第55話 とある竜との約束
文字数 4,468文字
昨晩、遅くまで歓喜に震えていただけあって住民たちの姿は見当たらない。自由と清潔な身体と温かい食事によって、彼らは見事に蘇っていた。
もっとも、それは一時的なものだろう。どうしようもない現状と拭いきれない過去は、すぐに彼らの足元をすくうに違いない。
しかし、レイピストたちは去った。
酷い言い草かもしれないが、それ以上は知ったことではなかった。所詮、魔族を殺すついでの行為。
それにあれ以上いたら、当てにされるのが目に見えている。
街の惨状はそれほどに酷く、誰もが誰かに縋りたい有り様だった。そんな所でのんびりとしていたら、面倒を押し付けられるのは必至である。
「次はディアーネですけども、ここでも物資の補給は期待できそうにないですね」
ヴィーナではお酒と調味料の類しか満足に得られず、羽虫型のサディールは悩まし気に飛び回ってはぶつぶつと漏らす。
「やっぱり、足りないですか?」
かつてはピエール、今はサディールに丸投げしているネレイドが訊く。
「ディアーネからアレサまで、距離がありますから。加え、その辺りの状況がよくわかりません。食べられる獣がいればいいのですが、いなかった場合、厳しいです」
「空間転移ができるのなら、補給に戻れないのか?」
エリスが案を出すも、
「無理です。街一つぶんも、レヴァ・ワンからは離れられません」
あっさりと却下された。
「最悪、自給自足ができなくもないんですけどね。エリスさんが言った通り、
「魔力をエネルギーに転換するってことですか?」
まだ試したことのないネレイドには、それで大丈夫なのかと不安があった。
「えぇ。飢えと渇きは免れませんが、それで死ぬことはなくなります」
「それは……嫌ですね」
「その辺りは私も経験がありませんので、なんとも言えませんが」
そう言って初代に振るも、
「オレもないぞ。魔物と血と肉で満たしていたからな」
まったくもって参考にならなかった。
「経験があんのはペドフィだけだ」
とはいえ、当のペドフィは絶賛引き籠り中。
「これなら、もっとレヴァ・ワンに入れておけば良かった」
「……それには幾らでも入るのか?」
エリスが尋ねる。
「えぇ、入りますとも。ただ、整理しておかないと出すのに時間がかかります。下手をすると一年くらいは」
「……そうか。それはすまなかった」
理解することを諦めたのか、少女は素直に謝った。
「問題はニューロードを通るか、未開拓ルートを使うかですが。正直、気候のほうはどのような感じですか?」
魔境時代しか知らないので、サディールは素直に訊く。
「ニューロードのほうは、お世辞にも良いとは言えない。あの辺りは湿地帯で沼地も多く、今の季節だと暑い上に虫も湧く。ただ、変わった野菜が採れるらしく、いくつかの集落が点在している」
すらすらと、エリスは答えた。
「その他の利点は、これまで同様に休憩所があるくらいです」
「微妙ですね。もし魔族たちに壊されていたら、なんの利点もありませんし」
ここまで汚されてはいたものの、建物自体は無事である。かといって、信じるには些か危険が大きい。
「未開拓ルートは?」
「先に行っておくが、私たちが知っているのは一つだけだ」
地図を広げてから、エリスは指でなぞる。
「このルートには道らしい道がない。なんでも、かつては森林地帯だったらしいが、噴火と火山そのものの崩落によって潰されたと聞く」
「あー、先代がぶった斬った奴ですね」
さらりとサディールが口にして、
「……は?」
滑らかだったエリスの言葉が途切れる。
「まぁ、そういう反応になりますよね。私もどうかと思いましたし」
「命の恩人に向かって、酷い言い草だな」
初代が文句を言う。
「私じゃなくて、ペドフィ君のですよ」
「同じようなもんだろ。あの時、おまえだってなんの対応もできなかったんだから」
「何があったんです?」
興味を引かれてか、ネレイドが口を挟んだ。
「魔族たちが、故意に火山を噴火させようとしたんだ。で、状況的に逃げる余裕がなかったから、オレが山ごとぶった斬った。ちょうど、森林地帯が魔族たちの陣地でもあったからな」
「……はぃ?」
どう考えても言葉足らずだったので、サディールは補足する。
「噴火自体は、止められる状況じゃなかったんです。だったら、こっちが先に噴火させてしまえばいいと先代が言いまして――」
一閃。
「当然ですが、火山は爆発しました。その時点で私は終わったと思ったのですが……先代はそれすらも剣閃と言うべきか剣圧と言うべきか、非常識なまでの力と速度でぶった斬り――」
爆炎や爆流する溶岩はおろか、煙すらも吹き飛ばした。
「恐ろしいことに、途中で山を斬ったほうが早いとか言い出しましてね。ものの見事にやってのけたわけですよ」
丁寧に説明したつもりだろうが、まったくもって説明になっていなかった。
「おかげで助かっただろ? 森林地帯が文字通り灰になって、土砂に埋もれたのは想定外だったけどな」
地形を変えたにしては、軽々しい感想である。
「けど、千年くらい前のことだぜ? まだ、埋もれたままだったとは驚きだな」
その質問に答えらるのはエリスしかいなかったので、
「……固まった溶岩を、攻略できなかったそうです」
渋々ながら説明する。
「正確には、沼地に道を作るほうが楽だったからだと思いますけども」
それでも、道がディアーネの街まで辿り着くのに百年以上かかっていた。
「ちなみに、上の山岳地帯はどうなっていますか?」
閑話休題、サディールが話を戻す。
真面目な話題になると、
「わー、奇麗」
ネレイドは関係ないと言わんばかりに視線を景色に移す。
「わからない。先生が言うには、超えられないことはないが時間と体力の無駄らしい。ただ、貴重な鉱石や資源があるので麓には村や集落が存在している」
「確かに、私の記憶でも面倒な所でした。魔族が住んでいなかった反面、やたらと好戦的な魔物が多くて多くて……」
本当にそうだったのか、嫌そうに多くて多くて……と繰り返す。
「だけど、山を斬る非常識な先代を戦わせるわけにもいかず、私とペドフィ君で非常に苦労しましたよ」
「あー、湖から竜が出て来たところか」
記憶を刺激されてか、初代も思い出話に花を咲かせる。
「えぇ、あれには驚きましたね」
「その時代に竜が実在してたんですか?」
脱線の匂いを嗅ぎ取って、ネレイドが割り込む。
「あぁ。話を聞いた限り、そいつが最後の一匹みたいだったけどな」
「えっ! 話もしたんですか?」
「意外にもな。しかも、平和主義者だったぞ」
初代はそう言い放った後、
「あっ……」
忘れていた何かを思い出したかのような声をあげた。
「……あっ」
遅れて、サディールも同じように漏らして、
「……」
「……」
互いに沈黙する。
「どうしたんですか?」
ネレイドが訊いても反応なし。
すると、
『……アイズ・ラズペクト』
久しぶりにペドフィが語りかけてきた。
「――えっ? なんですか? アイズ……ラズペクトって?」
しつこく頭の中で訊いてみるも、返答はなかった。
「どうやら、ペドフィ君も憶えていたようですね」
心底嫌そうに、サディールがぼやく。
「そりゃそうだろうよ。つか、ペドフィが悪い」
初代はいきなり、何かを三代目の所為にする。
「お二人の話を聞く限り、その竜に関係する問題が発生したようですが?」
釣られてか、エリスの口調も重かった。
「問題が発生したというか、放置していたと言いますか……」
「てか、もう無効じゃねぇか? それに湖ってか、山岳地帯で問題は起こってないんだよな?」
「……少なくとも、わたしは耳にしたことがありません」
「じゃぁ、無効だ無効。アイツの気が変わったか、寿命で死んだってことで」
初代の珍しい対応に、
「結局、何があったんですか?」
ネレイドは興味が惹かれた。
それに、あれほど沈黙を貫いていたペドフィが口にしたのも気にかかる。
「ちょっとした約束をしたんだよ。言っておくが、オレは戦うべきだって主張したぞ」
「私と、特にペドフィ君が止めたんです。先代はやる気満々でしたけど、危険が大き過ぎると。正直に言いますと、勝てる気がしませんでした」
「何が勝てる気がしなかっただ。レヴァ・ワンなら滅ぼすことができるって、アイツも言ってただろうが?」
「そうですよね、先代はそういうのを信じられる人ですよね」
味方を増やすべく、サディールは二人の少女に質問する。
「お嬢さん方、なんでもいいですので恐ろしい魔物を思い浮かべて下さい」
意味は分からないが、二人は言うとおりにする。
「その魔物が言いました。その剣で自分を殺してくれと。しかし、魔物の元まで行くには氷の橋を渡るしかありません。ですが、その下は人骨が沈んでいる溶岩。氷は今にも溶けそうで、しかも魔物の手には血まみれの武器が握られています」
色々と無茶苦茶であったが、言わんとしていることは理解できた。
「それでも、魔物の言葉を信じて殺しにいけますか?」
「無理です」
「無理だ」
少女たちは揃って首を振る。
「サディール。そいつはレヴァ・ワンに封じられていた、悪神を殺した時のたとえ話じゃないか」
それを持ち出すのは不公平だと初代は言うも、
「似たようなモノです」
サディールは譲らなかった。
「あの竜の台詞は幼い子供にナイフを持たせて、それで先代を殺せると言っているようなものですよ? 嘘ではないかもしれませんが、信じられるものでもありません」
必死な物言いからして、サディールは冷静ではないのだろう。
「それでどうしたんですか?」
なので、ネレイドが話の舵を取る。
「とある約束をして、休戦したんです」
「その内容は?」
「依り代となる人間を与えること。どうやら、私たちを見て、人間の身体に乗り移ることを思いついたらしくて」
「……ペドフィ様がよく承諾しましたね」
「あぁ見えて、彼は陰険ですから。自分のお仲間が欲しかったのでしょう。それに人間側に協力してくれる約束でした」
酷い言いようであるが、ペドフィは無視している。
「ただ、誰でもよいわけではなかったので。後日、力のある人物を送り届ける手はずだったのですが……」
「今の今まで忘れていたと」
沈黙でもって、サディールは肯定した。