第29話  竹田製薬工業の再生~糸口

文字数 3,650文字

 竹田製薬工業の再生計画は、経営破綻を迎える10年前から始動していた。

 計画立案に携わったメンバーは、それぞれに役割分担をした。
 その中で最も難しく重要なのは、抗争に明け暮れる社員の排除と、それら抗争派閥に組しない、謂わば社長派の社員の見極めだった。

 先ずは、社長派の社員を見極め、彼らを抗争に明け暮れる社員から守る必要がある。
 さらに、その勢力を拡大し、事が成就した暁には、会社再建の主力となって働いてもらわなければならない。
 それと、これが一番大事なことなのだが、社長派の社員にこそ主力となって抗争派閥と闘ってほしい。
 自分たちで掴んだ勝利でなければ意味が無いからだ。
 そのための支援なら、五菱グループは全力で行う。
 もし、彼らに闘う意志が無いのなら、彼らを抜きにして強引に吸収合併を進めるだけだ。

 だが、弥太郎は、抗争派閥がどのように画策しようと、今まで会社の主導権を取れないのは、抗争派閥間の争いだけではなく、三代に渡って派閥抗争を収束させようと苦闘してきた長衛、國之、智之を支える社長派の力があるからだと考えていた。
 もし、そうなら彼らを見捨てることは出来ない。
 なんとしても、彼らと力を合わせて、竹田製薬工業の再生を成し遂げたいと思っていた。

 この困難な役割を担ったのが、当時、弥太郎の社長就任と同時に副社長に就任した豊川良一であった。
 彼は、自他共に認める弥太郎の腹心である。
 豊川良一は、弥太郎の一才年下であるが、幼い頃から弥太郎とは共に学び、共に遊んできた竹馬の友であり、親友であった。

 豊川良一の補佐に任じられたのが、総務部長の吉岡幹一であった。
 吉岡幹一と弥太郎の出会いは、35年前だった。
 小学3年生の弥太郎が、家にやって来た吉岡幹一に会ったのが初めてだった。
 幹一は、土佐の出身で、その年、都内の大学に入学したばかりだった。
 兄がいない弥太郎は、幹一を兄のように慕い、幹一も常に弥太郎の良き相談相手であった。
 豊川良一と吉岡幹一、この二人が、今弥太郎の両脇にいることが、弥太郎にとっては、心強い助けとなり、ありがたかった。

 この年、五菱重工の社内は、世代交替の時期と重なり、人事異動も大幅に行われた。
 弥太郎は、吉岡幹一を常務取締役にしたいと考えていた。
 吉岡幹一は、大学卒業後、五菱重工に入社し、営業部で15年、人事部16年のキャリアを持つ。
 いずれの部でも抜きん出た実績を積み、本来なら部長を経て取締役になっていても可笑しくないほどだったのだが、現場での経験をもっと積みたいとの本人の希望が強く、今回の異動の前は、人事部次長を務めていた。
 そのため、弥太郎からの常務取締役就任の打診に、とんでもないことだ、人事部次長の立場を利用したと思われかねないと強固に固辞した。
 このため、さらに幅広く経験を積むため、総務部長を命じられたのだった。
 だが、社内では早くから弥太郎、豊川に次ぐトップ3に数えられ、その実力は、誰もが認めるところであった。


 社長派の人間たちを見極め、彼らと協力して竹田製薬工業の再生を成し遂げるという最も困難な役割を担った豊川は、どう手を付けたらいいのか悩んでいた。
 他社の人事である。
 しかも当時、竹田製薬工業との接点は極端に少なかった。
 五菱商事の国内商事部門に細々とした医薬品取引の担当があるだけで、竹田製薬工業に食い込むほどの繋がりは無かった。

 事態の打開に苦慮していた豊川に、ひょんなことから解決の糸口がもたらされた。

 解決の糸口をもたらしたのは、豊川を補佐し、共にこの計画を担当していた吉岡幹一の長男、孝太郎だった。


 吉岡幹一は、先ほどからリビングのソファーに座ったまま何も話さず、妻が淹れてくれたお茶を飲んでいた。
 彼も、竹田製薬工業の社員の見極めと、その接触方法に悩んでいた。

 (・・・経済界の懇親会や政治家の選挙資金パーティで、名刺を交わした竹田製薬工業の重役や役職者が何人かいるな・・接触は、懇親会やパーティでまた会うこともあるだろう。社外で偶然を装って会うことも出来る。それから交流を深めながら相手の派閥を見極めることになるだろうな。警戒されないように十分注意しなくてはな。時間もかかるだろうが、人任せには出来ない・・事前に相手の情報を得られれば、それに越したことはないのだが・・・)

 そこへ、息子の孝太郎がやって来た
 孝太郎は、大学卒業後、五菱商事に入社し、国内商事部門の営業部に配属され、今年で4年目になる。
 年齢は26才だ。

 「父さん、少しいいかな?」

 「んっ?・・」

 「これ、親友の結婚披露宴の席順なんだけど、これでいいかな? 父さんなら詳しいかと思って。」

 「孝太郎、この会社は・・」

 「竹田製薬工業だよ」

 孝太郎の高校時代の親友であった高田裕次は、2年前、6年制の薬科大学を卒業後、竹田製薬工業に入社した。
 入社後しばらくして総務の井上里帆と交際を始め、この度、目出度く結婚となったのだ。
 高田裕次は、孝太郎と同じ26才、お相手の井上里帆は25才だった。
 彼女は、女子短大を卒業後、同じく竹田製薬工業に入社し、総務部に配属されて5年が経っており、社内事情に明るかった。

 高田裕次は、高校生の時、二、三度、吉岡家に遊びに来たことがある。
 幹一も、一度だけ高田裕次に会ったことがあり、好ましい印象を持っていた。
 だが、暫くして高田裕次は、家庭の事情で遠方に引っ越し、その後は、話題に上ることも無く、幹一もいつしか忘れていた。

 高田裕次が、県内の竹田製薬工業に入社したので、また交際が復活したとのことだったが、孝太郎も仕事で毎晩遅く帰ってくることが多く、両親に特には話していなかったのだ。

 高田裕次の結婚披露宴は、会費制で行われ、孝太郎が代表幹事を務めることになった。
 孝太郎の話によると、親友の会社は、社内の派閥抗争が激しく、入社2年の研究職である親友にまで各派閥からの勧誘が及んでいるそうだ。

 結婚披露宴は、招待客の顔ぶれによっては、所属する派閥の旗幟(きし)を鮮明にすることになる。
 親友は、それを避けて、仲の良い友人を中心とした会費制にしたのだった。
 しかし、孝太郎によると、仲の良い会社の友人の大半は、〔 生え抜きの社長派 〕だということだった。
 もちろん、親友も親友の妻となる井上里帆も生え抜きの社長派だった。

 (息子の親友が、生え抜きの社長派だったとは、灯台下暗しとはこのことだな)

 招待客には、抗争派閥に属している親友の上司も含まれている。
 幹一は、招待客を増やして派閥間のバランスを取り、所属する派閥を曖昧にするようアドバイスをした。
 招待客の人数は倍近くになるが、会費制のうえ、披露宴会場は会社の福利厚生施設が利用でき、施設の利用料も格安のため、当人や参加者たちの負担は大きくならずに済む。
 因みにこれ以降、社長派の社員の結婚披露宴は、会費制であることと、派閥を鮮明にしない今回の披露宴が一つのモデルとなった。
 席順についても、幾つかの注意事項を教えて、その後は、親子三人の団欒を楽しんだのだった。


 翌日、吉岡総務部長は、豊川副社長と面会し、昨夜の息子の話を伝えた。
 豊川も吉岡と同じアプローチを考えていたため、吉岡総務部長の話は、渡りに船であった。
 二人の結論は、

1. 孝太郎に今回の計画を打ち明けたうえ、吉岡の指揮下に入れる。
2. 孝太郎を営業課の医薬品担当係に部内異動させる。
3. 吉岡が、口実を設けて孝太郎の親友のカップルと会い、二人の人柄や孝太郎の話の確認を取る。
4. 二人が信頼できると確信したら、生え抜きの社長派について訊きながら、彼らに闘う意志があるのか、彼らと協力連携が出来るのかを探る。
5. 生え抜きの社長派との連携が出来ると判断されるときは、孝太郎に特命を与え、彼らとの連絡役とし、常に情報の収集に努めること。
6. 以上のことが不首尾に終わった場合でも、この披露宴を利用して知己を得た竹田製薬工業の社員と、その後も接触を続け、情報を収集すること。

 豊川と吉岡の二人は、これらの大まかなことと、今後について、さらに細部に渡って検討した内容を弥太郎に報告し、伺いを立てた。
 弥太郎は、直ぐに了承すると共に、今後も、竹田製薬工業の社長派との協力と支援については、三人で緊密に連携することにした。
 さらに弥太郎は、緊急の場合の判断は、豊川と吉岡の二人もしくは一人でも、一任することとした。

 吉岡孝太郎がもたらした糸口に、弥太郎、豊川、吉岡の三人は、最も困難なミッションに光明が差し込むのを見た思いがした。

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