第11話  外科病棟で

文字数 1,215文字

 俺は、ベッドの上で目を覚ました。
 ベッドの横には、50代半ばに見える男性が椅子に座り、うつらうつらとしていた。

 その顔には見覚えがあった。
 日本財界の総本山と称される「 日本経営団体連合協議会 」略して、経団連の会長だ。
 五菱重工の会長であり、五菱グループの代表でもある。
 実際の年齢は、今年70才のはずだ。

 俺は、てっきり何か別の用事でいるんだろうと思い、部屋を見回すと、そこは豪華なリビングのようであり、俺のベッドも豪華なのだが、どこか病院を思わせるようなものだった。
 ベッドの周りには、医療機器がずらりと設置されており、色んなコードやチューブが機器と俺を繋いでいた。

 ( ・・思い出した !! ) 「 子どもは ⁉ 子どもは ⁉ 」

 思わず口に出してしまった。
 椅子に座っている男性が、飛び上がるように立ち上がって、

 「 大丈夫か ⁉ 大丈夫か⁉ 山科君 !!

 俺は、やはり病院に入院していた。
 事故は、三日前だった。

 病院に運ばれる途中、俺は、うわ言で

 「 こどもは ? こどもは ? 」

 と言っていたそうだ。
 子どもは、全くの無傷だった。

 俺は、病院に着いた時は、すでに心肺停止状態になっていた。
 医師たちは、もう危ないから俺の家族を早く捜すようにと警察に話していたそうだ。

 ところが、危ないと言われた俺の心臓は、再び動き出したのだが、医師たちは、俺が植物人間になるだろうと予測したそうだ。

 さらに、俺には身寄りが無いことが分かり、子どもの家族が付ききりで看病してくれたそうだ。
 そして、三日目に突然、俺は、意識を回復したという訳だ。

 医師たちは、子どもの無傷も俺の回復も奇跡だと言って、一日に何度も病室に出入りし、データを見ながら、同じことを何度も俺に質問するので閉口した。

 治療が必要なのは、骨折だけだった。
 全身骨折だったが、頭蓋骨や脳、脊椎、神経、内臓といった重要な器官は、全く損傷が無かった。
 医師たちからは、

 「 こんなケースは初めてだ」

 と言われた。
 入院は、最低でも3ヶ月は必要と言われたが、1ヶ月で退院できた。

 隣に座っていた男性は、やはり経団連会長の山崎弥太郎氏だった。
 事故に遭った子どもは、弥太郎氏のたった一人の男の孫で龍馬君と云った。
 ご先祖の出身地である土佐の英雄から取ったとのことだった。

 今回の事故は、弥太郎氏の配慮と働きかけで、マスコミに取り上げられることは無かった。
 ところが、1ヶ月の間、見舞客の行列が出来た。
 もちろん、龍馬君と俺の見舞いを口実にして、弥太郎氏の覚えを良くしようとする連中が多かった。

 どこで知ったのか、俺の会社の社長と常務が、弥太郎氏がいるときに限って、3回も見舞いに来たのには驚いた。
 会社の廊下で、このコンビとすれ違った時があったが、二人ともお辞儀をした俺には一顧だにせず、歩いて行ったことがあったからだ。

 一ヶ月間、あまりのんびりとは出来なかった。
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