむ行いである。
 それなら怒ったり嫌がらせをすればいいのに、どうして拒絶を選んだのか。しかも、ネレイドや他の先祖たちとも交流を断っていた徹底ぶり。
 
「すいませんが、この氷を解いてもらっていいですか?」

 ――と、ある意味こちらも理解しがたい要請をしてきた。

「何故、とお聞きしても?」
「この方に訊きたいことがあるのと、腕試しがしたいからです」
「正気ですか?」
「水鏡の観測者、前任の契約者(テスタメント)を敵に回すとなると、最悪、悪魔と戦う可能性もありますからね」

 形容しがたい嘆息を挟んでから、エリスは言われた通りにする。
 覚悟はしていたとはいえ、やはり堪えるものがあった。
 
 なんせ、信頼していた人に裏切られたのだ。
 
 どれだけ理路整然とした推測を提示されとしても、信じていたかったのに……もう、それすらも許されない。
 神の剣が感情に(ほだ)されるわけにはいかなかった。
 魔族と接触していたのが明らかになった以上、誰であろうと神の敵である。

「――水源を零せ(フォンス・ティア)

 氷が水に転じ、魔獣が咆哮を上げる。ついでに穴という穴から黒い煙が立ち上り、酷い匂いもしてきた。

「人間が、人間如きがぁぁぁぁっ! 我を舐めるなよっ! ここからが本番だ」
 今まで、捕らえられていたとは思えない台詞である。

「少し、黙りましょうか?」

 サディールが掌を向けただけで、魔獣は静かになった。
 その掌には大きな瞳――赤い虹彩に黒い瞳孔。
 器用にも、女魔族の特性を使いこなしている。

「……馬鹿、な。何故、貴様如き下等な魔物に……我、がこの我が……」
「私は魔を食らう者(レヴァ・ワン)の力で蘇った亡者ですので」
「……そんな、ことが? あり得る……のか。馬鹿、な……。我々を殺す者(レヴァ・ワン)は、剣という武器ではなかった……のか?」
「えぇ、本来の形は剣ですね。真の力を発揮するのも、その形でしょう」
「……そん、な? なら、我は眷属の……僅かな力で封じられて、いる、というのか?」

 信じられないと言わんばかりである。尊大だった声も成りを潜め、粘着性もだいぶ衰えていた。

「そうですね。あなた如き魔獣には、私に与えられている程度で充分のようです。現に、竜の身体を傷つける時は剣である必要がありましたし」

 再び魔獣は咆哮をあげるも、今度の声は哀しそうだった。黒い煙も勢いがなくなり、なんだか痛々しく見える。

「ところで、その身体の持ち主を解放することできますか?」

「……無理、だ。もう死んでいる」
 魔獣は素直に答えた。

「なら、その方の記憶は読めますか?」
「無理だ。……我にそのような真似は」
「そうですか」

 魔獣の足元に大きな眼が出現する。
 
 闇のように暗い瞳が見開かれ、
「では、あなたには死んで貰います」
 ゆっくり閉じていくと同時に、魔獣の身体が沈んでいく。

「ちなみに、ご自分で交わされた血の契約(フォエドゥス・サングイニス)について何かご存知ですか?」
「……我より、強力な魔の気配があった。だが、我はそれを軽んじてもいた。だから、数多の生贄という条件を付けたのだが……ご覧の有り様だ」
「つまり、あなたの言葉が通じなかったと?」
「おそらく、我との契約は書き換えられたのだろう」

「契約の書き換え、ですか?」
 信じられず、サディールは魔獣の言葉を繰り返す。

「可能性の一つだ。天使に悪魔。早い時期から、人間を使っていたモノたちが……得意としていた」
 
 まもなく、瞳が閉じようとする。
 魔獣はもう何も語らず――黙ったまま消えていった。

「途中から、随分と素直でしたね」
 腑に落ちないといった具合にエリスが漏らした。

「あんな魔族の身体を奪ったのは、レヴァ・ワンと戦う気があったからでしょう?」
「えぇ、竜はそう言ってました」
「なのに、その残滓にすら手も足もでなかったわけですよ」

 サディールは最後まで言わなかった。
 寂しそうに笑って、首を振る。

「さて、私たちはいつものように街の解放に移りましょうか」
「本当に、助けにいかなくてもよろしいので?」
「先代に訊いてみたところ断られました。むしろ、救援にいくと死人が増えるそうです」
「どういう状況ですか?」
「さぁ? とりあえず逃げ遅れている人たちの誘導と、草原地帯で不安がっている人々への説明を頼まれました。あと、残党の始末」

 よくわからないものの、初代が頼み事をする余裕があるのは間違いない。 
 エリスとサディールは手分けして、街の解放へと動き出す。


 

 出し入れ自由に伸縮自在。
 ペドフィの操る闇は様々な武器へと転じ、常に先手を取る。
 刃の付いた鞭に始まって槍、双剣、斧。
 流れるような攻撃で、近接の三人を仕留めた。

 瞬間、弓矢による敵の遠距離攻撃。
 
 感じ取ることができないとはいえ、見える位置にいるのだから脅威にはなり得ない。
 そして、弦音に遅れる形で魔力の鳴動――砲口が火を噴く。
 
 ペドフィは闇を壁にして防ぎ、上を見る。
 
 ――と案の定、矢が放たれており、奇麗な曲線を描こうとしていた。
 もし気付かなかったら脳天を貫かれていただろうが、所詮は小賢しい浅知恵である。

 魔導砲の使い道が足止めだとわかっている以上、警戒してしかり。それに敵の言葉を信用するほど馬鹿ではないので、周囲の警戒も怠らない。

 無駄なことを繰り返させる場合、たいてい何か狙いがある。その大半は、いわゆる陽動や囮といった本命から目を逸らさせる為の仕掛け。

 ペドフィは後ろに跳んで、落下してくる矢をかわす。
 そしてお返しではないが、両手を大きく広げて振るった。
 
 異形の黒き爪は深淵の壁を越えて、獲物の肉を切り裂いていく。
 左右から挟み込むように襲い掛かる影に、敵は成す術もなく細切れとなった。

「――次」
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登場人物紹介

 4代目レイピスト、ネレイド。

 長い赤髪に緑の瞳を持つ少女。田舎育ちの14歳だけあって世間には疎い。反面、嫌なことや納得のいかないことでも迎合できてしまう。よく言えば素直で聞き分けがよく、悪く言えば自分で物事を考えようとしない性格。

 もっとも、先祖たちの所為で色々と歪みつつある。

 それがレイピストの血によるモノなのかどうかは不明。

 初代レイピスト、享年38歳。

 褐色の肌に背中まである銀髪。また、額から両頬にかけて幾何学的な刺青が入っている。

 蛮族でありながらも英雄とされ、王家に迎えられる。

 しかしその後、神を殺して魔物を犯し――最後には鬼畜として処刑された忙しないお人。

 現代を生きる者にとってあらゆる意味で非常識な存在。

 唯一、レヴァ・ワンを正しく剣として扱える。

 2代目レイピスト、サディール。享年32歳。

 他者をいたぶることに快感を覚える特殊性癖から、サディストの名で恐れられた男。白と黒が絶妙に混ざった長髪にピンクに近い赤い瞳を有している。

 教会育ちの為、信心深く常識や優しさを持っているにもかかわらず鬼畜の振る舞いをする傍迷惑な存在。

 誰よりも神聖な場所や人がかかげる信仰には敬意を払う。故にそれらを踏みにじる存在には憤り、相応の報いを与える。

 レヴァ・ワンを剣ではなく、魔術を行使する杖として扱う。

 3代目レイピスト、ペドフィ。享年25歳。

 教会に裏切られ、手負いを理由に女子修道院を襲ったことからペドフィストの烙印を押された男。

 黒い瞳に赤い染みが特徴的。

 真面目さゆえに色々と踏み外し、今もなお堕ち続けている。

 レヴァ・ワンを闇として纏い、変幻自在の武具として戦う。


 エリス。銀色の髪に淡い紫の瞳を持つ16歳の少女。

 教会の暗部執行部隊で、神の剣を自称する『神帝懲罰機関』の人間。

 とある事情からレイピスト一行に同行する。

 アイズ・ラズペクト。

 竜殺しの結界により、幾星霜の時を湖に鎖された魔竜。

 ゆえに聖と魔、天使と悪魔、神剣レヴァ・ワンと魔剣レヴァ・ワンの争いにも参加している。

 現在はペドフィが存命中に交わした『レイピスト』との約束を信じ、鎖された湖で待ちわびている。

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