第97話 空気の読めない冷たさ
文字数 3,349文字
サディールは地面を踏み鳴らし、地面を起立させる。
ゼロから生み出すのと、そうでない違い。
そして、常日頃から扱える筆頭は大地と風――現に苦手と宣言していた初代でさえ、風に魔力を注ぎ込むことはできる。
「オマエ、何してる?」
石板は周囲を覆うよう――サディールと魔獣を閉じ込めていた。
「虫は嫌いなんですよ」
退路を断つ目的であろうとも、魔獣の生み出した虫に背中を晒すのは御免であった。
「それに、今の私はか弱い女性の身体ですので」
周囲の石板におびただしいほどの眼球が浮かび上がり、一斉に瞳を開く。その色は茶色と緑で、大地と風を象徴する色。
「――
言葉も動作も先ほどと同じであったか、精度はけた違いであった。剣を薙ぎ払う速度と勢いで、盛り上がった大地が奔る。
「おまえ、なかなか賢い、ゾ」
魔獣を囲うのは大地の壁、というよりは塔である。しかも乱雑ではなく、特定のルーンを描くように並べられていた。
その上、魔獣の視界を防ぎつつ――塔には抜かりなく、サディールの〝目〟が付属している。
「――
流れを作ってやれば、風はそれだけで威力を増す。
周囲の壁は一種の結界で、自身の魔力を増幅する目的。
次の壁は身を守る防御に加え、敵の視界を封じると共に風の通り道を作る為――
「――
壁の隙間を拭って、風が魔獣に襲い掛かる。それぞれが歩んだ道に従って、斬り、削り、穿つ。
「……すごく、痛い、ゾ」
嘘か真か、判断しかねる口調。目で見る限り、身体の蛆虫は飛び散っているようだが、本体まではわからない。
「だが、オマエ、勘違いしている、ゾ」
「何をですか?」
応答しながら、サディールは身を守る壁を増やしていた。また風を走らせ、いつでも仕掛けられるよう準備をしておく。
「ワタシ、弱い、魔獣だ、ゾ」
「……は?」
「ワタシ、戦えない、ゾ、ワタシができるのは、この身体を餌にして、呼ぶことだけだ、ゾ」
その意味を察し、サディールは攻撃へと転じる、散々走らせた風と同時に塔も崩壊させて、その飛礫も叩きつける。
魔獣の身体は大地の残骸に埋もれ、
「――
それを収めるほどの、大きな瞳が地面に浮かび上がった。
アレサで魔獣を呑み込んだ暗い瞳。
あの時より早い速度で閉じていくも――遅かったようだ。
「……虫は嫌いなんですけどね」
どれだけ集まっているのか、魔獣は虫を足場にしていた。
それも数えるのが馬鹿らしいほど、種類も増えている。長いのから短いの、毛むくじゃらからズル剥け、小さいのから大きいのなど、本当に様々な虫が呼ばれていた。
「ワタシの身体、虫たちの好物。中途半端な攻撃、逆効果だ、ゾ」
「それでも、痛みは感じるのでしょう?」
「あぁ、痛い、ゾ。でも虫たちが治してくれるんだ、ゾ。ワタシが死なない、ように。ワタシを、ずっと食べ続ける為に、だゾ」
抉れた肉の代わりをつとめるように、虫たちは魔獣の身体に張り付いていた。
「ワタシ、最も弱きモノ。だけど、誰にも負けない、ゾ。虫たちに最も愛されているからだ、ゾ」
それを聞いて、サディールは勝利を諦める。負けず嫌いではあるものの、勝機のない戦いに身を投じるほど愚かでもない。
敵の主力が虫となれば、どうしようもなかった。
魔眼で相手の行動を縛れるのは、目と目を合わすことで感情を支配できるからである。
が、虫という生物にはその感情がない。
だからこそ、暗い瞳に自ら呑み込まれ、足場になっている。
これを倒すのに必要なのは圧倒的な力であり、今のサディールには荷が重かった。
「まぁ、そうなりますよね……」
周囲の壁が溶ける音。虫が集っているのは〝目〟で見えていたが、数が多すぎてどうしようもなかった。
「ゴメン、なさい。ワタシ、弱いから、楽には死なせて、ヤれない、ゾ」
「ある意味、助かりますよ」
時間稼ぎには最適。
それに罠を張り、こちらの退路を塞いできたところからして、機動力もないはず。
あとはどうやって逃げるか――と、虫のいいことを考えていたら、身が凍るほどの寒波に襲われた。
「……な、ん、だ……ゾ?」
「これは……お嬢さん、です、か?」
魔術――魔力の扱いに長けているだけあって、サディールはすぐにわかった。魔力が凍結している、と。
「……助け、どころか、邪魔なんですけど……」
虫の囲いから脱出した後であれば助けになったが、この状況ではただの嫌がらせである。
魔獣や呼ばれた虫よりも人間部分が多いから動けはするが、魔術が使えないのでは意味がなかった。
「凍っているとはいえ、虫を手でかき分けるのはごめんです」
早い段階から自分のすべきことを決めていただけあって、ペドフィは順調だった。
闇を変幻自在に操って、器用に瓦礫の山を飛び回る。
また、時折り相手の風も利用して――今では街の破壊が最低限で済むよう、避ける場所とタイミングさえ配慮していた。
「痛い、痛い、痛い」
ほざきながらも、魔物は翼を千切っては投げていた。それ以外の攻撃方法がないのか、それとも単に性格なのか。
通常、再生持ちの魔物は傷を負うのを躊躇わないはずだが、どうにも変わっている。
形としては人間。
大きな目が三つ。
それでいて、攻撃方法は背中の翼を千切って飛ばすだけ。
――まさか、純粋な攻撃型か?
と、ペドフィは意見を翻す。
再生できるのが翼に限られるとすれば、魔物の行動にも納得がいく。
目が多いのも視覚的隙を無くす為――つまり、防御に自信がないから。
だが、それが誘いの可能性も否めない。
再生という特殊装甲持ちであれば、敵を懐に呼び寄せる知能もなくはないだろう。
生前はレヴァ・ワンを半暴走化させていただけあって、ペドフィはあまり自分の能力に自信がなかった。
なので、逆転の糸口を見つけたとしても興奮せず、一先ず保留にできる。
とりあえず、時間稼ぎ。
試すのは余裕ができてから――果たして、その機会にペドフィは槍を空へと放った。
「――降り注げ」
闇は空で弾け、黒い雨となって降り注ぐ。
大した威力ではないにもかかわらず、魔物は翼に身を隠していた。
――やはり、翼以外は脆弱なのか?
随分とアンバランスな魔物である。
いや、そもそもこれは魔物ではないのかもしれない。
環境に適応して生まれたのではなく、何者かの都合で作られたモノ。
だから自分の特性を扱いながらも、痛い痛いと喚いている。
「――痛い痛い痛い痛――く、な、い……?」
またしても、魔物は翼を千切って――凍り付いた。
「なっ!?」
ペドフィも謎の寒気に襲われ、完全に停止する。
「でも、つめ、たい……さむ、い……動け、ない?」
魔物はわざわざ自分の状況を説明してくれた。
一方、ペドフィは寒いだけで動けなくはない。
「これは……? 凍っているのは……魔力そのものか? となるとレヴァ・ワン――ネレイドの仕業だな」
魔術こそ扱えないものの、身体は充分に使えそうだった。
「……あいつ、大丈夫か?」
この状況で心配なのはエリスである。
もし、竜の翼で飛翔していれば自滅しかねない。
サディールも制限こそ受けるが、魔の濃さからして敵よりはマシであろう。
「――さて」
ペドフィは瓦礫の中から掴みやすい石を持って、魔物に向かって馳せる。
今は相手の装甲を確かめるのに最適だと、動けない魔物に飛び蹴りを浴びせた。
そうして倒れ込んだところにすかさず、
「や、止め……て」
手に持った石を叩きつける。
狙いは目が三つ付いた顔面。
ぐちゃり、と果物が潰れたような音が響いた。