第119話 その後の顛末
文字数 5,115文字
それも一目で高位の神職者とわかる仰々しいデザイン。
幾重もの布地を重ねた上衣に、地面に引きずるほど長い裾。ヴェールも同様に長くて、もはやマントのように背中でなびいている。
髪は一切見えず、目に入る色彩は四色。法衣の白と青。ロザリオやヴェールに付随した金色。
そして、見覚えのある緑色の瞳。
「……ネレイド?」
大人への移行段階に差し掛かった青年――ピエールは自信なさげに呟いた。
断言できないのは、顔に一切の表情が浮かんでいないから。
その少女は良くいえば神秘的で、悪くいえば人形のようだった。
実際、姿を現した時も二人の神職者に手を引かれていた。
場所は旧聖都カギの大聖堂。
蘇った悪魔によって都は滅ぼされてしまったが、ここだけは神のご加護によって難を逃れた――というのが、教会の言い分であった。
そして、奇跡の一端を担ったのがこの少女だと云う。
その恩恵にあやかろうと、更地となった旧聖都には沢山の人々が訪れるようになっていた。
ピエールもその一人である。
教会と王家の連名で、悪夢の終わりを告げられてから早一年。
順風満帆とはいかないものの、人々は復興へと進んでいた。
特に教会には大きな変動があったようで、神帝懲罰機関なる組織が消滅したと聞いている。
なんでも、結果的に悪魔を蘇らせてしまった贖罪とか。
真相は不明だが、教会に責任の所在があるのは明らかのようで、積極的に人助けと街の復興に努めていた。
その証拠に、聖都も旧聖都も未だ更地のまま。瓦礫やゴミなどは撤去されているものの、当分は手を付ける予定はないとのこと。
少なくとも傷ついた街や人々が元気になるまで、教会は他者の援助を優先すると宣言していた。
これもその一環である。
この奇跡の少女は、穢れや魔を浄化してくれるという話だった。
一人ずつ、丁寧に相手をしているところからして誇張ではない様子。
奇跡の少女の祝福を受けた人たちは涙を流して、感謝の言葉を口にしている。
「……」
一応、ピエールも祝福を受けに来たのだが、周囲を慮って辞退することにした。
こうも若い女性が多いと、事情を察せざるを得ない。
証するように、子連れはいても夫の姿は見当たらなかった。
教会側もそれをわかっているのか、様々な勧誘をしていた。
それを見て賢いとか、あくどい思ってしまうのは間違いなく、あの鬼畜たちの所為だと、ピエールは苦笑する。
結局、彼らは鬼畜のままだった。
現代に生きる子孫の身体を奪って、悪魔と戦い、共倒れしたと教会は触れ回っている。
けど、それが嘘だとピエールは知っていた。
あの人たちは確かに鬼畜だったかもしれないが、子孫の身体を好きで奪ったわけではない。
しかし、何故か教会はネレイドの存在を語らなかった。
それはピエールも望んだことではあるが、何やら雲行きが怪しくて素直に喜べない。
現に名前はともかく、秘された少女の存在を知る者はいる。
それどころか、その少女の立場を巡って
だからこそ、ピエールは逃げて来た。
しばらくは幼馴染の為に行動していたものの、事態は自分の手に負える段階を超え――この問題を解決するには、教会の協力が必要不可欠だと。
また、奇跡の少女がネレイドなのかどうかを確かめなければならないと、馳せ参じ次第であった。
ここに来るまで、ピエールは違うと思い込んでいた。あのネレイドに、奇跡の少女なんて役を演じられるわけがないと。
「――あなたはよろしいのですか?」
一人で考え込んでいる間に、他の人たちは祝福を終えたようだった。
祭服を着た女性に声をかけられ、ピエールは覚悟を決める。
「お願いします」
ゆっくりと、少女の元へと歩く。
祭壇の前で少女は突っ立っていた。そこに感情は見つけられない。疲れている気配すらなく、ぼーと別世界を見ているように瞳は遠い。
「どうぞ、お手を」
手を握る行為にすら補助が必要なのか、傍に控えていた神職者が少女の手を掴んで誘導する。
ピエールは壊れ物を扱うように握ってから、
「……ネレイド?」
呼びかけた。
瞬間、空気が変わった。
神職者たちの瞳が細まり、警戒されているのがわかる。
そんな中、奇跡の少女は手を伸ばしてくる。
少女の手はピエールの頬を包み込み――子供みたいにあどけなく笑った。
「ネレイド……」
意識せず、ピエールは泣いていた。
幼馴染が別人のようになってしまったのが悲しいのか、それとも僅かでも自分を覚えているのが嬉しいのか……。
「あ……」
ネレイドの手は何事もなかったかのように下ろされ、また神秘的な無表情へと戻る。
「お話を伺ってもよろしいですか?」
そして、事務的な神職者の声がピエールの耳に届いた。
大聖堂の一室で長い時間、ピエールは待つ羽目になった。
室内には一人きりだが、扉の外には誰かがいる気配がある。
目移りする物すらない質素な部屋だったので、暇を持て余すしかなかった。
それからしばらくして現れた女性は、
「あなたが、ネレイドの幼馴染のピエールさんですか」
開口一番、理解を示してくれた。
「はい。あの、あなたは?」
疑われずに良かったと、ピエールは信用してくれた人に名前を尋ねる。
「エリスと申します」
銀髪の長い髪に淡い紫の瞳。
年はそう変わらないだろうに、可愛いではなく奇麗としか形容できない雰囲気を醸し出している。
「あなたのことは、レイピストから聞きました」
「そう、ですか」
白を基調に青い十字のライン――見慣れた祭服でありながらも、ピエールはついつい目をやってしまう。
顔だけでなく、身体つきも大人びていた。
「……あの、ネレイドはどうしてしまったんですか?」
神職者に対して失礼だと勝手に羞恥心を抱いて、ピエールは率直に訊く。何か話していないと、雑念が鎌首をもたげて仕方がなかった。
「彼女はレヴァ・ワンに呑まれてしまいました。わたしもそうなった後でレイピストに聞かされた身ですので、詳しい理由はわかりません」
「そんな……呑まれたって?」
「ご覧になった通りです。一人では何もできず、何を考えているのかもわからない」
赤子より手はかからないが、意思疎通も図れないとエリスはぼやく。
「じゃぁ、ネレイドの意思でやっているんじゃないんですね?」
「レイピストの許可は頂いています。それに、彼女を守る為にも必要なことです」
少年の義憤を褒めるよう、エリスは微笑を浮かべる。
「あのコの傍には、常に誰かがいてやらなければなりません。ですが、今の教会にそのような余裕はない。また、あのコの存在を良く思っていない者も沢山います」
わかりますね? と銀の髪を揺らして、
「閉じ込めておくよりは、ああして人目に触れさせたほうが安全なんですよ。それに、彼女の存在は人々の救いにもなります。そして、その場面に立ち会えば――何も知らない神職者たちも、彼女の為に働いてくれるようになることでしょう」
エリスは説明を続けた。
「ピエールさん。
「……ええ」
既に知っていたのかと、ピエールは気落ちしてしまう。
「でも、どうしてそんなことに?」
どうしてか、ネレイドがアルベの街を滅ぼした犯人とされていた。それどころか、諸悪の根源だと断ずる者すらいる。
「アルベの街を滅ぼしたのは悪魔です。ただ、その姿は人間の少女に黒い翼を付けたもの。奇しくも、ネレイドと似ていたんですよ」
堕ちた天使や神の名称を出すと説明が面倒なので、教会はすべてをわかりやすい悪魔の所為にしていた。
「彼女も黒い翼を付けて戦っていましたので」
それで利用されたのだと、エリスは推測する。
「噂では、どちらも黒い翼の少女ですからね。それがどこかで混ざり合って、区別が付けられなくなったのでしょう」
意図的に、そう仕向けた人間がいる。しかも、犯人は教会に属する者に違いない。
アルベが滅ぼされた今、五芒星の街の人たちはネレイドを知らない上にレヴァ・ワンに助けられたとも思っていない。神帝懲罰機関が救済に動いたのもレヴァ・ワンがいたからこそなのだが、教会が正直に話すはずもなく――当然、自分たちの手柄にしていた。
つまり、教会にとってネレイドは邪魔なのだ。
事実、彼女に救われたルフィーアより西の街では教会は役立たずと認識されている。
あの絶望から救い出してくれたのはレヴァ・ワンを手にした少女であり、神でも教会でもないとして。
「だから、あのコを
加え、今のネレイドを移動させるのは単純に面倒で危険だった。
「そう、だったんですね」
純朴な少年だとエリスは微笑ましく思い、胸に隙間風が吹き込む。
ネレイドも同じ感性を育んでいたはずなのに……。
自分が知る彼女はどこかズレていて局地的な非情さ――鬼畜の片影を滲ませていた。
「あなたには教えておきますが、ネレイドが元に戻る可能性はあります」
「本当ですか?」
「えぇ、レイピストが連れて帰ると言っていましたので――信じていいでしょう」
もっとも、それがいつになるかはわからない。
既に一年も経っている。
「
あくまで神帝懲罰機関がその名を棄て、勝手に教会を名乗っているだけで結合したわけではなかった。
本来、教会を名乗っていた者たちからすればネレイドも神帝懲罰機関も疎ましい存在のはず。
結局、彼らが役に立たなかったことを多くの人が知っている。
神帝懲罰機関が女だけで構成されていたこともあり、男の神職者は終わった後でしゃしゃり出てきた厄介者でしかなかった。
実際、
それでも本人たちに自覚はないのか、露呈した無能さを隠そうとただただ必死だった。
矛先をレイピストへと向け――すべての罪を押し付けようと、日夜精力的に活動を続けている。
城塞都市アレサでは知っている者がいるし、僅かながら恨まれてもいる。また神帝懲罰機関の中にも、四代目レイピストを恨む者は少なからず存在した。
他にも、今回の一件で王家や教会に反感を覚えた者たち。
罪のほとんどを神帝懲罰機関と悪魔に被せたものの、それで納得してくれる人ばかりではない。
とはいえ、でっち上げた内容に無理があるのは承知だった。
ナターシャの干渉を排除して、最初から死と引き換えに悪魔を召喚する計画だったという筋書き。
だが、王都と旧聖都カギの件はそう簡単にはいかなかった。
まず、王の命令で王都の民が追放されたこと。しかも、無人となった都に現王――当時の王子が残されていたのは周知の事実。
かといって、神帝懲罰機関を悪役にしすぎると今後の活動――名称を変えたあとにも差支えが出てくる。
そういった点を踏まえ――魔族たちの悪魔召喚に気づき、それに対抗せんとしてこちらも聖域に眠る神獣に頼った結果、と民には説明していた。
つまり、不幸な事故というわけだ。
ちなみに、旧聖都カギにいた者たちは殉教者になって貰った。死人に口なしとはいえ、中々に酷い所業である。
そうして魔族の召喚した悪魔、四代目レイピスト、神帝懲罰機関が呼び出した神獣による戦いとなり――旧聖都カギと共にすべてが消え去り、奇跡の少女だけが大聖堂と共に生き残ったという……。
改めて考えると、酷い顛末だった。
仮にも、神帝懲罰機関と王家が協力したとは思えない仕上がり具合。
時間の問題があったとはいえ、もう少しなんとかならなかったのかとエリスは思ってしまう。
ただ彼女はその時、限りなく私情に近い別件で動いていた為、話し合いには参加していなかった。
ネレイドを守る為には組織に属さない味方がどうしても必要だったので、探しに行っていたのだ。
そう、かつて城塞都市アレサで見逃した魔族――ヘーネルを。