第28話  竹田製薬工業の再生~決意

文字数 2,780文字

 五菱重工社長の山崎弥太郎と、竹田製薬工業社長の竹田智之が、二人だけで会うのは、40数年ぶりであった。
 だが、二人はすぐに智之が高校1年、弥太郎が小学2年の時、初めて会った頃のように何の(てら)いも虚飾も無い、まるで昔からの親友に再会したような懐かしさを感じながら暫く旧交を温めた。

 その後、五菱重工副社長の豊川良一と常務取締役の吉岡幹一という人物が加わり、竹田製薬工業再生のための会合へと移った。
 途中、智之の娘婿であり、竹田製薬工業の副社長となったばかりの森山秀二も駆けつけ会合に加わった。
 会合は、五人での昼食を挟んで続いた。
 夕食も五人で摂って、その日の会合は深夜まで続いた。


 ----- 平成5年、この会合の10年前 -----

 弥太郎は、若干44才の若さで五菱重工の社長に就任した。
 彼は、五菱重工の発展に尽くすのは勿論、五菱グループ全体にも目を向けていた。

 明治時代、五菱財閥は国策に則り、五菱商事設立による海外貿易を皮切りに、造船、鉄道、鉱業、軍需、化学、製鉄と云った重化学工業を中心とした様々な分野に進出した。
 だが、未開拓の分野も多く、その中でも製薬業については、大きなプロジェクトになり得るものだった。

 竹田製薬工業の派閥抗争は、その頃、社外でも噂になり始めていた。
 その経過と深刻さを父から聞かされ知っていた弥太郎は、このままでは将来、竹田製薬工業は、重大な危機に陥るのではないかと危惧していた。
 そこで、五菱重工の社長に就任すると、直ぐに副社長の豊川に、竹田製薬工業の現状を出来るだけ詳しく調べるように指示を出した。

 弥太郎は、社長室で副社長の豊川と総務部長の吉岡を前にして、竹田製薬工業に関する報告書に目を通していた。

 弥太郎
 「竹田製薬工業とは殆ど接点が無いのに、ここまで良く調べてくれた。ありがとう 」

 豊川
 「いえ、公表されている数字からの推測が多く、十分とは言えない報告になりました。申し訳ありません」

 吉岡
 「内部の状況についても、噂をまとめたものが多く、申し訳ありません」

 弥太郎
 「業種の性格上、内部の事情を調べるのは難しいからな。これで十分だよ。それに、父から竹田製薬工業の内情については、かなり深いところまで聞かされているんだ。この報告書と突き合わせてみると、なるほどと腑に落ちることも多いよ。
 ・・・・ 竹田製薬工業は、5年前から費用回収率の良い新薬を一つも出していないな・・・先行しているはずの目玉となる新薬が、いつの間にか他社に追い抜かれていたと云うケースばかりだ。竹田製薬工業の研究開発の人材の厚さは、業界でも屈指だと言われているのに、おかしいと思わないか?」

 豊川
 「はい。ただ、需要が少なく、費用回収率が低い新薬は、毎年コンスタントに発表しています。このままでは薬を作れば作るほど費用が(かさ)み、業績も資金繰りも締め付けることになりかねません」

 弥太郎
 「そうなんだ。だが、どんなに需要が少なくても困っている人がいる限り、智之さんは、新薬の開発を止めないだろう。竹田智之と云う人は、そう云う人だ。竹田製薬工業の良き社風でもあるんだよ。でも、このまま大型案件の新薬が出なければ、竹田製薬工業といえど、体力が削ぎ落されていくのは間違いない」

 吉岡
 「社長は、今後も、大型案件の新薬は出ないとお考えなのですか」

 弥太郎
 「出ないと思う」

 吉岡
 「ひょっとすると社長は、単なる派閥抗争ではなく、もっと深刻な問題があると・・・ 」

 弥太郎
 「私と吉岡さん、それに豊川君も同じ考えなんだろう」

 それから三人は、今後の経済や政治状況の分析を行い、併せて、竹田製薬工業の今後の予想について、一つの結論に達した。

 現在のデフレは、出口が見えない。
 将来的なインフレ圧力は、少子高齢化による人手不足からくる人件費上昇の可能性が最も大きい。
 しかし、政府の政策は、消費税増税などの税制改革、社会保険料などの負担金の増額などが目白押しでインフレ圧力を打ち消すものばかりだ。
 地価の下落も、デフレが続く限り上昇に転ずる可能性は低い。
 当然、土地の担保価値の下落も続き、銀行の融資も困難になるだろう。
 企業も将来の不安から内部留保に走り、投資も従業員への賃金も押さえることになるので、個人消費も伸び悩む。
 結果として、デフレからくる不景気は続くことになる。
 長い目で見れば、企業は不景気の中で生き残るため、必死に製品の品質、スペックの向上を図り、それが長いデフレの出口に繋がるだろう。
 だが、それは、ずっと先のことだ。

 竹田製薬工業は、銀行からの融資も絞られている状況だが、5年後には最後の大型案件の薬の特許期間が終了する。
 それから竹田製薬工業の保有資産や資金力が枯渇するのは早い。
 持っても、特許期間の終了から、さらに5年、つまり10年後には、竹田製薬工業の破綻が確実になるだろう、と云うのが三人の一致した見解であった。

 弥太郎は、かねてより私的にも竹田製薬工業の社長を務める智之を助けたかった。
 しかし、企業人として私的な動機で動くことは許されない。
 どのような形であれ、莫大な人員と金額を必要とするのだ。

 弥太郎は、豊川良一を筆頭に吉岡幹一ら信頼できる部下と共に、竹田製薬工業の健全化と五菱グループにとっても、最善の方法について案を練り上げていった。

 出来上がった案をもとに父の小弥太を初め、関連があるグループ内の企業に根回しをした後、五菱評定に議題として提案した。
 弥太郎の提案は、全会一致で承認された。

 父の小弥太は、評定では、いつも通りの表情を崩さなかったが、弥太郎から事前の根回しを受けた時は、思わず笑みがこぼれていた。
 小弥太も竹田製薬工業と社長の智之のことを心配していたのだ。


 ----- 再び、五菱重工社長室での会合の場面 -----

 智之の質問と弥太郎たちの説明が、大部分を占めた会合は、深夜にようやく一段落した。

 明日からでも、計画は実行に移せる。
 いや、すでに実行している。
 計画を完遂(かんすい)するのは、智之次第なのだと弥太郎は告げた。
 竹田製薬工業の再生のために、五菱グループは、最善の力を尽くすとも告げた。

 弥太郎の提案は一見、怜悧冷徹な企業家として利益を追求するものに見えて、底には、人としての温かい親愛の情がこもっていた。

 智之は、驚愕した。
 この時を見越して、10年前から計画があり、それが既に実行され大詰めに来ていることに。
 さらに、社内外で大勢の人が働いていたことに。

 智之に、否やは無かった。
 働いてくれていた大勢の人たちに心から感謝した。

 会社のために、こんな自分のために、働いてくれている社員と家族に報いるため、彼らを守るために自分はあるのだ。
 そのためには、何でもする。
 智之は、決意を新たにした。
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