第50話  東京メディシンの改革~報告

文字数 2,859文字

今回の東京メディシンの改革については、母さんの文字通り八面六臂(はちめんろっぴ)東奔西走(とうほんせいそう)の活躍があった。
 俺と母さんの調査は、10年前にまで及んだ。
 末田と沼田が、東京メディシンに出向してからの事跡を一つ一つ追ったのだ。

 泥沼コンビはもちろん、その当時関係していた人間を探し、その記憶から証拠書類のコピーや当時をそのままに再現した実際の現場をビデオに撮っていった。
 今回の二人の悪巧みもビデオに撮った。

 10年前から隠し撮りをしていたことになり、無理があり過ぎるとは思ったが、この際、徹底的にやることにした。
 すでに山崎代表は、俺のことを尋常ではない人物だと看做(みな)しており、開き直ることにした。

 会社を辞めていった人の中には、将来東京メディシンの発展に欠かせない人が大勢いる。
 また、その人たちに影響を与えた人の中にも東京メディシンに招きたい人たちがいる。
 東京メディシンの改革は、泥沼コンビを放逐(ほうちく)して、はいそれまでよ、では終わらないのだ。
 現在の社員全員、それに辞めていった人の適正まで全て調べ上げ、さらに外部から招きたい人たちも含めた新しい会社の人事体制を整える必要がある。

 調査は、辞めていった人たちから行い、さらに関係のある人たちへと輪を広げていった。
 だが、退職者は、広範囲に在住していたので、県内は俺、県外は母さんが担当することにした。

 それは、俺がまだ瞬時に目的地まで転移することが出来なかったからだ。
 体の瞬間転移は、現在のところ20~30m程度だ。
 身体を離れて精神生命体となっての移動も30kmが限界だ。
 徐々に距離も伸びてはいるのだが、後数ヶ月はこの程度だろう。

 対して、母さんは、茨城を中心として、栃木、埼玉、東京、神奈川、千葉そして群馬の東部までその能力でカバーできる。
 目的の人物がいる現地まで飛んで、俺の姿になってその人物に会う。
 ただ、それだけだ。

 ところが、その人たちは、古い人では俺と10年前から交流があり、今でも俺と交流が続いており、皆が俺を信頼している。
 だから、彼らは、俺に退職の経過や泥沼コンビの色々な画策を伝え、中には証拠となるものを提供したり、俺の依頼で証言をビデオに撮らせた。
 ということが、彼らにとっては事実として記憶されている。

(皆さん、ごめんなさい。 記憶を改竄(かいざん)しました。このお詫びは必ずします)

 中には、大阪などの遠方にいる人で重要だと思われる場合は、母さんと合一して現地へ向かった。
 母さんは、俺がいる場所を中心とする範囲には転移が容易だが、俺とかなり離れてしまうと、極端に能力が低下するからだ。
 東京メディシンの改革が一段落したら、俺も母さんも能力の復活と強化のための練習に力を入れようと思っている。
 ・・もっとも、改革が一段落したらしたで、さらに忙しい日々が始まったので、練習は合間合間(あいまあいま)にせざるを得なくなったのだが・・・

 俺たちのその日の活動成果は、一瞬で記憶を交換し、共有していった。
 俺は、会社には殆ど出勤しなかったが、泥沼コンビは全く関心が無く、俺の忠実な部下となった係長の荒木と主任の大鶴が、上手く業務を回してくれた。

 余談だが、荒木と大鶴の二人は、俺と挨拶廻りをした時のことを泥沼コンビには内緒で会社の連中に吹聴していた。
 最初は懐疑的であった者も、俺が医療機器の商談をまとめた事実や泥沼コンビ派であるはずの二人が、すっかり俺に心酔している様子を見て、皆が真実だろうと思い始めた。

 もし、そうなら課長が会社に出て来ないのも何か訳があるのかもしれない。
 何しろ、山科課長の後ろには五菱の山崎代表が付いているのだ。
 社員の誰もが息を詰めて、固唾(かたず)()みながら事態の推移を見つめることにした。
 泥沼コンビに注進する者は、誰もいなかった。


 東京メディシンの改革案の作成は、一か月で終わった。
 正直言って、毎日がくたくただった。
 特に、母さんには俺以上に活躍してもらった。
 母さんは、毎日生き生きとしていたが、夜になると食事もせずに熟睡していた。
(実際は、俺に合一した瞬間、朝まで全く反応が無かったのだが、母さんにとっては、それが熟睡なんだろう)
 事が終わったら、成功しようが失敗しようが、何かお礼をしよう。


 俺は、泥沼コンビ解任のための証拠資料と、今後の事業展開と、人事の刷新案をまとめた後、五菱商事の弥一郎社長に報告すべく面会を求めた。
 弥一郎社長は、直ぐに会ってくれた。
 俺が、能力を使ったのでは無い。
 山崎代表を初め、五菱の人たちは皆が俺と会いたがる。
 特に、弥太郎氏は会ったが最後、放してくれない。
 俺にとって、この頃は面倒この上ない人だ。
 携帯の番号を教え、OLINE交換したことが、少しだが悔やまれる。

 だから、俺は、親会社のそのまた親会社である五菱商事の弥一郎氏に面会を求めたのだ。
 それに、これが問題解決に一番早い。
 普通なら先ず、親会社の竹田製薬工業に持って行くべきなのだが、その場合でも、弥一郎氏と弥太郎氏の二人から、何故先に言ってくれなかったのだと益々面倒になるのが分かっていたからだ。
 それに仮令(たとえ)、竹田製薬工業に持って行ったとしても、智之社長や副社長の森山氏は、真っ先に弥一郎氏に連絡して、一緒に検証したうえ、弥一郎氏の判断を仰ぐことになる。
 それに、俺が先に五菱商事に持って行っても、それを気にするような二人でないことは十分わかっている。

 俺は、資料の書類やUSBなどを弥一郎氏に渡し、簡単な説明をして、さっさと帰るつもりだった。
 見れば馬鹿でも分かるように(まと)めている積りだった。
 ・・だが、俺の見通しは甘かった・・・

 弥一郎氏との簡単な挨拶の後、持参した資料の目的と簡単な説明をした。
 弥一郎氏が、資料に目を通し始めたので、俺は長くならないうちに帰ろうとした。
 どうせ、日を改めて竹田製薬工業を交えて、事業計画や新人事について再度説明を求められるだろう。
 一か月の間、くたくたになるまで動いたのだ。
 今日は、家に帰って休みたいと思っていた。

 俺が帰り支度をして席を立とうとしたら、弥一郎氏が「ちょっと待って!!」
 と言って、あちこちに電話をかけ始めた。

 竹田製薬工業の智之社長、森山秀二次副社長、研究開発担当取締役兼部門長の高田裕次氏、高田氏の妻で人事担当取締役の高田里帆女史、五菱商事副社長の荘田平吾氏、五菱商事国内商事部門本部長の吉岡孝太郎氏、五菱重工社長の豊川良一氏、そして一番会いたくなかった五菱重工会長で五菱グループ代表の山崎弥太郎氏らが次々とやって来た。
 ・・大事(おおごと)になった・・・

 俺は、出来ることなら投げ出したくなる気持ちをぐっと抑えて、彼らの質問にどんな些細な事でも詳細にきちんと答えた。
 どうせ日を改めて説明するつもりだったから、一日で済むんだから良いかと思ったのだが、こんなに大勢に囲まれるとは思っていなかった。
 彼らの質問は、いつ終わるとも知れず続いた。

 10年間の社畜人生の中でも、一番長く残業をした時より疲れた気がした。
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