第110話  二度目の歴史~山崎氏の誕生

文字数 2,158文字

 拓馬たちが居を構えたのは、白木蓮の生えている丘の麓であったが、この地は、山崎の中でも()せ地として棄てられた地であり、住む者たちも他に行くところもない棄民であった。
 水も乏しく米などは出来ず、かろうじて少量の粟や稗それに野草などを加えた粥でさえご馳走であった。
 拓馬と栞は、水源を発見したという(てい)で丘の中腹に湧水を作り、治水を行うとともに棚田までも作った。
 短期間に作ったにもかかわらず、住民は数十年前から少しずつ開拓が進められており、特に拓馬の助言により、急速に開発が進んだという認識であった。
 また、この集落のある地は、いつの間にか近隣の村人たちも含めて昔から京の公家である山科家が領有しているという認識が自然に出来上がっていた。
 勿論、それは、拓馬による記憶の改竄(かいざん)であった。
 拓馬は、木製の柄に付けた鉄製の(くわ)や鎌などを他所から購入したことにして領民となった者たちに無償で支給した。
 そればかりではなく、元禄時代に発明された千歯扱(せんばこ)きを山科家の秘伝として支給したので生産性は飛躍的に伸びたのだった。
 また、拓馬の能力で、山科領の作物は、米を始めとして冷害や病害に強く収量も多い品種としたが、これも門外不出として村で厳重に管理させた。

 さらに、拓馬は家を継がない次男や三男以下の男子を中心として銭で禄を支給する私兵を養い、兵農分離を行った。
 良質の弓矢に薙刀、槍、防具などで装備された兵は、拓馬の(しご)きで急速に強兵となっていった。
 もちろん、銭も武具も拓馬の能力で作った物だった。
 そればかりか拓馬は戦国時代の焙烙玉(ほうらくだま)を実際に製造し、この時代では、突出した軍事力を持つまでに至ったのだった。
 こうして、拓馬は着々と力を付けていった。
 
 拓馬は、軍事力については徹底して秘密を守るようにしたが、村の発展はどうしても近隣や他所との交流が増えることから隠すことは出来ない。
 すると、急速に発展する拓馬の村を見て、近隣の地侍や土豪の中には、これを横領しようとする者が出てきたのだった。

 もともと山崎の地は、小さい荘園が多く、しかも夫々(それぞれ)が、本領の飛び地のようになっていたため、早くから土豪や地侍たちの横領の格好の(まと)であり、各地で争いが絶えなかった。
 その中でも拓馬の山科領に隣接する土豪たちが獣のように襲い掛かってきたのだが、正に鎧袖一触(がいしゅういっしょく)に蹴散らしたのだった。
 拓馬は、その勢いのまま山崎一円を手中にした。
 土豪や地侍たちの領有を認めず、全て直轄領としたのだ。
 これには不服があるものと思っていたが、意外にもすんなりと事は落着した。
 これは、拓馬が従三位ということが知れ渡ったのが大きかった。
 やはり、この時代における貴族の身分というものは、動かしがたいほど大きなものであり、代官もいない不在貴族ならいざ知らず、従三位である拓馬自身が前線に立つのであれば、正面切って抵抗する侍はいなかったのだ。
 それに、拓馬の配下になれば、領地は召し上げられても領民ともども衣食住の心配が無くなり、拓馬の武力により、他からの侵略も守られるのである。

 こうして、山崎の地は拓馬の領有となったのだが、拓馬は、これ以上の勢力圏の拡大は極力避けたのだった。
 拓馬の領地にはあまりにも多くの秘密があり、これの漏洩を恐れたのもあるが、不足するものは拓馬の能力でいくらでも創造できるし、生産性が上がった領地内も人口が着実に増えてきただけでなく、山科領の発展を耳にして食と職を求めて腕に覚えがある者、噂に聞く山科領の進んだ技術を習得しようとする者などが次々と集まってきたからであった。

 拓馬の能力によって、不穏な企みを持つ者は全て排除しているのだが、肉の身を持つということは、いずれ死ななければ不自然である。
 拓馬以後のことを考慮すれば、これ以上の領地の拡大は慎重にならざるを得なかったのである。
 それに、最初の歴史の教訓で、あまりにも歴史に干渉すると、振り出しに戻ってしまう可能性がある。
 その際、どのような形になるのかは不明だ。
 拓馬と栞は、二人が影響を及ぼす範囲は、出来るだけ狭い範囲に(とど)めるべきであると考えたのだった。

 さらに拓馬は、山崎を領有するにあたって、姓を山科から山崎へと変えて名乗ることにした。
 最初の歴史では一貫して山科と名乗っていたが、未来を予知するとき、その未来は複雑であり、一家だけでなく複数の家に別れて力を結集することが良策だと考えたからだ。

 死後は宇宙生命体に戻るであろうということ、平成の御代には、再度肉の身を持って山科拓馬として転生するであろうことが予知できたからでもあった。

 こうして、山崎の地に拓馬を始祖とする山崎一族が誕生するのであるが、拓馬は単に始祖と記されただけであり、山崎家の家系図において名が明確なのは二代目からである。
 勿論、これは拓馬が操作したことであった。

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 ※炮烙玉~低温で焼かれた素焼きの土器(炮烙)に火薬を詰め、導火線に火をつけて敵に投
      げつけ爆発させる戦国時代の手榴弾
      村上、毛利などの瀬戸内水軍が使用していた。
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