第27話 固定城塞型魔術師
文字数 3,310文字
街の外壁の上には、武器を持った男たち。
壁の外にも、武装した男たち。
もし彼らの口から吐き出されるのが下卑た言葉でなかったら、自分のほうが悪者に見えていただろう。
「来た来た来た!」「なんだ投降すんのか?」
「だったら今すぐ服を脱げ!」「そうだそうだ!」
歩いて来るネレイドに向かって、品のない罵声。数が多すぎて、ほとんど聞き取れやしない。
それでも、言っている内容はなんとなくわかる。
それくらい、彼らの言には中身がなかった。
「男の人って、ああいうモノなんですか?」
服を脱げ、全裸になれ、許しを請え、跪け、頭を下げろ――
「女は男に屈服するのが当然みたいな言い方。それだけならまだしも、楽しませろってなんなんですか?」
苛立ちを隠さず、ネレイドは吐き捨てる。
ペドフィには到底答えらない質問であったが、
『まぁ、そのように思っている男は多いですね』
サディールには即答できた。
『ただ、私に言わせれば一夫一妻制という規律に問題があります。男の性欲的に、それはあまりに酷過ぎる。特に同じ相手――いや、似たような行為ばかりですと飽きますからね』
悪びれもなく、しゃぁしゃぁと。
『これもまた規律の問題ですね。女性はお淑やかに慎ましくあれ。その文言の所為で、揃いも揃って転がっているだけ。しかも声を抑えて、顔を隠す。じゃぁ好きにしていいのかと思いきや、痛いだの怖いだの恥ずかしいだの――実にやっていられません』
外の声と違って頭に響くので、ネレイドは嫌々ながらも聞かされる。
『だからこそ、私は捕虜に心を奪われた。何をしてもいいのはもちろん、実に良い反応もしてくれた。皆さん強がって、痛いとも怖いとも恥ずかしいとも口にしない。でも、表情が雄弁に物語っているんですよねぇ。それがもう堪らなく――』
「すいませんが黙ってください。これ以上は聞いていられません」
少しは歩み寄ってみようと思ったけども、やっぱり駄目だった。
さりげなく、自分は悪くないみたいな言い分をしていたが、まったくもって共感できやしない。
『そうですか? あの動物以下の遠吠えよりは、耳を傾ける価値があると思ったのですが』
「……そうですね。これだけ近づくと、そろそろ我慢の限界です。さっさと、黙らせましょう」
まもなく、飛び道具なら届く距離。
それなのに、敵は未だやいのやいのと騒いでいるだけ。
「矢の一つも飛んでこないなんて。本当に、舐められているんですね」
『別にいいではありませんか。そのぶん、楽に殺せます』
「子供だから舐められるのはいいんです。でも、女だから舐められるのは嫌」
『それは違います。お嬢さんが嫌なのは、人間扱いされないことです』
「……そうですか?」
『えぇ。ですので、もし男性に心配されることがあったとしても、腹をたてないでやってくさだい。舐めているとかではなく、男という者は女に戦ってほしくない生き物なんです』
「そんな機会、ないと思いますよ。だって……私はレイピスト――レヴァ・ワンの使い手で、鬼畜の末裔なんですから」
『世界はお嬢さんが思っているよりもずっと広い。そして人もまた――あの時のペドフィ君を抱きしめてあげられる人もいたくらいですから、きっとお嬢さんのことを心配してくれる人もいるはずです』
「そう、かな?」
『えぇ』
それを聞いてから、ネレイドは足を止めた。
お喋りはもうおしまい。
本当に我慢の限界で、一秒でも早く、男たちの声を消してしまいたかった。
『では、救国の英雄――サディールがその役を仰せ仕ります』
今更ながら、言葉にしなくても伝わることを思い出す。ネレイドは小さくお礼を言ってから、目を見開く。
「それでは見せてください。固定城塞型魔術師と恐れられた、あなたの戦い方を」
『ではしばし、お身体をお借りいたします』
か細い、少女の身体。初代であれば大きな制約になるだろうが、サディールにとってはそうでもなかった。
未熟者ならともかく、熟練の魔術師であれば肉体の強さなど必要ない。
また、レヴァ・ワンがあるので面倒な詠唱も術式もいらなかった。必要なのは確かな想像力と明確な命令のみ。
「さて、このお馬鹿さんはきちんと憶えていますかね」
そう言って胸元――レヴァ・ワンに手を突っ込み、身の丈を超える杖を引き出す。
十字架を模した形に鳴らない鐘が二つ。
本当は杖なんていらなかったのだが、教会の為にサディールは使っていた。
魔族に対する示威と共に戦う者たちへの誇示――すなわち、教会の意向を見せつける為に。
今でもそれを使うのは、また一からレヴァ・ワンに躾けるのが面倒だからに他ならない。
「――
サディールは杖を高く振り上げ、下ろす。何度も躾けた言葉と動作に従い、レヴァ・ワンが街の外に黒い雨を降らす。
肌に痛みを与えるほどに激しく――魔族たちの声を雨音がかき消していく。
「――
この雨で飛び道具はほとんど無効化するが念の為、防御壁も張る。杖柄で地面を叩くと、黒い壁が出現。
『まず、敵の統率を乱します。次に飛び道具の警戒。魔術に関しましてはレヴァ・ワンが勝手に防いでくれますが、物理的な攻撃はこちらで対処しなければなりませんので』
サディールは説明を交えながら、戦っていた。
『それと魔術は単純なモノを。降り注ぐだけとかただの壁であるとか。度が過ぎますと、レヴァ・ワンは持ち主の魔力を喰らいます』
『あの、そもそも魔術って?』
声に出さないで、ネレイドは訊く。
『魔力を用いた技術ですよ。魔力は万能な力、ありとあらゆる力や物質に変えることができます』
『……どうやって?』
『私たちの場合は頭に思い浮かべ、レヴァ・ワンに命令をすればいい。そうでない場合は強い理解と想像力が必要です』
理解が深ければ深いほど、魔術は本質に近づく。
例えば昨夜の男。もし炎に対する理解が乏しければ、あの炎は対象を燃やすだけで消え、森にまで広がりはしなかった。
『その一連の流れを体系化したのが、詠唱や術式と呼ばれるモノ。使う度に一から想像するのは面倒ですからね。もっとも、嫌になるくらい反復しないと意味はないんですけど』
だからこそ、一人の人間が使える種類は少ないらしい。
『それに比べると、レヴァ・ワンは便利ですよ。言うなれば、無知全能でしょうか。こちらがしっかりと想像し、命令してやればなんだってしてくれます』
黒い雨は未だに降り続けていた。魔族たちは接近を試みているようだが、満足に歩くことすらできていない。
この雨は流れずに嵩を増し、今では彼らの膝まで達している。
『ご覧のようにね』
狙いが定まっていない矢が飛んでくるも、この雨の前では無意味であった。
『敵がもっと強ければ更に容赦ない攻撃を仕掛けつつ、防御にも意識を割かないといけないのですが……』
さながら、溺れた昆虫である。
必死なのは伝わるが、無意味な行動にしか見えやしない。
『これでは、城塞型と呼べるような戦い方はできそうにありませんね』
数百人はいたと思われる、街の外にいた魔族たちはいとも容易く無力化された。このまま放置していても、勝手に溺れ死ぬだろう。
「――
だが、それを待つほどサディールは優しくなかった。薪を割るように杖で地面を叩き、黒い雷が水中を渡る。
不格好ながらも、こちらに向かっていた魔族たちが次々と倒れ込む。矢を受けたかのように全身を衝撃で揺らし、水の中に沈んでいく。
「良い子ですね」
杖を撫でながらサディールは褒め、
「ぜんぶ、食べていいですよ」
残酷な命令――いや、褒美を与える。
ネレイド、そして外壁の上に立っていた魔族たちが見ている中、黒い水が徐々に消えていく。
地面に小さな穴が開いているかのようにゆっくりと――馬鹿みたいに、誰もがその光景を見ていた。
そうして、すべての水が消え去った時、そこには何も残っていなかった。
死体も、服も、装備も、草木すらも――ただ、何もない平原が広がるだけ。
『では、私の出番はこれで終わりということで。あとはお嬢さんに譲ります』