第64話  闇の守護者~原爆投下

文字数 3,599文字

 「兵隊カフェ」の中でコーヒーを飲んでいた三人の先客は、元海軍少佐綿見真市、海軍大尉森崎繁房、海軍上等兵笠原正人であった。
 森崎と笠原の二人は、綿見が最後に乗った潜水艦に共に乗っていた元部下たちであった。

 笠原は、潜水艦の操舵手として類まれな技量で綿見の作戦遂行に貢献したのだが、潜水艦に乗る前は、人間魚雷「回天」の特攻隊員であった。
 先ほど、兄を呼ぶために店を飛び出した山田忠夫も、元「回天」の特攻隊員であり、年が近い彼らは訓練生の時からの仲間であった。

 戦後、忠夫が帰還した兄吾作の使いで、横浜の闇市に食材の仕入れに行った時、笠原と偶然再会し、「兵隊カフェ」に連れて来て以来、笠原は度々「兵隊カフェ」を訪れるようになったのである。

 その日、笠原は元上官と(おぼ)しき二人と連れ立って店にやって来ると窓際の席に座ったのだった。
 元上官らしい二人は、(おご)ったところが無く謙虚で礼儀正しい態度であった。
 山田忠夫は、この同じ海軍の元上官らしき二人と笠原に取って置きのコーヒーを()れた。
 二人の上官はこの上ないほど喜んでくれ、忠夫に礼を述べると、笠原を加え、三人で何かを話し合い始めたのだった。


 我々が生きるこの時間軸の世界では、幾つもの潜水艦ものの映画や小説がある。
 日本でも、米軍が東京に原爆を投下せんとした時、潜水艦でそれを阻止した架空戦記の小説をもとにした邦画が、2005年に上映され、筆者も映画館でスクリーンを食い入るように観たものだ。

 だが、直たちが生きる時間軸の世界では、それは現実であった。

 綿見真市は、根っからの潜水艦乗りであったが、海軍兵学校の武官教官を務めたことがあった。
 ところが、彼が作成する訓練カリキュラムは、兵学校生の安全に特に留意するものであったため、校長らとの意見が合わず、早くから、軍上層部に睨まれるようになり、閑職である陸上勤務を余儀なくされた。
 さらには、人間魚雷などの特攻作戦に強く反対したため、潜水艦勤務に戻ることなく敗戦を迎えようとしていたのだ。

 そのような時、ある重大な事件が起こった。

■■■

 ウイリアム・パーシーは、アメリカ陸軍航空軍少佐であるが、別の一面があった。
 原爆開発計画であるマンハッタン計画の一員であったのだ。
 彼は、物理学と管理工学を修め、現役の武官でありながらマンハッタン計画のリーダーであるオッペンハイマーの部下として原爆の開発に携わった。

 昭和20年7月16日、ニューメキシコ州の砂漠において人類初の核爆発実験が行われ成功した。
 その後すぐに米軍はかねてより計画をしていた日本への原爆投下を決定したのだ。
 元来、白人至上主義者であった時の大統領トルーマンは、日本国の再三の講和申し込みを無視し、原爆投下を決定したのだった。
 計画は、8月6日に広島、8月9日に小倉(天候が悪ければ長崎に変更)、そして、8月10日に日本の首都東京に投下するというものだった。

 ウイリアムは、核実験を待たず、早めに日本へ向かい、投下予定地を改めて確認するよう命令を受けていた。
 核実験の成功は、確実と予想されていたからだった。

 この頃、日本の制空権は、完全に米軍の手に落ち、もはや航空偵察に支障となるものは無かった。
 ウイリアムは、B29爆撃機に搭乗し、まず、広島、小倉、さらに予備とも言える長崎を上空から丹念に偵察をした。
 地上からは、時折、高射砲による砲撃があったが、ウイリアムが乗ったB29の高度まで届くことはなかった。

 最後に、東京が残ったが、ここでウイリアムはB29ではなく艦載機に乗って自ら操縦し、偵察をすることにした。
 この頃には、地上からの砲撃もほとんどなく、米軍は、一方的に空襲をするだけであった。
 予想どおり、日本軍の抵抗は全く無く、護衛のために付いていた友軍機とともに帰路に就いたのだった。

 東京湾を抜け、千葉県沿いに南下していた時、異変は起きた。
 一発の高射砲の砲撃が、ウイリアムが乗った艦載機に命中したのだ。
 機体からは黒煙が噴出し、千葉の山中に墜落し、爆発した。
 黒煙に覆われ、ウイリアムの脱出は、最後まで確認できなかった。
 友軍機のパイロットの報告を受けた米軍は、ウイリアムの生存は、絶望的と判断したのだった。

 ウイリアムは、奇跡的に生きていた。
 地面に激突する直前、脱出装置が起動し、九死に一生を得たのだった。
 ウイリアムが放り出された場所には、木々が茂っており、クッションの役目をしたのだ。
 ウイリアムは、駆けつけた日本兵に連行された。

 取調室では、血走った眼をした日本の将校が、ウイリアムを睨み付けていた。
 それだけではない。
 部屋には、他にも数人の日本兵がいたが、皆憎しみの籠った目でウイリアムを睨んでいたのだ。

 この時、取り調べに当たった将校は、16才になる弟を艦載機の射撃で殺されていた。
 この弟は、小柄であるが、農学校の4年生で、毎日、自転車で1時間以上もかけ通学していた。

 その日も、弟は、帰宅の途中、汗を流しながらペダルを踏んでいたのだが、後ろから聞こえる飛行機のエンジン音に気付くと、自転車を放り投げ、近くにあったハゼの大木に身を隠した。
 超低空飛行で飛んできた艦載機から機銃掃射がされ、ハゼの大木にタンタンタンタンタンタンと弾が当たったのだった。

 艦載機が、これで諦めて去ってくれればと思ったのだが、一旦過ぎ去った艦載機は、旋回し、戻ってくると再度、機銃掃射をしてきたのだ。
 これが、何度も繰り返され、その度に、弟はハゼの木を回って、弾を()けたのだが、何度目かに(つまづ)き倒れてしまったのだ。

 その時、弟の目には、超低空で近づく艦載機のパイロットの顔が、はっきり見えた。
 パイロットは、にやにやと笑っていたのだ。
 弟の体に銃弾がいくつも撃ち込まれ、艦載機は飛び去って行った。

 偶々(たまたま)兄の将校は、この近くにあった軍の施設に来ており、現場に駆け付けた時、弟は、既に虫の息であったが、生きていた。

 「・・兄ちゃん、あいつは何度も回り込んで来たんだ・・ニヤニヤしながら撃ってきた・・(かたき)を・兄ちゃ・・・」

 可愛い弟の最期であった。

 この将校は、ウイリアムを(なぶり)り殺すつもりだった。
 その場にいた兵たちも皆、家族や身内を殺されており、彼らは皆、以心伝心で将校の気持ちを分かっており、自分たちも加担するつもりであった。
 理由付けなど後からどうにでもなる。

 ウイリアムは、自分を囲む日本兵たちの異様な雰囲気に、殺されることを確信した。
 同時に、猛烈な恐怖に襲われ、

 「私は、ウイリアム・パーシー、アメリカの原爆開発のメンバーだ! 日本に原爆が投下される計画を知っている!・・東京にもだ!!」

 と絶叫したのだった。
 この将校は、英語に堪能であった。
 ウイリアムの絶叫を聞いて、血の気が引いた将校は、直ぐに所属する司令部へ報告した。

 この情報は、当時としては珍しく、速やかに陸軍から海軍軍令部へ伝えられた。
 事は、玉体(陛下)の安否にも関わることであり、軍同士のいがみ合いなど吹き飛ぶ重大問題であった。

 陸軍と海軍の共同の取り調べに対し、ウイリアムは、すでに原爆を積んだ2隻の輸送船が、米国本土からサイパン島の南にあるテニアン島へ近づいているはずだ、と供述をした。
 原爆は、B29に搭載され、テニアン島にあるハゴイ飛行場から日本へ飛び立つ計画だった。

 だが、ウイリアムの供述は、あまりにも重大であり、にわかには信じられない内容であった。
 とはいえ、陸軍も海軍も何の手も打たなかった訳では無い。
 しかし、それは、非常に心もとないものであった。
 何の吉報も届かず、日にちだけが過ぎていき、8月6日、ウイリアムの供述どおり、広島に原爆が投下された。

 ここに至って、ウイリアムの供述は、真実であることが証明された。
 陸軍大臣、海軍大臣、内閣総理大臣の三名が、急遽皇居に参内し、陛下に御遷座(せんざ)を願い出た。

 「広島だけでなく、小倉もしくは長崎、それに東京であるか・・・大勢の無辜(むこ)の民の命が奪われると分かっていて、この期に及び(ちん)だけが逃げることは出来ぬ」

 三名の重臣は、悄然(しょうぜん)として、皇居を後にするのであった。

 一人玉座に座ったままの(みかど)(陛下)

 「十年前、山崎弥之助が言ったとおりになったな・・東京だけは、何としても阻止したいと言っていたが・・もし、命があれば、此度の戦争の責任は、朕が一切を負わねばならぬ・・」

 原爆を積んだ輸送船の停泊場所、さらには、原爆を搭載したB29の予定発進時刻も、ウイリアムの供述で分かっていた。
 だが、取れる対策は限られている。
 いや、無いに等しかった。
 攻撃できる飛行機も艦船も無かった。

 あるのは、たった一つ残った潜水艦イ407であり、他に手段が無く、仕方なく打った手であったが、陸海軍、いや、日本の最後の頼みの綱であった。
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