第125話  令和の国難~結末

文字数 2,551文字

 第125話 2022年2月21日午前5時24分投稿
 
 北京冬季オリンピックが閉会する昨日中に今回の話まで投稿したかったのですが、遅れてしまいました。
 いつものように投稿の後、誤字脱字の訂正や、語順の入れ替え、分かりにくい部分の内容の補足などで何度か更新すると思いますが、基本的な内容は変わりません。
 戦争が起きない願いを込めて、四度目の歴史では、軍事侵攻がない設定にしました。
 三度目の歴史の中に生きる私たちの歴史がどうなるかはわかりません。
 ただ、戦争が起きないことを心から祈るばかりです。
 第二幕は、現時点であと3話ほど予定しています。

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 2022年2月20日、北京冬季オリンピックが閉会した。
 ロシア、中国、北鮮の三ヶ国侵攻は幸いなことに起きなかった。


 ロシアについては、公式外交や水面下でアメリカやドイツ、イギリス、フランスなどが交渉を行った。
 ロシアの懸念は、ウクライナがNATO(北大西洋条約機構)に加盟すれば、ウクライナとロシアの長大な国境線が対ロシア軍事同盟であるNATOの最前線になるということだった。
 これに対してNATOは、状況が深刻な事態へと変化しない限りウクライナのNATO加盟は認めないと宣言した。
 アメリカも、もしロシアがウクライナに侵攻すれば原爆級の制裁もあり得るとし、水面下の交渉では、それがスイフトからの排除であることを明言した。
 ここに至って、ロシアは当面の軍事行動を停止し、もしウクライナがNATOに加盟する動きが本格化すれば、ただちにウクライナに侵攻すると宣言することで一応の決着をみた。
 ウクライナ問題は、ウクライナ国内の親ロシア派と親欧米派の対立もあり、くすぶり続けることとなったが、現状を変更しようとしない限り平和が保たれることとなった。


 中国では、電力不足、ドル流失に加え、毎年のように発生する大洪水が、流通を始め経済に打撃を与えていた。
 さらに、土地バブルの崩壊が経済に深刻な状況をもたらしていた。
 倒れることは絶対ないと信じられていた不動産開発会社が次々と債務不履行に陥り、業界最大手と云われる不動産会社恒大集団も実質的に破綻し、その取引先や関連業者も含めると、不動産セクターがGDPの三割を占めると言われている中国経済に壊滅的な影響を与えていた。
 共産党の現指導部と敵対的な関係にある旧指導部の影響下にある不動産関係とIT関連事業は、現指導部から徹底的な攻撃を受け、IT関連事業も次々と事業縮小や廃止に追い込まれていた。
 土地バブルの崩壊は地方政府の財政崩壊へと繋がった。

 2022年1月、中国東北部の黒竜江省にある鶴崗市の財政破綻に端を発した地方政府の財政破綻は全国へと広がっていった。
 公にはされないケースも多かったが、実情は地方政府の財政はどこも破綻状態だった。
 鶴崗市の場合、地元の石炭産業と武漢肺炎の影響だと発表されたが、実際は、土地使用料収入の激減が主な理由だった。
 中国の土地は私有が認められず、不動産会社は多額の借金をして50年分、70年分といった土地の使用料を地方政府に支払い、マンションを建て、町と云える規模の開発をするのだ。
 結果、誰も入居せず、無人のニュータウンが全国に出来た。
 鶴崗市では、北京なら100万ドルする物件が1万ドルでも売れない状況にまでなっていたという。
 ところが、地方政府は、土地の賃借料が入ればよいので不動産会社の借金を保証することさえしており、隠れ債務といわれてる。
 鶴崗市の歳出は、歳入の10倍近くあったともいう。
 それらは、共産党幹部でもある市幹部の私的流用や幹部の息のかかった企業への補助金で消えていったようだ。
 黒竜江省でさえ歳出が歳入の5~6倍あるのではないかと言われているが、中国の省と言えば一国の規模と言ってもいいぐらいだから地方財政の深刻さが分かるというものだ。
 これが大なり小なり全国的な傾向であった。

 また、武漢肺炎対策についても極端な隔離政策で、人の移動や物資の流通に支障をきたし、経済に悪影響を与えていたが、隔離された施設でも共産党関係者はフリーパスであったため、効果ははなはだ疑問であった。

 このような状況とウイグル問題についての世界的な批判の高まりもあり、台湾侵攻には慎重にならざるを得なくなったのだった。
 それでも侵攻を主張する勢力はあったが、彼らの目的は占領後の利権の奪い合いであり、侵攻に成功してもその後占領政策の足を引っ張ることが容易に想像できた。
 さらに侵攻中止の決定的理由となったのが、侵攻のための軍の装備の把握が正確に出来なかったということだった。
 一言でいえば、軍も腐敗していたということだ。

 中国はその後さらに混迷の度を深めていった。
 まず、従来の旧指導部(黄沢民を中心とする旧勢力)と現指導部(周遠平を中心とする勢力)の対立に加え、共産原理派と民主派の台頭である。
 民主派は、共産党の独裁が諸悪の根源であるとし、共産党打倒を掲げた。
 これに対し、共産原理派は、共産主義そのものは正しいが、政権を担った人間に問題があったのだとし、共産党内での改革を掲げたのだった。
 中国の政情は、ますます混乱し、内乱が勃発、最終的には12ヶ国に分裂し、連邦制になり国情が安定するまでには長い年月を要したのだった。


 ロシア、中国、北鮮の中で最も好戦的だったのは、北鮮だった。
 しかし、ロシアと中国が侵攻を中止した以上、北鮮も侵攻を諦めざるを得なかった。
 核開発など軍事的にはロシアの援助を受け、経済的には中国の後押しがなければさらなる困窮は目に見えていた。
 また、朝鮮社会党総書記の銀将恩の健康問題と総書記の妹への権限移譲が重なり、権限移譲が落ち着くまでは時期尚早という判断になったのだった。


 拓馬は、最悪の場合、実力行使も視野に入れていたが、幸いなことに事無きを得てほっとしたのだった。
 しかし、三ヶ国の侵攻に備えて行った各種技術の開発は、その後の日本の繁栄に大きく貢献することとなったのだった。
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