第62話 いつかの答え
文字数 4,283文字
翌朝には、ネレイド一行は旧都と
「なんか、歩き辛いですね」
ネレイドがぼやく。
道こそあるものの、ニューロードと違って舗装はされていなかった。邪魔な小石を取って、地面を均しただけ。
せっかく久しぶりに柔らかい寝台で休めて、髪も身体も奇麗にできたというのに、残念な気分である。
「この道を使うのは基本的に商人だけ。それも馬車に大量の荷物を積んで通るそうだから、地面のほうが都合がいいのでしょう」
早口にエリスが説明する。
放置された家畜さながらのヴィーナよりはマシではあったが、気持ちとしてはもう少し残っていたかった。
それに出立の直前になって、何処に隠していたのかサディールが拷問していた魔族を引き渡していたのも気にかかる。
「それでしたら、整備した道のほうが良いのでは?」
羽虫型のサディールが疑問を呈する。
頭の上に乗られてエリスは苛立つも、
「常に整備が行き届いた状態を保てるのなら、そうですね」
気にしないフリをして、答えた。何度か払ったものの、自分の髪が乱れるだけだったので諦めるしかない。
「……どういうつもりですか? あの状態の魔族を引き渡すなんて」
ネレイドに聞こえないような小声だったので、
「ディアーネの人たちは、一ヶ月持てばいいほうだと言ったのを憶えていますか?」
サディールは応じる。
「それが何か問題でも?」
「昨日の段階で解放しましたので、街の人たちは元気だったということですよ。全員がその元気を復興にあててくれれば良いのですが、そういう訳にもいきません。
奴隷
という、人間としての尊厳を踏みにじられた
時の怒りは尋常ではありませんので」特に男は酷い。現に女たちが誰かと自由を喜び合っている間、雄叫びをあげたり物を壊したりしていた。
「その鬱憤は早めに晴らしてやらないと危険です。放っておくと、暴力、女、酒のどれかに溺れる可能性が非常に高い。その為にも、あの男が必要だったのですよ。たとえ、不謹慎であろうともね」
「ヴィーナで必要なかったのは、あの人たちには怒る元気もなかったからですか?」
「えぇ。それにあの人たちの多くは、自分自身の罪と向き合うのに精一杯でした」
怒りを露わにするのは、自分に怒る資格があると思い込んでいるからに他ならない。
だからこそ、罪の意識を持ったり自分が悪いと思い込んでしまうと、人は怒りを表に出すことができなくなる。
「それはそうとして、覚悟は決まりましたか? もしくはマテリアさんから、何か助言はありました?」
「……先生に相談したところ、自分で決めていいと」
「つまり、反対する理由はないということですね。それでも賛成しなかったのは、あなたに対して負い目があるか、純粋に心配しているかのどちらかでしょう」
エリスの同行を提案したのはマテリア。まともな感情を有していれば、負い目も感じるし心配もするであろう。
なんたって、同行するのは
肉体を有しているのが少女だけとはいえ、安心できるものではない。
「まぁ、悩んでいる時は誰かに相談するのも一つの手です。たとえば、お嬢さんにとか」
「あの娘に訊いて、どうする?」
エリス的にはあり得ない相手だったのか、速攻で否定された。
「まさか、先代のほうがマシとかいいませんよね?」
「率直に言わせて貰えば、あなた方の中で一番礼儀を尽くすに値すると思っている」
今度はサディールのほうが、
「……馬鹿なっ!」
あり得なくて否定する。
「ちょっとお嬢さん、訊いてください。このエリスさんが、先代が一番礼儀を尽くすに値するとか言うのですが?」
いきなり話を振られたネレイドは首をかしげる。
話題に出された羽虫型の初代は、
「年長者なんだから当然だろ」
ここにきて常識的な返答をした。
「うーん、サディール様は面倒くさいんですよ。レイピスト様と違って、わかりにくい冗談とおふざけが多いといいますか……」
ネレイドからすれば、エリスの認識は間違っていると言わざるを得ない。
が、サディールよりマシという点は同意であった。
「レイピスト様は最初から非常識な人だってわかっているから、変なことを言われても納得……できるかな? でも、サディール様は常識や話が通じると見せかけて、色々と酷いですからね」
「まったく、その通りだ」
初めて意見があったのか、少女二人は笑みを合わせていた。
「熟考した上で長々と言われると、堪えますね……」
自分で訊いたくせして、サディールは落ち込んでいた。
「つか、なんでそういう話になったんだ? 今更、過ぎんだろ」
初代の質問をこれ幸いにと、
「エリスさんが迷っていたので、誰かに相談したらどうかと勧めたんです」
サディールは飛びついた。
「誰も相談したいとは言っていない」
エリスは言いながら目を伏せると、
「何を迷ってたの?」
ネレイドが気安く訊いてきた。
相変わらず口の訊き方がなっていなくて、
「……っ」
エリスは苛立ちを覚える。
「竜の依り代になるかどうかです」
と、これまた勝手にサディールが話す。
「なーんだ、そんなことか」
「そんなことって!」
軽んじた発言に我慢ができず、エリスは反応してしまう。
「どうせ、これよりマシでしょ?」
二匹の羽虫を指さして、ネレイドは言う。
「それに一匹だけなら、可愛いもんじゃん。まぁ、竜なんて絵物語でしか見たことないから、可愛いかどうかがわかんないけど」
「絵物語の竜とは、ちょっと違いますね。名乗られるまで、私は竜と思いませんでしたし」
慣れたもので、これ扱いされてもサディールは平然としていた。
「ほら、やっぱり駄目じゃない、こんなコに訊いたって……」
そのやり取りを見て、エリスは年頃の娘らしく愚痴を漏らす。
「しゃぁない。少しは年長者らしいこともするか」
そう言って、初代は位置を変える。
白から黒のヴェールへ。
「では、私はお嬢さんとお喋りしています」
二代目は黒から、白のヴェールへ。
「別に、相談に乗っていただかなくても大丈夫です」
「安心しろ、おまえの話を聞く気はない。ただ、忠告するだけだ」
尊大に少女の気持ちと言い分を無視して、初代は指摘する。
「迷っているなら、止めとけ。もし竜に悪意があった場合、おまえの精神は壊されるぞ」
「……精神を?」
「あの竜の本音は自由が欲しいだけだ。つまり、必要なのは生きた人間の身体であって、おまえの意志はいらない」
あの竜は湖に縛られていると初代は繋ぎ、
「それに人間に協力する約束だが、依り代の人間をどう扱うかについては何も決めていない。共存できるのなら問題ないが、そうでなかったら精神の殺し合いだぞ」
宣告通り、忠告をした。
「そうなった場合、迷っている人間に勝ち目はない」
「……そうでなければ、勝てるのですか? 覚悟があれば……?」
前言を撤回して、エリスは相談していた。不安でどうしようもない少女のように、声を震わせながら漏らす。
「勝てる。以前、サディールの言っていた例え話を憶えているか?」
「はい」
魔物の言葉を信じて、氷の橋を渡って殺しにいけるか否か。
「あいつ自身、経験がないからだろうけど、ありゃ説明不足だ。あれには一つだけ、足りない要素がある」
たった一つで変わる問題ではないと思うが、少女は黙って傾聴する。
「言い出した魔物自身、信じていないんだ」
「……」
「だから、迷いながらやって来た人間を殺してしまう。信じられなくてな」
今にも溶けそうな氷の橋、下は人骨の浮かんだ溶岩。恐ろしい魔物は血の付いた武器を持って、対岸の人間にその剣で殺して欲しいと頼む。
だけど、その魔物自身――信じて貰えるとは微塵も思っていない。
「……」
情報が更新されても、エリスの答えは変わらなかった。
――結局、無理だ。
「この問題の答えは魔物の言葉を信じて躊躇わずに進むことだが、それだけじゃ足りないんだ。それだと、自殺志願者でもクリアできちまうからな」
「あっ……」
その言葉でエリスは思い出す。これは初代レイピストがレヴァ・ワンを手にし、封じられた悪神の頂点を殺した例え話だったと。
「もちろん、信じるのも躊躇わないのも必須ではある。だけどそこにもう一つ――強さが必要なんだ」
「強さ、ですか?」
「あぁ、
強さ
だ。魔物は向かってくる人間を見ている。そいつがただの命知らずか、それとも本気で自分を殺しに来ているのかどうかを。どうせ死ぬなら、苦しまずに死にたいだろう?」「……返答に困ります」
教会の教えで自殺は許されないどころか、考えることすら罪である。
「じゃぁ、おまえが悪魔に操られたとする。それで殺してくれと頼んで、やって来たのがオレと嬢ちゃんだとしたら?」
「……もちろん、あなたに頼みます」
「そういうこった。もし端から魔物を信じられないんなら、嘘だと思っていてもいい。その場合、必要なのは迷いのない強さだけだ」
ここにきてエリスは思い知る。
「余裕ぶっている魔物をビビらせる気迫と、構える暇も与えずに叩き斬る速さと力があれば事足りる」
……やはり、初代レイピストは非常識だと。
そんなのが答えでは、設問として問題があり過ぎる。
「あなたの真似は無理そうですが……ご忠告、心より感謝いたします」
それでも、彼の言わんとしていることはわかった。
――覚悟を決めて臨むのは前提条件。
確かに、迷っていては話にならない。勇気を出したとしても、弱ければ意味がない可能性もあるのだ。
「もし、オレの真似ができるようになったら言ってくれ。その時はレヴァ・ワンを譲ってやるよ」
エリスはゆっくりと首を振る。
「それは無理でしょう。あなたは恐ろしい魔物なんかではなくて、
最強
の魔物ですから」たとえ自分がどれほど強くなったとしても、初代レイピストに立ち向かいたいとは思えなかった。