第118話 レイピスト〈蹂躙する者〉
文字数 6,029文字
さながら横薙ぎの雷。
光が奔り、大勢の意識を引き付けてから――耳障りに叫ぶ。
「……」
そして、誰もが息を潜めるように音が消えていく。
少しずつ、少しずつ……。
風や空気が張り詰めていき、自分の鼓動や呼吸がどうしようもなくうるさく聞こえる。
「はぁはぁはぁ……」
ネレイドはレヴァ・ワンを手放し、空っぽの両手を見た。
全体的に赤く、ところどころに血が滲んだ戦士の手。
これまで、沢山の命を奪ってきたのに――
「――言ったはずだ」
本気で殺してやりたいと思った相手は殺すことができなかった。
「その本質は魔を喰らう剣。無理やり吐き出させた力では、ワタシを滅ぼすことはかなわない」
それでも、消耗したのか神もまた疲弊して見えた。魔力で象った身体の一部が削れ、風雨に晒された彫刻のようにみすぼらしい。
「つまらぬ真似をしてくれた」
魔術かそれとも単純な力の差か、ネレイドの刃は上へと逸らされてしまった。
神の身体を横に両断するつもりだったのに、振り切った剣は空を斜めに裂いていた。
「だが、ワタシとて無駄な破壊をするほどの魔力は残っていないようだ」
「……ざまぁみろ」
せめてもの反抗心から、ネレイドは吐き捨てた。
「それでも、今の汝を殺すくらいは造作もない」
神はゴミを寄せ集め、再び剣を構える。
「汝は、確かに時代の用意した勇者であった」
一方、ネレイドは地面に落とした剣を拾わない。
「だが、
自分の顔をした神に褒められたところで嬉しくもなんともなかった。
「私は、確かに負けた」
素直にネレイドは認める。汚れた衣服に乱れた髪。その姿はまるで強姦された少女のようだったが、瞳だけは違っていた。
「けど――まだ、おまえが勝ったわけじゃない」
世界に対する失望も自分に対する絶望も感じられない。
涙もまだ健在で、怒りを滾らせたまま――神を射抜く。
「むろん、わかっているとも。だからこそ、こうして待っている。言ったであろう? 汝が抗う限り、我は汝を殺しはしないと」
しかし、審判者を自称するヴァンダールは怯みもしない。
これまで喰らってきた魔とは明らかに違う。
本当に壊れているのか、レヴァ・ワンの存在を心待ちにしていた。
その顔――自分に酷似している――が腹立たしくて、
「……レイピスト様、あとは頼みます」
ネレイドは膝を付き、レヴァ・ワンに手を伸ばす。
「私はどうなってもいいから――」
縋りつくように持ち手を握り、
『正気か?』
初代の声が頭に響いた。
「…はい」
レヴァ・ワンの状態からして、ネレイドにもわかっていた。だいぶ怒っている。魔力を散々使わせといて、喰らうことができなかったから……。
「ここで代わったら、たぶん私は食べられてしまいます」
『だろうな』
ペドフィとサディールに続いて、自分の血まで喰らわせたのだ。
この馬鹿剣が躊躇うはずがない。
「……別に死にたいわけじゃなかった。けど、何がなんでも生きたかったわけでもない」
早い段階で初代に代わっていれば、なんとかなったかもしれない。
「ただ、自分自身の手であいつを……神を殺してやりたかった」
『知ってる。だから、オレは嬢ちゃんの意思を尊重した。死者が生者の邪魔をするわけにはいかねぇからな』
――たとえ、それが自殺行為だったとしても。
「ありがとうございます。おかげで、すっきりしました」
ネレイドはやっと自分の死に時を見つけられた。
それも悪くない死に方だと思える。
『わかった。あとはオレに任せろ』
頼もしい一言だと、ネレイドは泣けてくる。
『嬢ちゃんは頑張った。だから、少し休んでいろ』
続く優しい言葉に、
「え? ……ずっと、休んでちゃダメなんですか?」
ネレイドは困ったように問う。
『駄目だ。どれだけ時間がかかろうと、探し出して叩き起こしてやる。皺くちゃの婆姿で戻りたくなければ、呑まれないようしっかりと意識を保つことだな』
「……それじゃぁ、休めないじゃないですか」
『少しは、休めると思うぜ』
今度は酷すぎて、ネレイドは涙を止められなかった。
『それにオレは男だからな。嬢ちゃんを死なせて、のうのうと生きてなんていられるか』
「……そっか。ここが、終わりじゃないんだ」
『嬢ちゃん。死は終わりじゃねぇ。死は死だ。他の安っぽい言葉に置きかえて、逃げるんじゃない』
「……はい」
『オレもサディールもペドフィも――たぶん、誰一人として死にたかったわけじゃない。ただ逃げたくて、終わらせたくて、変えたかっただけだ』
――間違えてしまった、自分の人生を。
『オレたちのようになりたくないんだったら、嬢ちゃんは生きないといけない。生きて死ななければ、四代目レイピストとして蘇る可能性がある』
「……それは嫌です」
『だろう?』
初代は冗談めかしてから、
『けど、本当に死にたくなったら――止めはしねぇよ』
いつものように非常識な答えをくれた。
「……」
『だから、ネレイド。おまえは生きるんだ。そして、死すべき時に死ね』
「……はいっ!」
そういう意味では、まだ死にたくはなかった。
終わらせたいだけで、死にたいわけではない。
もし元の生活に戻れるのなら戻りたいし、自由に生きられるのなら生きてみたいと思う。
『それじゃ。しばらくの間、おやすみだ』
父親のような初代の声を聞き届けて、ネレイドの意識は深く沈んでいった。
「やっと現れたか、
律儀に待っていてくれた神は、今までよりも頑強に見えるゴミの剣を用意していた。
「……」
初代は身体の具合を確かめるように、手足を軽く動かす。
改めて使う少女の身体は相変わらず華奢だった。
ネレイド的には逞しい戦士の手らしいが、レイピストに言わせればお粗末である。
――こんなのは決して戦う者の手ではない。
それでも、少女は戦っていた。
他に戦える者がいなかったから、戦うしかなかった。
そのことにレピストは呆れ果てる。
あらゆるモノが自分が生きていた時とは違っているのだろうが、男が戦わずしてどうするのだと。
どう足掻いても、女の身体は戦うようにできていない。
あのサディールですら、ネレイドよりは遥かにマシな造りをしていた。
「平和な時代か。少しだけ退屈な……」
結局、初代に言わせればこの世界がどうなろうと構わなかった。
今更、守りたいとも思わない。
親交を持った相手もいるが、所詮は野良猫に構ってやった程度の認識である。
「――クソったれが」
それでも、レイピストは世界を滅ぼそうとする神に挑む。
子孫の頼み――いや、少女の願いを叶えてやる。
もう思い起こすことすら難しいが、それこそが最初の願いでもあった。
あの時代、彼は守る為に戦っていた。
幼い少女を筆頭に、戦えない者たちが幸せに暮らせるように頑張っていた。
「どうした? まだ来ないのか?」
構えもしないレイピストに痺れを切らしてか、神が問う。
「ったく、うるせーな。今まで散々待ったんだから、もう少し我慢しやがれ」
礼儀を尽くしている神に対して、レイピストは不遜であった。
「安心しろ。すぐに殺してやるから」
レイピストは吐き捨て、レヴァ・ワンで自らの左腕を薄く裂く。
そうして、にじみ出た血を漆黒の刀身に撫でつけるようにして――赤い紋様が脈動する。
久しぶりに見たその紋様は明らかに変わっていた。
より繊密に、より長く、より深く、より濃く……。
闇をも喰らう漆黒の刀身を照らしていた。
赤く、暗く……。
この紋様が持ち手まで来た時、おそらくこの世界の魔はすべて駆逐されたとして、レヴァ・ワンは別の世界へと渡る。
果たして、全世界の魔を喰らい尽くすまでそれは続く。
その後も容易く想像できた。
もう一振りのレヴァ・ワン――神を殺す少女と戦い、共に滅びる。
それこそがレヴァ・ワンを生み出した神々の望み。
――神魔の滅び。
神も魔も存在しない世界。
そこには当然、レヴァ・ワンもあってはならない。
「……」
いつか来るその時まで、自分がレヴァ・ワンでいるかどうかはレイピストにもわからない。
幾千年の時が経とうとも、この世界には誰一人としていなかったが……。
別の世界にならいるかもしれない。
自分と同じように、魔を統べる神すらも圧倒できる人間が――
「――行くぜ」
構えからして、ネレイドとはまったく違っていた。
左の逆手で刀身に近い持ち手を握り、腰に添わせ――馳せる。
右は順手で一番遠い持ち手。
さながら、腰に
「――死ねっ!」
一閃。
初代は突撃の勢いを殺さず、捻りまで加えて神の剣を弾き飛ばした。
果たして、それが勝敗を分けた。
レイピストの剣を受けようと思った時点で神は負けていたのだ。
ただ先に仕掛けることはおろか、迎撃すら諦めたのは気圧されたからに他ならない。
初代は初撃の流れのまま回って、追撃。
神はどうにか受ける。
いや、受けることしか考えられなかった。
攻め、逃げ、迎撃、陽動――そのどれも選ぶ暇すらない。
止められた剣を初代は蹴りで押し込む。
順手逆手と器用に使い分け、変幻自在の斬撃を繰り広げる。
神は反射的に受ける以外死に直結していると思わされ、もはやどうすることもできなかった。
これぞまさに、
壊れていた神さえも、恐怖を思い出さずにはいられなかった。天敵に本気でかかって来られて、冷静でいられるはずがない。
しかも、相手は玉砕覚悟。自分の身を守ることなど微塵も考えておらず、その牙を届かせることだけに没頭している。
だから、神は受けるしかない。
使い手を殺しても、剣を握る手を斬り落としたとしても――レヴァ・ワンは必ず自分を殺す。
ゴミの剣で止める以外、成す術はない。
避けたとしても、風圧だけで死んでしまう。
否、そんな恐ろしい真似はできやしない。
結果、刻一刻とゴミの剣は削られていき、ついには腕ごと吹き飛ばされてしまう。
「……もし、オレの身体だったら瞬殺だったな」
一方的に告げ、初代は神の身体を貫いた。
「たぶん、犯してる時間のほうが長かったと思うぜ」
不遜かつ罰当たりな台詞である。
だが、神や悪魔でさえもこの男なら〝屈服〟させられるだろうと、ヴァンダールは身をもって思い知った。
「……これが真のレヴァ・ワンの力か」
「知るか。オレはオレだ」
さすがにネレイドと同じ顔を断つのは気が咎めたのか、初代は貫いた剣を下に振りぬいた。
「……レイピストよ。汝は早々にアイズ・ラズペクトを殺し、別の世界へ旅立つべきだ」
「こんな物騒な代物、この世界に留めておいたほうがいいとオレは思うけどな」
神の意志など知ったことではないと、初代は言い捨てた。
「――喰らえ」
レヴァ・ワンが神を貪り尽すのを見届けてから、初代は腰を下ろす。
「……ちっ」
本気で神を殺すことしか考えていなかったので身体は使い物にならなくなっていた。筋肉はもちろんのこと、関節や骨までも悲鳴をあげている。
「――大丈夫ですか?」
しばらく地面で寝転がっていると、エリスが竜の翼でやってきた。
「やっと来たか、のろま」
「……レイピストですか?」
口の悪さから察したようだ。
「あぁ。とりあえず、みんな消えた。ペドフィもサディールも、堕ちた天使も審判者を自称していた神もな」
「あなたが言うと、とても簡単そうですね」
「……だから、オレはやりたくないんだよ」
他人の努力や気持ち、想いを踏みにじるようで嫌だった。
その人の一生ぶんの頑張りを一瞬で片付けたって、いい気分にはなれやしない。
ただ、虚しさに苛まれるだけだ。
対等な相手がいない人生なんてつまらない。
気づけば、みんないなくなっていた。
前にも、隣にも、後ろにも――
それでも、レイピストは進み続けた。
――じゃないと、可哀そうだったから。
せめて最強じゃないと、自分の人生になんの意味も見いだせなかった。
「オレがやらなくて済むのなら、それが一番だ。たとえ世界が滅びようともな」
「……それは理解しかねます」
「傍観者はそうだろうよ。けど、当事者にとっちゃそうなんだ」
理解など端から求めてなかったのか、
「でだ、オレも消える。その間、ネレイドの身体を頼む」
初代は話を打ち切った。
「どういう、意味ですか?」
またしても理解不能な言葉であったが、無視できない単語があったのでエリスは素直に訊き返す。
「嬢ちゃんもレヴァ・ワンに食われた。オレはそれを助けに行くから、しばらくこの身体は魂が抜けた状態になる」
「……どれほどの期間ですか?」
整理していないと、荷物を探すだけでも一年はかかるとサディールは言っていた。
「さてな。こればっかりはオレにもわからん。けど、頼むよ。少しくらいなら、都合よく使っても許してやるから」
初代はネレイドの身体を勝手に貸し出す。
「まぁ、嬢ちゃんが戻って来た時、怒り狂わない程度にしてやってくれ」
「……わかりました」
エリスは応じるも、問題は山積みだった。
「それとアイズ・ラズペクトは注意しろ。もうおまえが最後の一体だからな。もしかしたら、レヴァ・ワンが喰らいにかかるかもしれん」
「それでよく、わたしに頼みますね」
「他にいねぇんだから仕方ねぇだろ。あとはピエールって男が来たら信用していい。嬢ちゃんの幼馴染だからな。あとルフィーアのキルケも会わせていいが、目は離すな。あられもない格好にされる可能性がある」
エリスは頭を抱えながらも、記憶へと留める。
「……とまぁ、こんなとこかな」
言い終え、初代はネレイドの顔で快活に笑う。
「じゃぁな、エリス。これでお別れだ」
「あの……ありがとうございました。わたしたちは、あなたがたレイピストに感謝してもしきれません」
「そう、都合よく捉えてくれる奴だけじゃない。今回の犠牲をすべて、オレたちの所為だと決めつける奴も絶対にでてくる。だから、オレたちの名誉なんて気にすることはない。ただ、嬢ちゃんの人生だけは守ってやってくれ」
エリスは困ったように顔を歪める。
「これからは、清濁を併せ飲むことも必要だぜ。レイピストも教会も王家も、すべてを救うのは不可能だ。どれか一つに罪を擦り付けるとしたら、既に死んでるオレたちが無難だろう」
「……はい」
「それでも、嬢ちゃんを諸悪の根源として処刑する真似だけは勘弁して欲しいけどな」
「それだけは絶対にさせないと約束します」
先のことはわからない。
でも、それを唯一の道標としてエリスは断言した。
「頼んだぜ、エリス」
これで亡霊の役目は終わりだと、初代はレヴァ・ワンの闇へと意識を落とす。
いつ来ても、狂いそうな深淵。
ここでネレイドを探すのは無謀に近いが、初代は躊躇わずに進んでいく。
そうして、かつて挑んだ魔境よりも、孤独で過酷な旅へとレイピストは繰り出した。