第92話 道を継ぐ者
文字数 3,794文字
こちらもまた古の技術によるものなので、改装することもできず生きた遺産として残されていた。
それでも内装など、手を加えられる部分は変わっており、初代は哀愁を覚えることなくニケの先導に従う。
食事を終えたネレイドと初代は、王妃に招かれ移動をしていた。
珍しく、初代も人型で黒衣に身を包んでいる。
手首から足首まで覆い隠す、一繋ぎのデザイン。頭にも同色の布を巻いているからか、顔に彫られた赤い刺青が嫌でも目立つ。
一方、ネレイドは慣れない真紅のドレス姿。布地の薄さに驚きはしたものの、胸元は幾重にも重なったフリルやドレープによって厳重に隠されている。
丈も膝まであり、がら空きなのは背中だけ。
「なんか、すーすーして落ちつかない」
ネレイドは気になって、何度も首を捻る。
「ちょっとの辛抱だ。それに嬢ちゃんて呼ぶのが躊躇われるくらい見違えた。また、化けたな」
初代はルフィーアでのオシャレを出して、最後に褒めているのか微妙な言葉をくれた。
「それに歩き辛いんですよ」
靴も変わった造り。足の甲が隠せないほど浅い所為で、繋がった二つの長い紐を交差させながら脚へと巻き付け、固定しないといけなかった。
「可愛いけど」
「なら、いいじゃねぇか」
「あと頭も重い」
髪は高い位置で纏められ、銀の簪で留められている。また飾りの小さな黄金の鐘が、歩く度に儚くも心地よい音色を奏でる。
普段なら聞くことのない女性の文句に、先導するニケは動揺しながらも目的地まで黙って案内を遂げた。
扉前にいた二人に訪問の旨を告げ、
「失礼いたします。初代、そして四代目レイピスト様が来られました」
その二人が中へと取り次ぐ。
「――入れ」
男の命令口調からして、中を守る騎士のものだろう。
扉が開いたので初代はネレイドの背中に手をやり、中までエスコートする。
二人が入ると扉が閉まり、中にいる五人と顔を合わせる。
もともと最前線の砦だけあって、部屋はそう広くなかった。
この顔合わせの為だけに用意されたのか調度品の類は見受けられず、誰もが立ったまま待っていたようだ。
扉の傍に男女が一人ずつ――護衛を勤める王国騎士団と神帝懲罰機関の人間。
「お待ちしておりました」
奥にいた女性がしなやかに膝を折り、上品な会釈をする。倣うように、一歩後ろに位置する二人の少女も続いた。
ネレイドは小さく頭を下げるも、初代は泰然と構えたまま。
「私は――」
「――いい」
初代は冷たく遮って、
「あなたは王妃であろう?」
名前になど価値がないと言わんばかりに言い放った。
不遜な態度に護衛二人とネレイドは驚き、王女二人は怯え、王妃は静かに受け止めていた。
「はい、左様でございます」
「して、なんの用だ?」
この雰囲気だと自分の出番はないだろうと、ネレイドは早くも気を抜く。話を聞くよりも、王妃たちの姿に注目。
揃って、質素な装い。ただ、ネレイドが着ているドレスよりも布が圧倒的に多く、裾が床にまで達している。
銀色の髪は夜の月を想起させ、彩る金細工は星々のよう。瞳は青く、娘たちに限ってはそこに他の色彩も絶妙に混ざって、神秘的な虹の輝き。
「我が夫を助けていただきたく――」
「無理だ」
またしても、初代は言わせなかった。
「王たる者が民を追い出したのだ。しかも一人ではなく、王子を連れて――その意味がわかるか?」
前半は厳しかったが、後半は優しい物言いだった。
「……はい」
涙声で王妃は理解を示す。幼い王女たちはわかっていないようで、不安そうに母親の背中を見上げている。
姉は十代だろうが、顔立ちと背丈からしてネレイドより幼い。妹はその半分程度の背丈なので、五、六さいといったところ。
「ご夫君に関しては諦めて貰う他ない。よしんば間に合ったとしても、自ら命を絶つ所存であろう」
ネレイドは悩む。いつもみたいに質問をするべきかどうか。
初代の雰囲気呑まれてか、室内の空気は重い。
王妃と王女は今にも泣きだしそうだし、護衛の二人は気まずそう。耐え忍んでいる様子からして、口を挟むなと命令されているのだろう。
「あのー、それってどういう意味ですか?」
なので仕方なく、ネレイドは訊いてやった。自分以外、この状況で無駄口を開ける人はいないだろうという判断した次第である。
「王が民を逃がしたのは、彼らを死なせない為だ。現に旧聖都カギのほうでは、大勢が死んでいるらしいから間違いない。ただ問題として、王は結界を発動させている。それが本人の意思か、強制されたのかまではわからないがな」
「それって――」
ネレイドはどっちにしろヤバいですね、と言おうとした口を噤む。
「どちらにせよ、結界の発動には王家の血――魔力が必要だ。王子を残したのは自分が
「つまり――」
いざって時の予備ですね、と言いかけて堪える。
せっかく、初代が王女たちにはわからないよう伝えてくれているのに、自分が噛み砕いたら意味がない。
「王子の年はいくつだ?」
初代は王妃に問う。
「十五になります」
「なら、仕方ないか。それに王の命令であったとすれば、王子とて従わずにはいられまい」
「助けるか――」
やっぱり、自分は口を挟むべきではなかったとネレイドは後悔する。
先祖たちとの会話に慣れ過ぎた所為で、無自覚に酷い台詞が飛び出てしまいそうだった。
助ける価値がありますね、なんて家族の前で言っていいはずがない。
「それに先王の罪を贖うには、その事情と最期を知る者――そして、玉座を継ぐ者が必要であろう」
「……はい。心得ております」
夫は無理だが息子は助けてやる、と初代は回りくどく説明していた。
もしかすると、王女たちに対する配慮とか関係なく、これが王家のやり方なのかもしれない。
だとしたら、面倒だなぁとネレイドは思う。それで馴染めなければ、生来下賤の身と蔑まれるなんて……本当に酷すぎる。
「では、話はこれでしまいであるか?」
「いいえ。こちらの方に――四代目レイピスト様にお渡したいモノがございます」
「えっ?」
いきなり矛先を向けられ、ネレイドは間の抜けた声をあげてしまう。
神帝懲罰機関が大きな木箱を王妃に手渡し、
「――これを」
それから、ネレイドに差し出される。
「なんでしょうか?」
抱えるほどなのに、そんなに重くはない。
なんというか、中身の重さが感じられなかった。
「代々、王家に伝わる戦装束と聞いております」
「初耳だな」
「王妃にのみ、伝えられていたモノでありますので」
「なるほど。しかし、それが戦装束というのが妙だな。それとも、かつては王家の女性も戦っていたというのか?」
初代は尋ねるも、王妃は静かに首を振った。
「それはわかりません。ですが、これは貴方様が身に纏うべきだと私は思います」
「……それって、おかしくないですか?」
王家に対するイメージが良くないからか、ネレイドは素直に受け取れなかった。
「王家はレイピスト様を追放したんですよね? だったら、私は関係ないはずです。それにその血だって途絶えた以上、私と王家にはなんの繋がりもないと思いますけど?」
なのに初代は怒らないから、つい爆発してしまった。
「きっと、なんの繋がりもないのは私たちのほうなのだと思います。それでも王家の一員として生きてきた以上、もはやそれを口にする権利はありませぬ」
王妃は気を悪くした素振りもみせず、それでいて堂々と主張する。
「たとえ偽りだとしても、私たちはそう生きてきたのですから。今更、偽りだからといって民たちを投げ出すことは許されません。何より、王家の一員としての矜持が許さないのです」
対して、ネレイドは卑屈になっていた。比べても意味ないのに、相手を羨ましく思ってしまう。
王家と英雄、高潔さと鬼畜、偽物と罪人。
とてもじゃないが、ネレイドには矜持なんて持てなかった。
「それでも、これは正統たる後継者が持つべきモノ。せめて、返せるモノだけは返すべきだと私は思っております」
代々、王妃に伝わっていた戦装束。
きっと、人によってはこれこそ誰にも渡せないと
けど、自分を偽物と言った王妃は違った。
その立場と民は返せないけど、これならいいと差し出してきた。
「……返さなくて、いいってことですか?」
「はい。それは貴方が持つべきモノです」
ネレイドは抱えている木箱を受け入れるよう抱きしめ、
「わかりました。確かに、お返しいただきました」
毅然として言い放った。
「それでは。貴方がたのご武運をお祈りいたします」
王妃は両手を固く握り締めて、恭しく膝を折る。
王女たちもそれぞれ続いて――
「あなた様のご武運をお祈りいたします」
「……ごぶうん、おいのりします」
小さな祈りを捧げてくれた。