第73話 死んだ女と残った男
文字数 5,050文字
魔物を殲滅しただけでなく、汚染された区画の魔力も喰らい、レヴァ・ワンは上機嫌の様子だった。
「それじゃ、攻めるぞ」
初代は羽虫型に戻り、先導する姿勢でネレイドの前を飛ぶ。
第二の壁を超えた先は石の街。狭い上に敵も人間サイズとなれば、初代のレヴァ・ワンでは色々と持て余してしまう。
なので、ここからはネレイドのレヴァ・ワン――黒い四肢と翼、そして包丁型の長剣を手に進んでいく。
「さて、私たちもそろそろ行きましょうか」
アレサ敷地外の上空で待機していたサディールが言う。
翼を持つモノでさえ寄り付かない中空にいながらも、彼には地上の様子が見えていた。
もっとも、レヴァ・ワンを通してのものなので、敵の陣容まではわかりはしない。
それでも、ネレイドの突入からだいぶ時間が経った。
そして、草原地帯の次に待つは石の街。そこは人間たちが優位になるよう、作られた場所である。
主戦力を置くとすれば、ここしかない。
以降の区画は少人数で魔物の侵攻を食い止めることを目的とされているので、大勢を配置するには向いていないのだ。
「エリスさんは、私が消えてしばらくしてから突入してください」
「また、曖昧だな」
「では、敵が備えたタイミングでお願いします」
「……それは難しすぎる」
「なら、お好きなタイミングで」
エリスは溜息を吐いてから、
「わかりました。好きにさせて貰います」
素直に応じる。
「私は一度、第二階層の街へ出現してから第三階層へと転移します。もし敵が
相変わらず、サディールの発言は本気か冗談か掴めなかった。
「それはわざと、ですか?」
「まさか。どうしようもなく、です。所詮、この身体は魔力で象ったモノ。それも器からちょっぴり分けて貰っただけに過ぎません」
レヴァ・ワンは食い意地が張っているので、あまり贅沢を許してはくれない。
「感知能力に長けたタイプであれば、私の動きなんて手に取るようにわかるはずです。現に、昨夜もすぐにバレてしまいました」
侵入自体はアレサに備わっている防衛機能によるものだろうが、居場所を掴んだのは確実に敵の能力。おそらく、例の目の持ち主であろう。
「それでも、行くんですか?」
「お嬢さんを助ける為にも、早急に戦える肉体が必要です」
レイピストの血を引く器があれば、サディールも戦力になれた。
「これまでも、充分に戦えたと思いますけど?」
「あれは暗殺であって、戦いではありませんよ」
神帝懲罰機関だけあって、今の説明でわかってくれたようだ。
「まぁ、本当にレイピストの血縁がいるのか。私がその器を乗っ取れるかどうかは賭けですけどね」
初代の罪は二千年は昔のこと。もし未だに恨んでいたとしたら、並大抵の憎しみではないだろう。
さすがに、容易く押し退けられるとは思えない。
先代ならまだしも、自分は魔族を〝屈服〟させるのにもだいぶ時間を費やしていた。
更に言えば道具も沢山用いて、どうにか成し遂げたに過ぎない。
しかも、レイピストの子孫を自称しているのは男と言う話だ。
ルフィーアの街では男も後ろの穴で喜んでいたが、そちらの開発は未経験な上に、使えそうな道具も疑似男根一本だけ。
正直、分の悪い賭けである。
けど、未だペドフィが参戦していない以上、勝負に出るほかなかった。
それに昨夜はああ言ったものの、サディールは実のところ期待していない。
ペドフィが引き籠った理由には、きっとネレイドにも原因があるからだ。
案に相違して、彼女は上手くやっていた。それどころか、あの先代と噛み合ってしまっている。
とてもじゃないが、もうペドフィの手に負える少女などではない。
本人は無自覚かもしれないが、無知で無力だったからこそ彼は優しくしていた節が見受けられる。
以前、初代が詰ったようにペドフィは生前よりも劣化していた。
正確には、あの失敗から転がり落ちたまま、立て直すことができていない。
だから、どうしようもない失敗を犯してなお、立ち上がって成長しているネレイドを見ていられなくなった。
思春期以降においてはペドフィが一番人間関係に乏しい。
落ち込んでいる相手を励ますことができても、頑張り出した時にかける言葉を知らないのだろう。
「それでは、もしもの時はお願いします。エリスさんが、私の代わりにお嬢さんを守ってあげてください」
本来なら頼む相手ではないかもしれないけど、エリスは優しいから仕方ない。きっと自分より年下の少女には、無条件で甘くなってしまう性格なのだろう。
「正直、そんな『もしも』は信じられないですが、わかりました。誰かさんが言うには、わたしは力を正しく扱えるようですので、きちんとあのコを守ってみせます」
こちらもまた随分と成長した。
かつて言われた言葉を冗談にして返せるようになるなんて、初めて会った時からは考えられない進歩である。
やはり、生きている者は強い。
見ていて辛くなる気持ちもわからなくはないが、他人の成長を素直に喜べるほうが正しいに決まっている。
致命的な間違いを抱えているからこそ、サディールは正しくいられる時は正しくいたかった。
魔族たちにとって、草原地帯の役割は既に終わっていた。
主戦力が迎撃態勢を整える為の時間稼ぎと人質の拘束。石の街に限って、魔族たちはある程度人質を自由にさせていた。
許さなかったのは、家族や恋人同士の接触。
そんな面倒な選別をしていたのも今日、この日の為である。
「――おまえたちはもう自由だ。好きにしろ」
レヴァ・ワンが草原地帯の解放を終えた頃、魔族たちは人質を解放した。
これから、この街を
彷徨う盾
となって貰う為である。中には半信半疑の者もいたが、子供たちは違った。親を求めて、居所もわからないのに走り出す。
そのことを伝えると、親たちも飛び出した。
これで、広範囲に及ぶ無差別攻撃は封じられる。
レヴァ・ワンの中に真の鬼畜――初代レイピストがいる以上、絶対とは言えないが枷の一つにはなるはず。
少なくとも、よほど追いつめない限りは期待できる。
現に
『ヘーネル、そっちの準備はどうだ?』
兵たちに弓と魔導砲を装備させ、配置を終えたリビが言葉を飛ばす。
『問題ない。ただ、もう少し様子を見るから最初は任せる。今は狙撃場所の確認中』
『もたもたしてると、俺たちで片付けちまうぞ?』
『別に構わない。私はあんたと違って、レイピストに復讐したいとは思ってないから』
『そうか。なら、俺が貰う』
吐き捨て、リビは交信を切る。
「おまえはもちろん、復讐したいよな?」
声をかけた相手は頷く。
可哀そうに、彼の口は大きく裂かれて言葉を喋れなくなっていた。
「俺もだ。特に二代目サディストを殺してやりたい」
魔族側で
わざわざ
レイピストの血縁を名乗っているのが、このリビ・ジョニスである。「やっとだ、やっとこの時が来たんだ」
その憎しみは六人の中で最も強く。
また、大選別でレヴァ・ワンを手にする役を奪われたこともあり、色々と拗らせていた。
彼自身、今でも思っている。自分がレヴァ・ワンを手にしていたら、憎っくき先祖たちを殺せたに違いないと。
しかし、大選別を受けるには彼の姿は異形過ぎた。正確には身体の改造を繰り返した結果、取り返しがつかなくなっていた。
もともと、リビは神帝懲罰機関に拾われた孤児である。
つまり、
女だった
。今となっては、声以外にその名残りはないが本人もそう記憶している。
きっかけは、自分がレイピストの血縁だとわかったこと。
その結果、殉教者になるよう勧められた。
――信仰の為に命を捧げろと。
そして、当時のリビはそれを間違いだとは思わなかった。
既に教会が絶対という世界ではなかったので、当然ながら不満を持つ者たちは大勢いた。そして、そういった者たちからの苦難をすべて引き受けることが殉教者の務めであった。
早い話が、リビは死ぬまで大衆から迫害を受けるよう命じられたのだ。
そうして、わざわざ教会や王家から離れた地域で暮らしている村々に赴いて、一人きりで布教を行う。
いつの時代であれ、年頃の少女がそのような真似をしていて無事で済むはずがない。
案の定、村から村への移動中にリビは襲われた。
とはいえ、神帝懲罰機関だったのでそういった際の手練手管は学んでいた。なのに、少女の身体はとてつもない拒否反応を起こしてしまった。
いくら実践経験がなかったとはいえ、あり得ないほどの拒絶感――いや、そんな生理的な感情ですらなかった。
抵抗を覚えるとか、嫌悪するといったレベルではない。身体を支配したのは、どうしようもない殺意。
信仰の為に命すら捧げる覚悟だったのに――何故か、リビは男たちを殺してしまった。
こんなことで教えに背いた事実を、彼女自身が信じられないでいた。そもそも、教わっていた時には何も思わなかったのだ。
「なんで……?」
死体を見て、リビは更に驚く。
自分の扱える魔術ではあり得ない損傷。果物を潰したように頭が潰れている。男性器もそうしたのか、股間の辺りも血まみれだった。
記憶はない。
無意識に男の顔と股間を粉砕していた。改めてその事実に向き合い、リビは一つの答えを出す。
それほどまでに、男が憎かったのだと。
「そうだ、私は……」
誰もがレイピストの子孫だと言っていた。鬼畜の血を引いていると。
けど、違う。
それだけじゃなかった。
それと同じくらい、魔物や魔族の血も受け継いでいるのだ。
すなわち、
自覚した途端、リビは女であることが嫌になった。
だって――
その所為で信仰に背いてしまったのだ
。「……ふざけるなっ!」
男への憎しみよりも、
自分に信仰を捨てさせた女への怒りが勝った
。それでも、矛盾した二つの感情を持っていたことに違いはない。
そして、気づかぬ内にそれは二つの人格になっていた。
だから、発作的に自分を殺したにもかかわらず――リビは生きていた。
ただ、もう神に祈ることはない。
敬虔な信者であった少女は異端者として死んでしまった。
奇しくも、自分を殺すことで女への怒りは消えてなくなっていた。
そうして、残ったのが男への――レイピストへの憎悪。
しかし、自分を殺しても意味はない。レヴァ・ワンを葬らない限り、レイピストへの復讐は果たされたとは言えやしない。
自分と同じことを考える者は他にもいたようで、すぐに仲間ができた。
人里を離れるように行動していた際、アレクトが見つけた次第である。
テスタメントの候補者であった知識と魔の血に従って、リビは幾度となく
髪の毛は白く長い――と思いきや、背中からも長い体毛が生えてそう見えるだけ。
右目は黒いものの、左目は用途によって使い分けるので日によって色も形も変わるどころか、からっぽの時すらある。
左腕も同様、付け替え式なのか長さも太さも日によって違った。
また耳は獣のように頭についており、本来人間の耳に当たる部分からは髪とは別の黒くて硬い体毛が伸び、何故か三つ編みにされて垂らされている。
「安心しな。おまえにも、復讐の機会は与えてやるからさ」
女の声で、異形の男が優しく言う。
慣れたもので、自分以外の身体に
ただ、必ずしも望んだモノを呼び出せるわけではなく、失敗することも多々あった。
「あらら、随分と人間から離れちまったな」
サディールによって、手足と指を倍にされた男の身体は人間ではなくなっていた。以前は欠損部分を奇麗に補えたものの、今回はまるで違う。
「まぁ、いいか。そのほうが強そうだし」
彼の四肢はもはや触手だった。開いた口からは鋭い牙が並び、その姿はさながら虫を食べる植物である。
「それじゃ、レヴァ・ワンを殺しに行くぜ」
そう言ったリビの威勢を挫くように、
『第二階層に侵入者。おそらく、サディスト』
アレクトから言葉が飛んで来た。
「……マジかよ?」
『えぇ、またしても厭らしいタイミングね。そっちも来るわよ』
アレクトの目はまさしくサディールとレヴァ・ワン――両方の姿を見ていた。