第44話  竹田製薬工業の再生~戦いの終わり

文字数 3,003文字

 産業スパイ防止法を含む経済犯罪の容疑による逮捕者は、最終的に150名近くになった。
 直接間接に利益供与を受けた者は、敵対派閥の全員に及んでいたが、特に中心となって悪質だった者たちが逮捕起訴されたのだった。

 裁判は、十分な証拠と自供があったことにより驚くほど迅速に進んだ。
 産業スパイ防止法については、最初に流出させたサンプル情報については、既遂として罪に問われた。
 その後の最新技術の流出のための計画と行動は、未遂として罪に問われた。

 4人の派閥領袖は、懲役10年、罰金15億円をそれぞれ言い渡された。
 実行部隊の中心として働いた領袖の側近などは、懲役7年、罰金10億円であった。
 多額の直接利益供与を受けた派閥のメンバーや、彼らの出身会社の創業者一族などは、懲役5年、罰金10億円であった。

 150名近い逮捕者は、竹田製薬工業を懲戒免職となり全てを失った。

 情報を買った国内企業の内3社は、産業スパイ防止法施行前であったため、業務妨害罪などに問われ、民事賠償責任を負うことになった。
 損害賠償額は、各1,000億円で和解により決着した。
 しかし、産業スパイ防止法施行後に仲介者を紹介したジャーク薬品は、産業スパイ防止法にも問われ、会社として罰金100億円が課された。
 ジャーク薬品の民事賠償については、裁判が行われ、賠償額は、1,500億円が言い渡された。
 ジャーク薬品は、社長を初め、不正に関わった人間は、全員が逮捕された。
 社長は、懲役10年、罰金20億円、それ以外の人間は懲役5年、罰金10億円が言い渡された。

 当初、ジャーク薬品は、高を(くく)っていた。
 事件は、3年前のことであり、仲介者は外国人、購入予定者も外国企業であることから、立件は困難であるとして徹底抗戦の構えだった。
 だが、敵対派閥からジャーク薬品へ振り込まれた紹介料の金の流れは、警察の内偵により、証拠がすでに(つか)まれていた。
 また、蛭川派にいる逆スパイである高山は、研究者としてジャーク薬品や仲介者との密談や交渉に同席することが多かった。
 彼が同席したときの話の内容や相手は、全て隠し撮り・録音していたため動かぬ証拠となったのだ。

 ちなみに、高山らの逆スパイたちは、司法取引制度の適用がなされ、不起訴処分となった。
 しかし、竹田製薬工業を懲戒免職とはならなかったものの、通常の依願退職となり、整理解雇による退職金割増の優遇は無かった。

 さらに、ジャーク薬品に追い討ちをかける事態が発生した。

 警察は、日本政府を通して、仲介者の潜伏先と思われる南鮮(大朝鮮民国)と中国(中華大民共産共和国)に照会と引き渡しの要請を行っていた。
 ところが、中国政府から仲介者とされる人物が、香港で死体として発見されたとの連絡が入ったのだ。

 ところが、この話は、これで終わりでは無かった。

 仲介者とされる人物は、死ぬ前、香港の日本総領事館に、全てが明らかになる証拠のUSBを日本の警察に届けてほしいとの依頼状を添えて、送ってきていた。
 そこには、ジャーク薬品や買い取り先の中国の企業との交渉が全て録画・録音されていた。
 仲介者は、用心のために隠し撮りをしていたのだ。

 ジャーク薬品は、敵対派閥からだけではなく、仲介者からも5億円の紹介料を得ていた。
 ところが、この5億円は、仲介者が買取予定の中国企業から仲介報酬の一部を前金として受け取り、それを充てたものだった。

 事が不首尾に終わったため、仲介料の前金として5億円を支払った中国企業は、当然、仲介者に返還を求めた。
 仲介者は、ジャーク薬品に対して、日本側の不手際で取引が出来なかったことを理由に紹介料の返還を求めた。
 しかし、ジャーク薬品は、自分たちは紹介しただけであり、後のことに責任は無いとして返還を拒否した。
 これら一連の交渉も全てUSBに収められていたため、ジャーク薬品は、一切反論することも出来ず、刑も賠償額も確定したのだった。

 後日、中国政府は、仲介者とされる人物の死因は、薬物の過剰摂取による事故死であると報じた。
 だが、中国政府の発表を信じる者はいなかった。

 また、情報の買い取り先とされる中国企業の日本国内での裁判のための召喚要求に対しては、当該企業も中国政府も回答を拒否し、召喚には全く応じなかった。

 だが、産業スパイ防止法では、情報の流出先が外国企業の場合、その企業が出頭しなくても、情報の流出先だと判断できる十分な証拠があれば、技術情報を流出させた者を罰することが出来るので、逮捕した者たちの裁判には全く支障は無かった。


 竹田製薬工業は、1年をかけて清算を終了した。
 その間に社員は全員解雇された。
 それと同時並行で、新生薬品が、新規採用の面接を行い、生え抜きの社長派を中心に約1,000名が採用された。
 竹田製薬工業は、約3,000人の社員を擁していたが、ほぼ3分の1の体制となった。

 採用されなかった旧竹田製薬工業社員のうち、研究開発職や一部の生産設備の技術者は、5~7年の間、同業他社への就職が禁止された。
 そもそも、産業スパイ防止法により、技術者は退職の際、同業他社への就職が5~10年間禁止されている。
 これは、廃業する竹田製薬の研究開発や生産工場の設備を買い上げ、実質的に経営を継続する新生薬品の利益を守る場合にも認められている措置である。

 原則として、研究開発職や一部の生産設備の技術者全員が、同業他社への就職が禁止される。
 だが、清算法人である竹田製薬工業と新生薬品との協議により、個別の人間ごとに禁止を解除することも出来る。

 同業他社への就職の禁止が解除されなくても、不服の申し立ては出来ない。
 しかし、裁判に訴える者が出ることも予想して、両社とも準備していたが、法廷闘争を挑む者はいなかった。

 あまりにも鮮やかな検察側の立証に、被告側は情状酌量を訴えるしかない裁判を見て諦めたのである。
 それに、同業他社への就職の禁止が解除されなかった者たちは、敵対派閥の構成員は勿論、皆が何かしら後ろめたいことが一つ二つはあったため、抵抗して藪蛇(やぶへび)になることを恐れたのである。


 戦いは終わった。
 だが、誰も勝利に対して、単純に歓喜する気にはなれなかった。

 警察の取り調べに現場検証がある。

 逮捕された者たちの殆どは、刑事に連行させられて現場検証が行われた。
 彼らは、一様に両手を前で組み、その上には布が被せられていた。
 手錠がされているのを隠しているのは一目瞭然だった。
 また、腰は紐で縛られ、後ろまで垂れ下がった紐の先を刑事が握って、会社の中を引き回されるように歩くのである。
 彼らが、談合をした場所や、情報を抜き取った様子などを確認するのである。

 刑事に連れられて来た者たちは、皆一様に黙って人の目を避けるように俯いていた。

 元同僚、元上司や元部下が、毎日のように現場検証のため、刑事に紐を掴まれてやって来るのである。
 武闘派の中心として、彼らと闘った近藤や高田裕次、里帆たちもなるべく目を合わせないようにするしかなかった。

 麩字島、鬼田川、蓑茂、蛭川の元敵対派閥の領袖や、彼らの側近たちも刑事に連れられて会社の中を引き回された。
 それを見た誰もが、抗争派閥は終わったのだと認識した。
 彼らの有罪判決が、次々と確定していく事態に、もはや会社に楯突こうとする者はいなかった。
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