第60話  闇の守護者~帰還

文字数 3,072文字

 (ただす)たち119名は、全員捕虜となった。
 捕虜収容所に収容される前、直と隊員たちは、パトロール隊に囲まれて、米軍の司令部まで行進した。
 司令部の前には、小銃を持った兵たちが、警備のため立っていたが、門扉の前では、司令官と数名の将校、兵たちが、直立不動の姿勢で直たちを待っていた。

 直たちは、司令部のかなり前で、直を除く全員が武装解除を行った。
 直は、司令官の前に進み、小銃と白い布に包んだ軍刀を捧げ持って司令官に渡した。

 司令官は、感慨深げに、

 「貴殿の長い間の奮闘に敬意を表する。これから捕虜収容所に入ることになるが、何か不自由なことがあれば遠慮なく申し出てほしい」

 と直に声を掛けた。

 「ご配慮恐縮です。戦争終結にも(かかわ)らず、長い間ご迷惑をかけ申し訳ございませんでした。我ら一同降伏した以上、一切抵抗は致しません。ただ、隊員は、私の命令に従っただけに過ぎず、一切の責任は私にあります。どのような罰も一身に受ける覚悟ですので、部下たちには、なにとぞ格別のご寛恕(かんじょ)をくださいますようお願いいたします」

 司令官は、自身の保身を全く考えない、従容(しょうよう)として最期を迎える覚悟を持った直の(たたず)まいから目を離すことが出来なかった。

 (これが、日本の武士というものなのか・・・)

 この日から、この司令官は、直たちの心強い擁護者となったのだった。

 当時、米軍の中でも、直たちの処遇について意見が割れていた。
 直たちを戦犯として罰するべきとの声がある一方、処罰には何ら値しないという意見も強かった。

 直たちが、あまりにも強かったため、米軍は、多大な損害を(こうむ)っていた。
 このことを恨みに思う者もいたのだ。
 だが、それは戦争中のことであり、問題にはならないと一蹴された。

 問題は、集落の住民と米兵が全員死亡した戦いであった。
 日本軍に、非人道的な行いがあったのではないかと、疑念を持つ者もいたのだ。
 これについては、直隊の全員が入念な取り調べを受けたが、彼らの供述に不審な点は特に無かった。

 隊員たちの供述は、あの時、集落の中では、子どもたちが遊んでいたが、周辺の叢林だけでなく、集落の中にも戦車が隠されていたため、それを見抜いた榊隊長は、先制攻撃の命を発したのだと云うものだった。

 供述の通り、集落の中も含めて周辺には、合計37輌の戦車と5門の自走榴弾砲が隠されており、直たちを攻撃せんと待ち伏せていたのだ。
 集落には、5輌の戦車と自走榴弾砲が1門配置され、応戦した痕跡もあった。

 確かに、直たちの精神状態は、普通ではなかったが、仲間を殺された恨みだけではなく、誰が内応者であるか分からない状況では、そうせざるを得ない面もあったのだ。
 実際、この時は、すでに村人全員が内応者であった。
 米軍は、そのことは十分承知していた。

 さらに、一人だけ敵前逃亡したのではないかと疑われた現場の指揮官が、村人たちを(おとり)として、かつ人質の盾として、直たちをもっと引き付けようとしたのではないかという疑いが濃厚になった。
 であれば、非人道的なのは、米軍のほうである。

 直の部下たちは、あの戦闘が終わった後、まだ生き残っていた米兵と住民を殺害したことには口を(つぐ)んだ。
 彼らは皆、心中、

 (・・死んだ人たちには申し訳ないことをした。この良心の呵責(かしゃく)は、一生持ち続けよう。だが、今は死ぬわけにはいかないのだ・・・)

 と、何かを決心していた。

 米軍の決定は、思ったより早かった。
 現場では、直たちの擁護者となった米軍の司令官を始め、直たちを戦犯に問うべきではないという意見が、大勢を占めるようになっていたが、日本にあるGHQの司令部からも、直たちを戦犯として裁判にかければ、直たちの活躍を喧伝することになり、好ましくないとの意見が寄せられた。

 直たちの戦時中の軍事行動は、当然極秘であり、敗戦となった今、彼らの活躍が、日本で語られることも伝わることも無く、直たちの戦時中の活躍は、敵である米軍以外誰も知らないことであった。

 このようにして、直と部下たちは、全員日本へ帰還することになったのだが、直の帰還は最後であった。
 米軍は、部下たちをばらばらと先に帰還させた。
 直と一緒だと何かを企むかもしれないとの危惧からの、念のための措置だった。


 直たち復員兵を乗せた輸送船は、横浜港に入港した。
 不思議なことに、遥か彼方に陸地が見えた時、陸地を見つめる復員兵の全員が、陸地から漂ってくる味噌汁の匂いを()いだのだ。
 彼らは、一斉に歓声を上げ、涙する者も多くいた。

 直は、ほぼ5年ぶりとなる日本の地を確かめるように踏みしめた。
 港には、婦人会の女性たちだろう、炊き出しが行われていた。
 炊き出しは、白米に味噌汁、漬物、煮物、それに豚汁まで用意されていた。
 それどころか、復員兵には煙草と酒まで振舞われた。
 まだ食糧不足が深刻な頃であり、正に大盤振る舞いと言えるものだった。

 (・・小弥太さんだな・・多忙であろうに、ありがたいことだ・・)

 直は、久し振りに吸う煙草の紫煙にうっとりとしながら、人込みを眺めるのだった。

 そこへ、身なりの良い小柄な老人が、さり気なく直に近づいて来た。
 彼は、五菱の山崎邸で長年執事を務める宮松友興と云った。
 直は、先ほどからこの老人のことは気付いてた。
 老人は、先ほどまで婦人会の女性たちと話をしていたが、女性たちは皆、彼に何度も頭を下げていたのだった。

 直たちが立っている場所には、簡易な長机が並べられており、復員兵たちは、思い思いの場所で、炊き出しの食事や提供された酒や煙草を楽しんでいた。
 この日の炊き出しは、お代わりも十分用意されており、お祭り騒ぎのようであった。

 宮松老人は、偶々(たまたま)直の横に立ったという風で、自分も炊き出しの食事を始めるのであった。
 二人は、初めて会った人間同士のように振舞い、小声で少しの会話をしたのだった。

 「直様、長い間のお務め、お疲れ様でございました」

 「ありがとうございます。今日の炊き出しは、小弥太さんのご配慮ですか」

 「そうでございます。お上は、このような事しかできず申し訳ないと仰っておられました」

 「いいえ、私にとって忘れられないほど豪華なもてなしです。他の復員兵も今日ばかりは、辛かった俘虜(ふりょ)の生活を忘れ、喜んでいます。小弥太さんには、直が心から礼を言っていたと、くれぐれもお伝えください」

 「恐れ入ります。必ずお伝えいたします。お上は、昨年の9月頃から始まった本格的な財閥解体と、その清算で多忙を極めており、直様に会えないことを残念がっておりました」

 「私も会いたいのですが、そのうち会うことになりますから、それまで、ご壮健でともお伝えください。あとひとつ、戦犯にならずに済んだことも、小弥太さんの尽力があったからと思います。このことも感謝していたとお伝えください」

 「いえ、それは直様のご人徳のなせるところだと、お上は仰っていました。それに、一つだけお上から伝言を預かっています。それは・・『共に使命を果たさん』・・」

 直は、(うなづ)き、

 『もとより、共に身命をかけて』

 と(こた)えたのだった。

 それから、宮松老人は、来た時と同じように、さり気無く直から離れ、他の長机にたむろしている復員兵たちと話し始めるのであった。

 炊き出しの食事をゆっくり摂った後、直もそこを立ち去ったのだが、建物の物陰から宮松老人を監視しているような刑事と思われる二人の男が、直を()ける様子が無いことを確認したうえで、学生時代を過ごした懐かしい横浜の雑踏へと向かったのだった。
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