第9話 少女とペドフィスト
文字数 3,052文字
「う~ん。ペドフィ様、どっちのお皿のほうがいいと思います?」
眩い銀のお皿なのは決まっている。
ただ、深い浅いで少女は迷っていた。
『牛の煮込みを入れるなら、深いほうがいいんじゃないのか?』
「家ならそうですけど。せっかく、奇麗なお皿があるんですから奇麗に盛り付けたいじゃないですか。ほらっ、色とりどりのお野菜で周囲を囲って、中心に牛肉を入れると……うんっ、悪くない」
意見を求めておきながらも、ネレイドは自分で解決して、次の盛り付けに移る。
「スープもカップに入れると、飲みやすいしかわいいかも。うわー、家じゃ絶対にできないよ」
少女は本当に些細なことで楽しんでいた。さっきまであれほど怒って、喚いていたのが嘘のような変わりようである。
初代であれば、それが女だと切り捨てていただろうが、ペドフィは違った。
『どうして、そんな風に平然としていられる? レヴァ・ワンに選ばれて、おれたちみたいな鬼畜に寄生されているのに』
また、初代と二代目がいないのもあってつい口が滑ってしまった。
「どうしてって言われましても……」
ペドフィは真剣に問いかけたのに、
「自分ではどうすることも、できないからじゃないですか?」
ネレイドは盛り付けの片手間で答えた。
「それに私は女ですから。遅かれ早かれ、親の決定で何処かに嫁いでいた身です。それが、嫌だったわけではないんですけどね」
そう、本当に嫌だったわけではない。
けど、心待ちにもしていなかった。
「ピエールじゃないけど、私もどっかで思っていたのかもしれません。もっと、広い世界を見たいと」
でも、自分の意志だけで踏み出せるほど強い気持ちじゃなかった。
「ペドフィ様たちと違って、私は弱い人間なんです。だから、流されるのもそんなに嫌いじゃないんです」
本当にそうなのか、ネレイドは一度も作業を中断することなく答えきった。
『……あの二人はともかく、おれは強くない』
対して、ペドフィの歯切れは悪かった。
「そんなっ! だって、殺戮の英雄ですよね?」
『あんなのはレヴァ・ワンのおかげだ。おれじゃないと、駄目だったわけじゃない』
それに……、と消え入りそうな声でペドフィは繋いだ。
『おれは誰も信じられなかった。おれなんかを英雄と呼んでくれた人たちもいたのに……。教会に裏切られただけで、すべてが終わったと思い込んでしまった』
あの時、初代と二代目は様々な案を出してくれた。
それこそ、民を率いて正面から教会と戦う道もあった。
でも、ペドフィはそれを選ぶことができなかった。
『それで自棄になって、近くにあった女子修道院を襲ったんだ。本当は全員を殺すつもりだった。けど、初代たちに止められたから――いや、それがなくてもおれにはできなかった』
殺戮の英雄と呼ばれながらも、人を殺したことはなかったのだ。
『だから、おれはすべてを先祖の――
血の所為
にしようとしたんだ。おれは裏切られて、暗殺されるんじゃない。鬼畜な罪を犯したから、裁かれて死ぬんだと』そういう意味では、殺すくらいなら犯せ、と言った初代たちに助けられた。
『それでも、まだ子供だった女を選んだのは……もう傷つきたくなかったからだ。おれはその時まで、女を知らなかったからな』
初代たちのことがあったから、ペドフィは禁欲を誓っていた。
『本当に情けない話さ。おれが弱いから、あんな風になった。しかも、何人かにはそれを見透かされてもいた』
少女たちの内、無理やり犯されながらも優しく抱きしめてくれた者もいた。幼いながらも、彼女たちは立派な修道女だった。
『しまいには、裁かれたわけでもなく勝手に死んだときている。自分の人生ながら、ほんと情けなくて反吐がでるよ』
だからこそ、ペドフィは今の状態が嫌だった。
どうして、レヴァ・ワンは自分まで引っ張りだしてきたのかと、本気で忌々しく思っている。
それに初代と二代目と違って、自分は神剣で殺されたわけでもないのだ。
「……正直な話、私にはペドフィ様の気持ちはわかりません。それにあなたのしたことを認めることも、許すこともできません」
怒涛の懺悔に圧倒されながらも、ネレイドは何か答えなければと思った。
「か弱い少女だったから――それだけの理由で、傷つけられるなんてあんまりです」
ほんの僅かな慰めでもいい。
「自分の先祖がそんなことをしたなんて、聞きたくなかった。それなら、教会が語ったレイピストの血の所為でよかった」
『……それだと、あんたまで駄目になる』
その言葉でネレイドは確信する。
「それでも一つだけ、聞けてよかったこともありました」
――この人は私を気遣ってくれている。
「あなたを優しく抱きしめてくれた人がいたこと」
『……それが、聞けてよかったことなのか?』
「はい。ほんのちょっぴりですけど、救いになりました」
『……それのどこが?』
「だって、その人が私のご先祖様の可能性もあるじゃないですか」
『それはそうだが、だいぶ低いと思うぞ。確率的にはおれではなく二代目の系譜だろう。あいつが一番、人間の女に種をばら撒いていたようだからな』
「別にいいじゃないですか。本当のところは誰にもわからないんですから」
『それはそうだが……。いいのか?』
「レイピスト様の時点でアレですから。そこにサディスト様とペドフィスト様が加わっても、大して変わりませんよ。どっちにしろ、最低です」
省略された言葉を読み取って、ネレイドは言ってあげた。
「それにペドフィ様の時点で八百年。レイピスト様ともなると軽く千年は昔のことですよね? 私はただの村娘だから、そんな大きな数字を持ち出されても想像すらできません」
ある意味、年頃の娘らしい発言を聞いてペドフィは迷う。
短命な人間には遥か昔のことでも、長寿の魔族にとっては違うということを教えるべきか否か。
ただ、千年ともなるとさすがに当時を知るモノはいないと信じたい。
だが、八百年となると微妙なところである。
初代とペドフィの間はおよそ四百年が開いていたが、当時の魔族たちは未だにレイピストを憎んでいた。
もっとも、三百年前のサディールの件が上乗せされていたので、断言は難しいが……。
それにあの時、魔境にいる魔族は殲滅した。少なくとも、人間に擬態できない種族を取り逃したはずはない。
だとしたら、今も残っている魔族がそう長命とも思えなかった。
つまり、レイピストへの恨みとか関係なしに、人間の世界を脅かしている。
『魔族が侵攻してきたのはわかるが、何か声明のようなものはあったのか?』
「えーと、教会からは魔族が攻めてきたって話しか聞いてないですね。それでかつての英雄――レイピスト様たちの偉業と鬼畜っぷりを説明されて……あ、その復讐って言っていたような。なんでも、魔族は神剣レヴァ・ワンを要求しているとかなんとか……」
『……そうか』
今更ながら、ペドフィは後悔する。
もっと教会から情報を聞き出してから、殺すべきだったと。
教会が民に語った話なんて、まったくもって信用に値しなかった。