第113話 転生、別れ、流転する魂
文字数 4,946文字
物騒な発言をしたサディールは動かないものの、臨戦態勢を保った状態。声をかけるのも躊躇われる空気を発している。
「感情的になったと思いきや、存外冷静のようだな」
褒めるような笑みを浮かべ、ナターシャが言う。
「理解していない者たちにも、教えておいてやろう。今の私では、お主たち全員を相手にすることはできぬ」
そう口にしながらも、表情には余裕しか見受けられなかった。
「だが、お主たち全員を巻き添えにすることは可能だ」
世界を映していた水鏡が色を失い、元の奇麗な水へと戻る。ただ、その流れは明らかに意思を持った動きを見せ、発言に重みを乗せていた。
「私がここにいたのは、世界を観測していたからではない。ここが何処よりも、安全な場所だと知っていたからだ」
「つまり、外にいる神さえ恐れるに足らないと?」
「さすがはサディスト。その通りだ。ヴァンダールは契約に縛られて、この大聖堂を破壊できない。あとはレヴァ・ワンだが、仮にもこの場所は水の大天使が遺した聖域。お主たちの
自分の特性――水に目を転移させられないところからして、サディールは嘘ではないと判断する。
「その水に干渉できるということは、今のあなたに魔力はないと?」
「本来、水鏡の観測者に選ばれるのは魔力が少ない者だ。そういった者は、この場に長くとどまることで魔の力を薄めることができる」
「やはり、ゼロにはならないんですね」
この時代になって、魔物の血に目覚めるモノがいたのと同じ理屈なのだろう。どれだけ薄まり見えなくとも、なくなるわけではない。
「もしかして、それでレヴァ・ワンを攻略できたと思っています? 喰われる魔力が乏しければ、命を奪われる恐れはないとでも?」
「そうだ。やはり賢い――」
今度はサディールが笑い声をあげた。
相手を嘲るよう、口元を大きき歪ませている。
「あーはっははは。失礼。でも、あなたがあまりに馬鹿げたことを抜かしやがるのでつい」
「……その方法では、レヴァ・ワンに呑まれると?」
気を悪くしてはいるようだが、ナターシャは素直に求めた。
「えぇ、無理でしょう。先代ならきっとこう言います。おまえはただ小賢しいだけだ――ってね」
本気なのか演技なのか、見分けがつかないほどサディールは豪快に笑う。身体を曲げ、腹を抱えるどころか涙まで滲ませて。
「おそらく、死ぬことはないでしょう。所詮は魔を喰らう剣で、人間の為に創られた代物ですから。でも、決してあなたが選ばれることはありません」
その目的を果たさんとしてきたナターシャ――いや、堕ちた天使には致命的な一言であった。
「……何故だ?」
腹の底から持ち上げたきたような、重く汚い声。
「あなたが弱くて、自分以外を信じられないからです。しかも、それを受け入れる姿勢もない」
はっきりと、サディールは言ってやる。
「あまつさえ、あなたは理解した気でいる。自分の能力はおろか、レヴァ・ワンのことさえも――」
初代レイピストにも、話に聞く神を殺した少女にも――サディールは微塵も勝てる気がしない。
劣等感を抱く隙すら与えないほど、レヴァ・ワンに選ばれた人間は強くて何処かおかしかった。
「あなたは都合のいい情報ばかりを並べ立てて、それで勝手に満足しているだけです」
そう、自分と同じように――ここまで、ナターシャに誘き出された愚か者と同じである。
「どうやら、私はあなたを買いかぶっていたようだ。狂おしいほどの恋をしているのかと思いきや、ただの自己愛撫だったとは」
その感情を否定されるのだけは許せなかったのか、
「――黙れ!」
ナターシャは激高した。
「裁きの天使でしたっけ? あなたはその責任から逃げただけなのでは? そして、その理由に彼女を――
「――違う! 私は彼女を愛していたからこそっ!」
「そういえば、先ほど竜が面白いことを口にしていましたね」
――もう、彼女を真似るのは止めたのか?
視線だけでサディールは説明を求め、
「もともと、天使に形はない。だから、堕ちた天使は彼女の姿を象っていた。そのままにな」
竜が応じる。
「私が思うに、あなたは人間がいうところの『恋』をはき違えていた。いや、理解していなかったのでしょう」
ただ、恋に恋をしていただけ。
もしくは、聞こえがいい恋を利用した。
「怠惰、責任放棄、裏切り、罪――そういった概念から逃げる為だけに、あなたは人間たちが賛美していた恋や愛を持ち出したのだ」
「――違う! 私はっ!」
また、視線だけでサディールは求める。
「憧れ、だったのではないでしょうか?」
「誰かを真似るのは、わたしにも覚えはあります」
ユノとエリスが答えながら、一歩を踏み出す。
しかし、その行動は間合いを詰めるといった類のものではない。
「その人のようになりたくて、同じ物を身に付けたり。同じ仕草をしたり」
当時を思い出すように、ユノは短剣を取り出してそっと撫でる。
「でも、それは弱い自分が嫌いだったからです」
エリスも同じ行動をとる。
「可哀そうに、あなたは人間として生まれ変わった時にも恋ができなかった。いや、恋という感情を恐れていた。本当の恋を知ってしまえば、自分の勘違いが露呈することを知っていたから」
「このサディストが! おまえの趣味に付き合う気は――」
「――神帝懲罰機関だけが変わらなかった。そこから教会が生まれ、その教会が色々と変わってしまった中でもずっとだ」
その異名に違わず、サディールは他人の弱みを見逃さない。
たとえ相手が天使であろうとも――
「あなたが真に恋をしていたのなら、そんなことがあるはずない。あなたが真に彼女を愛していたのなら、迷うことなく
「そんな一時の感情だけで、成し遂げられるモノでは――」
「愚かな。恋や愛を語る上で、その感情を否定するとは。やはり、おまえは小賢しい」
「わた、しは……!」
「もしかすると、
打算から堕ちた
のではないか?」サディールは煽りに煽る。
徹底的に感情を乱してからトドメへ――ユノとエリスの短剣を奪って、ごく自然に突き刺した。彼女たちも随分と鍛えられたもので、抜きやすいよう鞘を持っていてくれた。
「がっ……」
「人間はこんなちっぽけな武器でも、死ぬんですよ」
これだけの面々が揃っていたからこその奇襲。
加え、典型的な魔術師。また刃の付いた武器を禁忌とする、表の教会に属するサディールだから成り立った。
人間の都合、欲望が及ばない事柄について彼は教会の教えに忠実である。
「……人間としての、ナターシャさん。何か、言いたいことはありますか?」
短剣を胸と腹に突き立てながら、サディールが尋ねる。
「わた、しは、この、世界を……正したかった。間違った教えも教会も……そして、レヴァ・ワンもすべて消し去って……」
「それで、堕ちた天使に協力を?」
「もう、わかりま、せん。わたしがいつから、わたしでなくなったのか。わたしの考えなど、あの妄執の中ではちっぽけ……だった。だから……」
不意に、ナターシャは子供みたいな笑みを浮かべる。
「馬鹿、みたい。わたしがやろうとしていたことは……ただの言い訳でした。自分は、命令に従っているんじゃない。ちゃんと、人間として考えているんだって……。ちゃんと、生きた人間なんだって……」
「えぇ、あなたは人間ですよ。人間として、死なせてさしあげます」
サディールはそう告げて、二人を寄こす。
「……すみません。後を託します。勝手な我儘に聞こえるかもしれないけど……」
ユノとエリスは何も言わず、黙って聞いていた。忙しなく唇が歪んでいることからして、わざとではないのだろう。
「……沢山の、子供たちの手を引いて歩いてきたの。わたしが連れて来た子供たちも……沢山いるの。その子たちがまた……独りで泣かなくても済むように……どうか」
果たして、二人が声をかける前にナターシャは息絶えた。
けど、ずっと握っていた手から交わされたモノもあるに違いない。
「あの人は結局、何者だったのですか?」
ニケが気まずそうに訊く。
「前世の記憶に苦しめられた、可哀そうな女性ですよ」
「魂は巡る、という話でしょうか?」
「えぇ」
きっと神帝懲罰機関で育ってなければ、ここまで浸食されることはなかったはず。
前世の記憶と一致するモノがあまりに多すぎたから、彼女は本当の自分を見失ってしまった。
「ですが転生というのは、生まれ変わりであって成り代わりではありません。たとえ、同じ魂を持って生まれたとしても――」
――死者は成長しないのだから。
「どうした? あまり嬉しそうではないな」
「ペドフィ君もいい加減、人の気持ちを察せる人になりません?」
「外れていたところもあったが、概ねはおまえの推論も正しかった。いつもなら、もう少し喜んでいると思うが?」
「……察していて、それですか」
「どうせ死ぬんだ。今更、変わったって仕方ないだろう」
一理あったので、サディールは小言を引っこめた。
「いいように乗せられた自分が恥ずかしいんですよ。それに、ナターシャさんはちゃんと生きていました。私は短剣を突き立てるまで、それに気づいてやれなかった。堕ちた天使と決めつけて……酷いことをしました」
「相変わらず、おまえの理屈はわからない。アレを酷いことだと思えて、よく女を虐められるな」
「戦士が戦場で人を殺すからといって、日常生活でも平気で人を殺すわけないでしょう?」
一緒にされたくないのか、ニケの顔は不服そうだった。
「ニケさん、これでお別れなんですからいいじゃないですか」
サディールは明るく言って、
「ユノさん、エリスさん。あとは頼みますよ」
二人にも声をかける。
「……色々と、迷惑かけたな」
小突かれて、ペドフィも挨拶をする。
「どういうことですか?」
理解が追いつかず、エリスが意味を問いただす。
「残りは神と本物の堕ちた天使です。もう、人間の出る幕ではありません」
「なら、わたしも――」
「えぇ、エリスさんは来ても構いませんけどお勧めはしません。だって、あなたは託された人でしょう?」
「……」
「いい加減、亡霊は消える時です。教会に属していた者として、私はナターシャさんの遺言に従おうかと思います」
「おれは望んで蘇ったわけじゃない。だから、もう二度と戻ってこないよう徹底的に自分を壊すつもりだ」
誰一人として、止める言葉を持ち合わせていなかった。
それでも、ユノとエリスは揃って二人の亡霊に近づいて行く。
「――救国の英雄、サディール・レイピストよ」
「――解放の英雄、ペドフィ・レイピストよ」
エリスの気遣いに、ペドフィは零すような笑みを浮かべる。
「――お二方の献身、心より感謝いたします」
ユノとエリスは声を揃えて、慣れた仕草で十字を切った。
今となっては、この行為に意味はないのかもしれない。
けど、この方法以外に祝福を送る術を知らなかったのだから、どうしようもない。
かといって、それを口に出すとキスの類をサディールに求められるのはわかりきっていたので、慣れたやり方で見送ることにした。
「――ご武運を」
ニケも敬礼で送ってくれる。
かけられた言葉は的外れだったが、気持ちだけは受け取ることにした。
「ではお嬢さんを――私たちの子孫をお願いします」
「ネレイド。できるなら、あいつにそれ以外の名前を与えないでやって欲しい」
そう言い残して、二人の英雄は姿を消す。
今の時代――いや、この世界から。
そうして今度こそ、安らかな眠りを求めて……