第38話 とある神聖娼婦の告解
文字数 3,457文字
ネレイドは首を振る。
少女にとって、その二つは相反する言葉であった。
「私にとっちゃ教会が斡旋するただの売春としか思えないけど、当時は違ったようでね」
キルケは続きをどうぞと言わんばかりにサディールに目をやり、
「男女が交わることで互いの魔力を高めあう、契りの儀式です。本来は魔境へと踏み込む前の教会騎士たちが行っていました。言うなれば、死ぬ前の思い出作りといったところでしょう。当時、教会騎士と言えば童貞の男でしたので」
説明を終えると、今度は初代。
「教会の馬鹿が考えた経典の尻拭いだ。純潔の身体に神は宿る。そのおかげで処女と童貞ばかり増やして、子供が目に見えて減ってきたからな。それをどうにかしようと、教会の女たちに売春をさせたんだ。魔境へ赴く勇気ある若者たちに純潔を捧げよ、とな」
「へ~、教会の男が犯すんじゃないのかい。今よりは、まだマシだね」
「当時、必要だったのは強い戦士だ。それに教会の男たちは、本気で純潔の身体に神が宿ると信じていたからな」
「いや、やっぱクズだね。女たちには純潔を失うよう唆して、自分たちだけ守ろうなんて」
キルケが吐き捨てる。いつの時代も、教会はクソだなと。
「結局のところ、魔境に行く男たちが死ぬのが問題だったんだ。そして皮肉にも、そんな無謀を試みる男たちは皆、強くて逞しかった。その優秀な血を失いたくないからこそ、教会はそんなふざけた言葉と儀式を生み出したんだ」
それはとても大事なことなのかもしれない。
それでも、ネレイドは怒りを禁じえなかった。
その時代でさえ、女は男の都合で犯されていた。それも奇麗な言葉で騙され、純粋な信心を利用されて。
「けど、ルフィーアはそういった女たちとは違う。彼女は本当に神に純潔を捧げたんだ」
キルケは意地の悪い笑みを浮かべ、
「教会はレヴァ・ワンを神剣と呼んでいました。すなわち、神の聖遺物であると。そして、それと契約を結んでいる私は神と繋がっている。あとはおわかりですよね?」
サディールが嫌そうに説明した。
「もっとも、教会の思惑は私の性欲を発散させること。先代が欲求不満の末に鬼畜行為に走ったと、彼らは誤解していましたので」
「そうとも知らないで、ルフィーアは喜んでこのサディストの夜伽を勤めた。この男を神と信じて、身も心も捧げたんだ」
責めるようなキルケの物言いに、
「一応、当時の私は十歳を過ぎたばかりでしたので。どちらかと言うと、私のほうが被害者だと思いますよ? その時のルフィーアは十六かそこらでしたから」
サディールは言い訳をする。
「訳もわからず服を脱がされ、下半身を弄られた身にもなってください。その時の私は、教会の教えを信じる哀れな少年だったんですから」
「……あぁ、そうだろうね。ルフィーアはそのことを謝っていたよ。自分はとんでもないことをしでかしてしまったってね」
打って変わった口調で漏らし、キルケは告解書を撫でる。まるで可愛そうな子供に接するように。
「当時、いやその後も……ルフィーアはあんたを本当の神様だと信じていたんだよ。だからこそ、あんたの純潔を奪ったことを後悔していた。その所為で、あんたが魔に堕ちてしまったと」
「馬鹿馬鹿しい。彼女にはなんの落ち度もなかった。悪いのは教会と私だけだ」
キルケはその言葉を聞いて、
「ルフィーアは……あわよくばと思ってしまったらしい。あんたと交わることで、自分にも何か特別な力が授けられるんじゃないかってね。だから、自分を責めたんだろう。本当にあんたは、純粋で信心深い少年だったらしいじゃないか」
ルフィーアが遺したの罪の一つを語る。
「彼女が拒んだとしても、別の誰かがやっていたことですよ。それに今となっては、彼女が初めての相手で良かったと思っています」
「けど、ルフィーアはそうは思わなかった。自分が至らないばかりに、他の女たちが駆り出されてしまった。そして、自分たちの勝手な都合であんたと接するようになったと」
既に死んだ相手に怒っても仕方ないと割り切ったのか、サディールは口を固く閉ざした。
「女たちは皆、誰があんたの寵愛を――すなわち、神からの恩寵を得られるかを争っていたんだとさ。ルフィーアもその一人で、後になってそのことを懺悔している。自分のほうが年長だったのだから、あんたにもっと大切なことを教えてやれたんじゃないかってね」
女たちは目に見えない愛を信じることができていた少年に、確かな欲望を焚き付け――確かな力を得ようとした。
「それが彼女の二つ目の罪。あんたを神聖視するあまりに、大切なことを忘れてしまった」
恩寵は与えられるモノ。
他者と奪い合って、獲得しようとするモノではない。
「なるほど。ルフィーアは私に気に入られたくて、私と同じように捕虜をいたぶっていたんですね」
長年の謎が解けましたよ、とサディールは自嘲する。
「ごもっともだけど、そいつは始めの内だけだ。ルフィーアは本当に楽しくなってしまったらしい。他者をいたぶることが――正確には、男を虐げる快感に目覚めたと書いてある」
「……きっと、気づいてしまったんじゃないですか? 自分の人生が、男に操られていたことに。都合よく、利用されていることに」
ずっと黙っていたネレイドが吐き出す。
「神を信じる心さえも……自分の意志なのか、それとも男にそう仕向けられたのかもわからなくなったから……」
今までの自分を捨てるしかなかった。
もう、自分で自分を判断できなかったから。
「教会を捨てることでしか、本当の自分がわからなくなってしまった」
彼女の気持ちを考えている内に、ネレイドの瞳には涙が溜まっていた。勝手な勘違いかもしれないけども、吐き出さないと気が済まなかった。
「お嬢ちゃんの言う通りさ。ルフィーアは自分で神を殺してしまったんだ。それも自分の中にある神だけでなく、サディールという愛された少年の神をもね」
沈黙。
されど、サディールは瞳を持ってそれを否定する。
「それこそが、ルフィーア最大の罪」
――もし
「あんたが教会に処刑された後、彼女はそう遺して自害した」
「……それでも、こうして彼女の意志は残っている」
「教会を破門された女たちにとって、彼女は救いだったからね。誰かを憎むしかなかった魔女たちに、彼女は希望を与えてくれたんだ」
教会に追放された人間が辿りつく場所は皆、同じだった。帰れる故郷などなく、ひっそりと怯え、隠れ住む。
「神を殺したのは、他者ではなくて自分。まったくその通りだよ。結局、自分に神がいないのは自分の所為さ。だからといって他人を恨んで、他人の神を殺すことを生き甲斐にする奴はさっさと死んだほうがいい」
事実、そうしてルフィーアは死んだ。
残された魔女たちの心に、二者択一の楔を打ち込んで。
「ルフィーアに神がいなかったのは、彼女の所為じゃありませんよ。それでも、彼女が神を殺したのは確かなことでしょう」
今頃になって、サディールは後悔する。
ルフィーアが破門された時、どうして自分は探そうともしなかったのかと。一緒に色々な玩具を開発した同士でもあったのに。
「それこそが、ルフィーアの教えさ。神は自分で殺せる。そのおかげで、魔女たちも真の意味で教会と決別することができた。私だってそうさ。神に申し訳ない気持ちで身体を売ることも、仕事をする必要もなくなった」
そして、神を殺してしまえば教会なんて存在しないも同然だった。
「そういう意味じゃ、教会がいう魔女も死んだのさ。神や教会の教えに背く者なんて、ここには一人もいやしない」
「そもそも、教えを説く者がいないわけですしね」
またしてもキルケとサディールは物騒な笑みを合わせて、通じ合った。
「同じように、教会にとってはルフィーアなんて女は存在しなかった。それが腹立たしくて、この街は作られたんだ」
「どうやらここは魔女の街ではなく、
「つまり、ルフィーアとあんたの街さ」
「それは光栄ですね」