第81話 黒白の煙
文字数 4,299文字
第三階層、山の上にそびえ立つ神殿の片影は第一階層からも見える。
謎の爆音に引かれ、初代が目をやると不自然な黒い煙。空に昇ることなく留まり、見覚えのある形になっていった。
「黒い竜?」
ネレイドの身体を操る、ペドフィが訊く。
レヴァ・ワンが興奮してか、纏った闇に赤い脈動が迸る。
「いや、竜はさすがにねぇだろ。アイズ・ラズペクトが最後の一匹って話だからな」
それに見た限り、煙で象っているだけに過ぎない。現に遠目とはいえ、黒い竜には威圧感が欠けていた。
「察するに、神帝懲罰機関が仕掛けた
教会の信仰は神聖なる土地にも及ぶ。
「本気で、死んでも魔物に渡したくなかったようだ」
「アレサに備わっている防衛魔術か」
思い当たる節があったのか、ペドフィも納得を示す。
「まさか、千年以上も生きているとは。どうやら、神帝懲罰機関はおれたちを信用していなかったみたいだな」
「まさしく、
じゃないと、自分よりも遥かに強大な力を縛り、使役できるとは思えない。
「
どちらにせよ、人間の都合で
「どうする? 先にアレを始末したほうがいいか?」
いまいち戦況を把握しきれていなかったのでペドフィは決定を委ねる。
「敵次第だな。確かおまえ、飛んだことはなかったよな?」
「難しいのか?」
「確実に狙われるからな。少なくとも、飛びながら防御はして貰わないと困る。あとはまぁ、オレたちを放っておいてくれるかそれとも……」
初代が言い切る前に答えがやってきた。面倒くさいことに子供を筆頭とした、女や男の悲鳴が近づいてくる。
「あいつらは家畜を誘導する猟犬かよ」
別に無視してもいいが、せっかくペドフィがやる気をだしたのだから、水を差すのは躊躇われた。
また、義憤を煽った身からしても放っておけとは言えない。
それだと、奮起したペドフィが言葉巧みに騙されただけになってしまい、最悪、再び拗ねて引き籠る可能性もある。
「嬢ちゃんの第一目的は魔族を殺すこと、人助けはそのついでだったよな?」
質問の意図を察してか、
「あぁ、そうだ。悪魔か魔獣か魔人だかは知らないが、そんなのを相手にする理由はない」
ペドフィは少女の顔で、少年のように笑った。
「じゃぁ、アレはサディールと竜に任せよう。オレたちは魔族を殺して、人質を助ける。レヴァ・ワンが飛び出さないよう、手綱はしっかり握っておけよ」
「……ここまで、制約のある戦いは初めてだ」
生前は一人で突出して暴れまわり、統率が乱れた魔物を教会騎士団たちが倒していく戦法を取っていた。
「嬢ちゃんがやってたんだ。できねぇとは言わないよな?」
「もちろんだ」
そうして、二人は魔族たちを迎え撃つ。
もっとも、真っ先に突撃してきたのは混乱した人波であった。
第三階層の異変は魔族たちにとっても、不測の事態であった。
『駄目ね』
ヘーネルが何度呼びかけても、エイルからの返答はない。
『なら、俺たちだけでやるしかないな』
早くも
『初代レイピスト無理。でも、ペドフィストは怖いけど無理じゃない』
この三人の中では、ケイロンが一番感知能力に長けていた。
『あいつは色々と複雑。複雑だから、妨害もできる』
『そいつは頼もしいな、ケイロン。だが、今度俺に短剣を投げたらぶち殺すからな』
『助けたのに、酷い。それに、ちゃんと左腕狙った』
『そんな気遣いするぐらいなら、レヴァ・ワンの妨害しやがれ』
『だから、初代レイピストは無理。あいつは単純過ぎる』
こちらが仕掛けようと思った時には、もう遅かった。
とにかく、早くて強い。
『おそらく、アレは止められない』
短剣を投じれば当たったもしれないが、絶対に止まらなかったと断言できる。
逃げるなと命じた時点で、剣の軌道は決まっていたも同然。現に、リビの身体がズレても狙いは変わらなかった。
問題はわかっていても、どうしようもないということ。
実際、リビ以外だったら、助かったとはいえない状態である。
『どうにかして初代レイピストを封じないと、勝ち目はないってことね』
ヘーネルがそう結論付け、誰もが溜息を漏らす。
『……エイルの策を試してみる』
悪い流れなのに、あのケイロンが断ち切った。常に後ろ向きの所為か、逆境には強いのかもしれない。
『エイルの策って、あの悪辣な?』
『そう。悪辣で馬鹿な奴』
『間近で顔を合わせた二人に訊くけど、勝算はあると思う?』
ヘーネルは遠目から見ただけ。それも射竦められたので、とても話が通じる相手とは思えないでいた。
『……ある。初代レイピスト、何か怒鳴っていた』
『あー、あれか。確か、死体がどうのこうの言ってたと思うぜ』
リビが補足する。
『その後に、いるかどうかもわからなかったペドフィストが出て来た。だから、きっと通用するはず』
珍しく強いケイロンの物言いに、
『わかった。なら、いきましょう。どうせ、他に手もないしね』
ヘーネルは折れた。
『これだけのことをしたんだ。今更、善人ぶったってなんの意味もねぇよ』
彼女の声に、罪悪感を嗅ぎ取ったリビが吐き捨てる。
『それに人質は人質らしく、使ってやんねぇとな』
好奇心から一人で残っていたエイルは魔獣の登場に興奮して、退く機会を逃してしまった。
結果、命を落とす羽目となる。
身体こそ残っているが、彼の精神は完全に食われてしまった。
「どうして、魔族の身体なんかに?」
エリスは意図が掴めず、竜に尋ねる。
魔族の身体は人間の子供くらいで、特質すべき部位は見当たらない。
「レヴァ・ワンがいるからだろう。あの剣の前では、魔力で象られた身体の大きさなど意味を持たない。むしろ、いい的になる」
そう説明してから、竜はエリスの中に戻った。
「許さんぞ、人間っ!」
魔獣は完全にエリスを敵と認定したようだ。
子供の身体に大人の顔だけでも気持ち悪いのに、今や頭が破裂せんばかりに膨張し、鼻や口、耳の穴からは黒い煙が飛び出していた。
その煙も天には昇らず、全身に纏わりついていく。
「……うわぁ、きもっ――ち悪いですね」
エリスはつい反射的に出た言葉を無理やり正す。
目に見える人間部位は頭と手と足のみ。残りはすべて黒い煙に覆われ、四足獣の構えを取リ始める。
四つん這いになった子供と考えることができれば可愛らしいかもしれないが、この容姿ではさすがに無理があった。
相変わらず頭は破裂しそうで、穴という穴から黒い煙が漏れている。
『レヴァ・ワンに任せたほうがいいですか?』
エリスは内なる竜に問いかける。
『この場所を守りたいのならば、エリスが戦うしかない。ナロウ・スレイブは陰湿な性分だ。誘いには乗らないかもしれないし、乗ったとしたら必ず周囲に被害を及ぼす』
『わかりました』
神聖なる場所と罪のない人々を賭けるくらいなら、自分の命を賭けたほうがマシだった。
『至らぬ点があったら教えてください。なにぶん、魔獣と戦うのは初めての経験ですので』
『煙には注意しろ。恐ろしく臭いぞ』
「ぷっ……ふぅっっ……ふふっ」
エリスはつい笑ってしまう。真面目で奇麗な声で言われると、どうもおかしくて堪らなかった。
『大丈夫か?』
『えぇ、おかげで緊張が解けました』
そう言って右腕を曲げ、肘の内側を顔に押し付けるよう鼻を塞ぐ。手は左肩に乗せ、腕を振るうだけで切り裂けるよう爪を外側に向けておく。
そして、左手は前に突きだしたまま。敵の動きを待とうして……止めた。
以前、サディールに指摘されたことを思い出し、こちらから仕掛ける。
左手を振るい、切り裂く風を飛ばす。
得体のしれない相手なのだから、まずは遠距離から様子見。
魔獣は口から吐き出した煙で受け、完璧に防いだ。
近距離であの煙を浴びせられると、鼻よりも先に目がやられる。接近戦は避けるべきだと、エリスは更に距離を取った。
『身体に馴染んでいない内に、仕掛けたほうがいいぞ』
と、竜からの助言。
せっかく人型なのに、魔獣は本来の四つ足姿勢。確かにその通りだと、エリスは攻め方を変える。
おそらく、魔獣は人間の感覚を持ちあわせていない。
エリスは息を止め両手を広げ、掌から白い霧が生じると同時に氷の槍が握られた。
内なる竜が知っているから、具体的なイメージはいらない。本来、得意ではないモノでさえ、求めただけで転換できる。
他にも、様々な術や言葉を竜は教えてくれた。
冷たい槍を空へと投擲し、
「――
氷の雨が地上を突き刺していく。
「愚か者め。そのような魔術、我には届かぬ」
魔獣は器用にも、上空に向かって煙を吐きながら粘着質に言葉を操っていた。もしかすると、鼻から煙をだしているのかもしれない。
「この黒き煙はすべてを呑み込む」
とても信じられないが、目に見える光景を呑み込んでいるのは確かなようだ。
先ほどの魔術は攻撃が目的ではなく、結界を張る為であった。
煙で見えないが、地面に降り注いだ氷柱は規則的な紋様――円環六華を描いている。
また、その内側には白い煙が漂い始めていた。
「もう、おしまいか? なら、そろそろ我の出番っっ!?」
満を持して魔獣は動こうとするも、手足は氷に
「
エリスの言葉に反応して、結界内に霧の帳が下りる。
黒い煙すら覆い隠すほど白い煙が舞い上がり――
「――
魔獣ごと、氷に