第26話  竹田社長の苦悩~苦闘

文字数 3,586文字

 竹田製薬工業は、戦前からの老舗の製薬会社であった。
 江戸時代から続く薬種商で、自家製薬の家内工業的な薬種生産を行っていたが、大正の初め、現在の社長である竹田智之の祖父が会社組織にした。
 それ以来、新薬の開発を柱としながら、堅実な会社経営によって業界内外での信頼は高く、しっかりとした基盤を持つ会社に成長していった。
 規模は、さほど大きくはないが、毎年新薬を発表し、業界では大手製薬会社の一角を占める評価を得るまでになった。

 『製薬は、世の人々の役に立つ誇りある仕事だ』とは、祖父の口癖であったが、それは智之も智之の父も同様であった。
 竹田製薬工業は、よくある同族会社であったが、社内は和気藹々(わきあいあい)として、祖父も父も後顧の憂い無く、新薬の研究に没頭することが出来た。

 祖父も父も根っからの研究者気質(かたぎ)というか、技術者気質というのか、薬の研究開発に寝食を忘れて取り組むことが度々であった。
 智之自身もそうしたかった。
 だが、78才になる今日まで、そのようなことが許されたのは(わず)かな日々であった。


 戦後、経済の仕組みは激変した。
 それまで旧態依然とした経営を続けていた多くの会社が、経営に行き詰った。
 製薬業界も法制度や規制の急激な変化、それに外国製品との競争の激化に対応できず、多くの企業が倒産に追い込まれた。
 それらの企業の中の数社が、生き残りをかけて頼ったのが祖父であり、竹田製薬工業であったのだ。
 祖父は、同業者の倒産によって、今まで培われた医薬品の研究成果や技術が失われることを危惧していた。
 祖父にとっては、それが最も重要な事であった。

 だから、何が必要かの人的、物的な選別も十分になされないまま、丸呑みのような形で合併がなされた。
 当然、過剰人員と使わない過剰施設が生じることになった。
 合併された会社の社員が、合併前と同様な給与やポストの待遇を受けるのは無理な話であった。
 最初の頃は、それでも倒産するよりまだ良しと考えていても、段々と欲が芽生え、それは不満になっていった。
 過剰施設は、売るにも売れないものばかりだった。
 いずれは、売却の可能性があるとしても、そのままでは売れないものばかりだったので、解体して更地にしようとしても多額の費用を要することになる。
 そのまま持っていれば、維持費に金がかかると云う有様(ありさま)だった。

 吸収合併された企業が、2社までの頃はまだ良かったが、会社の合併は最終的に4社になった。
 そうなると合併された会社の社員たちは、他の合併された会社の社員との待遇の差が、少しでもあると感じるだけで、ますます不満が募っていった。

 吸収合併された会社の社員たちは、出身会社ごとに急速に派閥を形成し、自分たちの権益を少しでも増やそう、良いポストを少しでも獲得しようと暗躍を始めた。

 彼らの旧会社が、倒産を余儀なくされたのは、何も時世に乗れなかっただけではない。
 吸収合併された会社は、どれも多かれ少なかれ社内での派閥抗争により疲弊していた会社ばかりだったのだ。
 彼らは、竹田製薬工業という新天地で、旧会社内でそれぞれ争っていた派閥を解消し、新たに派閥を構成し(まと)まることにより、一層強固な派閥を形成したのだ。

 それに輪をかけたのが、合併前の旧会社の経営者たちだった。
 戦後まだ間もない頃は、戦前の経営者と使用人の主従関係が、まだ色濃く残っていた。
 旧経営者の中には、旧使用人たちを使って返り咲きを画策する者たちが相当数いたのだ。
 彼らは、旧使用人たちの派閥に資金援助をしたり、暗闘のアドバイスを行ったりした。
 これによって、派閥抗争は、権益の確保と、他の派閥に対する主導権をめぐって、ますます激化していった。

 各派閥の人間にとって、他の吸収合併された会社は、元々は互いに(しのぎ)を削った競争相手である。
 競争の場が、竹田製薬工業の中に変わっただけなのだ。
 やがて、狭い会社の中は派閥抗争の坩堝(るつぼ)と化していった。

 企業合併にはメリットもあるが、デメリットもあるのが当然だ。
 どんな組織も突き詰めれば人だ。
 働く場もそうだ。
 人によって天と地の差が出来てしまう。
 事前に出来る限りの対策をしていれば、もっと変わっていたに違いない。

 だが、竹田製薬工業は、それまで合併の経験が無く、デメリットへの対策は十分でないまま数社との合併を次々と行ったのだ。
 祖父に、デメリットの対策や対応の関心があまり無かったことが、後々、竹田製薬工業が、倒産寸前まで行ってしまう原因の一つとなった。

 祖父は、戦前から会社を支えてきた古参の社員たちに経営の実務面は殆ど任せていた。
 この竹田製薬工業の和気藹々とした社風の中で、吸収合併された会社の社員たちも力を合わせて働いてくれるものと信じていた。
 それは、尊敬する社長である祖父の下で働いていた古参の社員たちも同様であった。

 だが、合併された会社ごとに形成された派閥の抗争は、日毎に激しさを増していった。
 それに対して、経営を任されていた古参の社員たちも、手を(こまね)いていた訳ではない。
 事態の収拾のため色々と試みたが、竹田製薬工業という派閥抗争とは殆ど無縁だった彼らで
は、合併前の会社でも、合併後の会社でも、派閥抗争を繰り広げる海千山千の抗争派閥の連中には、何ら効果的な手を打つことは出来なかった。
 それどころか、抗争派閥の人間たちは、古参の社員たちに対しても、刃向かう姿勢すら見せるようになっていったのだ。
 それでも、祖父が存命中はまだ良かった。
 誰もが、祖父に対しては恩義を感じていたからだ。


 智之が高校3年生の時、祖父は亡くなった。
 さすがに晩年は、社内の派閥抗争を打開しようとして祖父も苦闘した。
 病床にあっても、そのことばかりを気にかけていた。
 死期が近づいた時、祖父は父に涙を流して詫びた。
 そんな祖父を見たのは初めてだった。
 こんなに祖父を苦しめている抗争派閥の人間たちを父も智之も許せなかった。
 祖父のためにも、何とかして派閥抗争を止めさせたいと、父は思ったに違いない。
 智之も、早く父の力になって父の手助けをしたいと、決心したのだった。

 会社は、50才になった父が継いだ。
 経験を積み、社会的信用もあり、健康であれば、社長として最適と言える年代だろう。
 父は、快活な人だった。
 家でも、薬の話になると何時(いつ)までも話していた。
 その父が、社長になってから次第に無口になっていった。
 やがて、家に帰っても殆ど話さなくなり、書斎に籠ることが多くなった。

 智之が入学した薬科大学は、4年制と6年制の薬学科があったが、智之は4年制の薬学科を履修し、大学卒業と同時に父の会社に入社した。
 入社が決まった日の夜、父は智之に取って置きのワインを開けてくれた。

 「・・智之すまない・・・今からでも遅くはない。お前は、お前の好きな道を歩んでいいんだ」

 「お父さん、僕の好きな道、進むべき道は、この道だと思っているよ」

 「・・そうか・・・」

 父の傍に座っていた母が、静かに涙を(ぬぐ)っていた。

 智之は、いきなり社長室長を命じられ、常に社長である父と行動を共にすることになった。
 父は、智之に社長としての帝王学を学ばせたのだ。
 十年後、父は鬼籍に入った。

 智之は、わずか32才で父の跡を継いだ。
 しかし、その後の30年、智之は、自分は何をしたのだろうかと思う。
 ただ、派閥間の融和に腐心し、派閥間の抗争に苦しめられた30年間であった。

 祖父、父、智之の三代に渡る苦闘は、終わっていなかった。
 年月が経てば、合併前の会社出身の社員も定年退職を迎え、竹田製薬工業の社員として採用された者が、多数を占めるようになるだろう。
 そうなれば、自然と派閥抗争も収束するのではないかと期待していたが、現実は厳しい状況のままだった。

 派閥間の抗争は、さらに先鋭化し、各派閥は、利権集団または利益集団としての性格を強め、獲得した利益やポストを配分することで、ますます強固なものとなっていたのだ。
 新しい社員までもが、上司や先輩を通じて、次々と各派閥に取り込まれていった。

 平成15年(2003年)、今から16年前、智之が62才の時、会社は経営破綻に直面することになった。

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 本作品は、現在時点をしばらくの間、2019年に設定しています。

 竹田製薬工業のターンに入りました。
 男の企業ものの様相を呈します。
 途中、息が詰まらないように個人の視点からの話も挿入しようと思います。
 長い話になりそうですが、どうぞお付き合いの程よろしくお願いします。

 竹田製薬工業の話が終わった後、東京メディシンの話へと続きます。
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