第92話  運命の女性~デート 白木蓮に舞う初雪

文字数 2,835文字

 年が明け1月8日、拓馬は、緊張して約束の時間に山崎邸を訪れた。
 そこには、弥一郎と妻の希美、そして明子が待っていた。
 弥太郎は、どうしても外せない用件が出来、拓馬に会えないことを非常に残念がっていたと弥一郎が話した。

 拓馬は、この頃は忙しく時間も無かったのだが、先月から急に弥太郎や弥一郎からの電話も少なくなっていた。
 そのため、今日は弥太郎さんにも会えるだろうなと楽しみにしていたのだが、逢えないと聞いて少し残念でもあった。

 しかし、希美と明子が仲良さそうに並んで立っているのを見ると、希美と明子そして明子の母親との関係は一体どうなっているんだろうと一瞬思ってしまった。
 だが、そのような興味を持つことは、失礼であり、必要があれば弥一郎氏らから教えられるだろうと思い、思考の中から外すことにした。
 それよりも、明子を前にして胸の動悸が速くなり、平静でいられるだろうかと不安になったのだった。

 簡単な挨拶の後、弥一郎が、改めて皆の紹介をし、一行は、応接間へと移動した。
 応接間もいくつかあるらしく、案内されたのはミニコンサートが出来るのではないかと思えるような音楽室とも言えるような部屋であった。
 部屋の奥には、ピアノが置かれていた。

 拓馬は、そのピアノを見た時、目を丸くしていたに違いない。
 そこにあったのは、ピアノの三大最高峰のトップとも言えるスタインウエイ&サンズだったからだ。
 実は、母親の栞がスタインウエイの取扱店で実物を見て、それを再現し、時々演奏しているのだ。
 近頃では、拓馬も忙しい一日が終わった後、気分転換のため弾くことがある。
 しかし、本物を見るのはこの時が初めてだった。

 弥一郎の話によると、妻の希美も明子も京都音楽大学の器楽科でピアノを専攻していたとのことだった。
 スタインウエイは、弥一郎と希美が結婚した時、購入し、その時、この音楽室とも言える応接間を増築したとのことだった。
 今では、希美と明子が弾き、時には連弾もするとのことだった。

 三人は、紅茶を飲みながらしばしの歓談をしたのだが、弥一郎と希美は、少し席を外しますねと言うと、部屋から出て行ってしまった。

 残された二人は、少しの間、互いに何を話そうかと思いながら、ぎこちなくしていたのだが、最初に話しかけたのは、明子だった。

 「私や私の母のこと、それに希美お母さんのことを不思議に思っていらっしゃるのではありませんか。まず私と母のことを話しますね」

 と言うと、三和子と弥一郎の出会いを拓馬に話したのだった。
 さらに、母と希美お母さんの二人は、とても仲が良いのですよと、ふふふと笑いながら、詳しくは希美お母さんが話してくださるでしょうとだけ言い、にこにこと拓馬を見つめた。

 拓馬も生い立ちを簡単に話したのだが、明子は大方を弥一郎からすでに聞いているようだった。
 だが、弥一郎は、栞のことは何も話さなかったようだ。
 もっとも、拓馬は、同じアパートに住んでいる栞のことは、菩提寺の住職とアパートの大家以外には、まだ誰にも話しておらず、弥一郎も知らないのだろうと思えたのだった。
 拓馬は、いずれ栞のことも話さなければならないなと思った。

 話が一段落した時、明子は、ピアノへと進むと、何のためらいも無くピアノを弾きながら歌い出したのだった。
 歌の題名は、「木蘭の涙」だった。
 拓馬を見つめ、歌詞を切々と歌う明子の目には途中から涙があふれていた。
 明子は、この歌がなぜか好きでよく歌っていた。
 そして、今日この時、拓馬を前にしてこの歌を歌う時だと思ったのだ。
 明子は、歌いながら、なぜか長い長い間、逢いたかった人に逢えたという泣きたいほどの喜びが湧き上がってくるのだった。

 拓馬は、全神経を明子の歌に集中して聴いていた。
 拓馬の心の中にも明子の切ないほどの喜びの感情が流れてくるのがはっきりと分かったのだった。
 今度は、拓馬が、ピアノ椅子に座った。
 拓馬は、ピアノを弾きながら「雪の華」を歌った。
 それは、永遠の愛を誓う拓馬の返歌だった。
 歌い終えた時、拓馬の横には明子が寄り添って座り、頭を拓馬の肩に乗せていた。

 拓馬は、そっと明子の腰に手を添えて、

 「・明子さん・・・」と小さな声で呼びかけた。

 明子は、拓馬を見つめながら、

 「・あきと呼んでください・・・」と答えたのだった。

 音楽室の窓から見える山崎邸の庭には、春の芽吹きを待つ白木蓮の枝に初雪が舞っていた。

____________________________________________________________________________________ 

 参考までに「木蘭の涙」と「雪の華」の歌詞を載せます。
 
「木蘭の涙」
逢いたくて 逢いたくて
この胸のささやきが
あなたを探している
あなたを呼んでいる

いつまでも いつまでも
側にいると 言っていた
あなたは噓つきだね
心は置き去りに
        
いとしさの花籠
抱えては 微笑んだ
あなたを見つめてた
遠い春の日々

やさしさを紡いで
織りあげた 恋の羽根
緑の風が吹く
丘によりそって

やがて 時はゆき過ぎ
幾度目かの春の日
あなたは眠る様に
空へと旅立った

いつまでも いつまでも
側にいると 言ってた
あなたは噓つきだね
わたしを置き去りに
  
木蘭のつぼみが
開くのを見るたびに
あふれだす涙は
夢のあとさきに

あなたが 来たがってた
この丘にひとりきり
さよならと言いかけて
何度も振り返る

逢いたくて 逢いたくて
この胸のささやきが
あなたを探している
あなたを呼んでいる
        
いつまでも いつまでも
側にいると 言ってた
あなたは噓つきだね
わたしを 置き去りに              
        
「雪の華」   
のびた人陰(かげ)を 舗道に並べ
夕闇のなかを君と歩いてる
手を繋いでいつまでもずっと
そばにいれたなら泣けちゃうくらい

風が冷たくなって
冬の匂いがした
そろそろこの街に
君と近づける季節がくる

今年、最初の雪の華を
ふたり寄り添って
眺めているこの瞬間(とき)に
幸せがあふれだす
甘えとか弱さじゃない
ただ、君を愛してる
心からそう思った
        
君がいると どんなことでも
乗り切れるような気持になってる
こんな日々がいつまでもきっと
続いていくことを祈っているよ

風が窓を揺らした
夜は揺り起こして
どんな悲しいことも
僕が笑顔へと変えてあげる

舞い落ちてきた雪の華が
窓の外ずっと
降りやむことを知らずに
僕らの街を染める
誰かのために何かを
したいと思えるのが
愛ということを知った

もし、君を失ったとしたら
星になって君を照らすだろう
笑顔も 涙に濡れてる夜も
いつもいつでもそばにいるよ

今年最初の雪の華を
ふたり寄り添って
眺めているこの瞬間(とき)に
幸せがあふれだす
甘えとか弱さじゃない
ただ、君とずっと
このまま一緒にいたい
素直にそう思える

この街に降り積もってく
真っ白な雪の華
ふたりの胸にそっと想い出を描くよ
これからも君とずっと・・・
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み