第30話  竹田製薬工業の再生~井上修一

文字数 4,202文字

 孝太郎は、早速、親友である高田裕次とそのフィアンセの井上里帆を自宅の夕食に招いた。
 両親が、息子の親友とその婚約者を是非祝いたいと言っているからと云う口実だった。

 幹一が、息子の孝太郎に今回の計画を打ち明ける時、妻の美保も同席して計画を聞いた。
 幹一は、豊川との打ち合わせの際、妻の美保にも計画を話すことの了承を得ていた。
 美保の協力が必ず必要になるのは、十分予想されたからだ。

 夕食は、幹一の妻美保が、腕によりをかけて作った豪華なものだった。
 高級ワインでお祝いの乾杯をした後は、笑いが絶えない夕食会であった。
 幹一と美保は、裕次が高校生時代とちっとも変わっていないのを喜び、引っ越し後の話を訊いたり、里帆さんのような美人をどうしてゲットしたのだとか、裕次君に比べ、息子は出来が悪かったと孝太郎をいじったり、美保と里帆が始めた女子トークが盛り上がったりと、時間はあっという間であった。

 だが、裕次や里帆の仕事については、どんなお仕事ですか程度の普通の会話しかしなかった。
 多分、数年後、遅くても10年以内に経営の危機が来るだろうとは、山崎社長、豊川副社長そして吉岡の一致した考えだった。
 そのときには、二人は否応でも抗争に巻き込まれるだろう。
 だから、幹一、美保、孝太郎の三人は、今はただ二人の幸せを願い、祝いたかったのだ。

 里帆は以前から、フィアンセの親友である孝太郎を「考さん」と読んで親しんでいたが、吉岡家を辞する頃には、幹一を「おじ様」、美保を「おば様」と呼ぶほど打ち解けていた。


 数日後、高田裕次と井上里帆の二人から、孝太郎を通じて、幹一と美保に返礼のため、またお伺いしても良いでしょうか、との打診があった。

 次の休日、裕次と里帆の二人が、再び吉岡家を訪れた。
 二人は、手土産の他にもそれぞれに大きめのブリーフケースを抱えていた。
 玄関に二人を迎えた吉岡幹一の妻、美保は、怪訝に思ったが、黙って二人を応接間へと案内した。

 応接間で、幹一、美保、孝太郎、裕次、里帆の5人は、一種の緊張感の中にあった。

 「先日は、ご招待ありがとうございました」「ありがとうございました」

 「いえ、大したおもてなしも出来ませんでしたが、かえって気を使わせてしまったようで申し訳なかったね」

 型通りの挨拶は、ここまでだった。
 裕次と里帆の二人、特に里帆は、思いつめたように幹一に向かいながら、

 「いいえ、こちらこそご無理を申し上げ、申し訳ありませんでした。今日は、どうしてもお尋ねしたいことがあってお伺いしました。
 ・・おじ様、五菱重工の山崎社長は、竹田製薬工業について、どの様にお考えかご存知ありませんか・・・」


 裕次と里帆は、裕次が2年前、竹田製薬工業に入社して半年後に知り合い、相思相愛となった。
 その頃、里帆の父親の井上修一は、同じく竹田製薬工業の研究開発部門第四分野の統括であった。
 竹田製薬工業の研究開発部門は、五つの分野別に分かれており、一つの分野は、5~7のチームに分かれている。
 分野ごとの責任者を「統括」と呼び、部長職である。
 各チームの「チームリーダー」は、課長職に当たる。
 研究開発部門の長は、「部門長」と呼ばれ、研究職の取締役が兼務している。

 高田裕次は、修一とは異なる分野であったが、たまたま出身大学が同じであったためか、修一に大層気に入られ、裕次と里帆の結婚話までとんとん拍子に進んだのだった。
 だが修一は、二人が婚約して直ぐに癌を発症し、わずか2ヶ月後に他界した。
 そのため、裕次と里帆の二人は、一年間喪に服した後、今回結婚することになったのだ。 


 井上修一と竹田智之は、竹田製薬工業入社の同期である。
 修一と智之は、大学も同じであった。
 智之は4年制の薬学科であり、修一は、6年制の薬学科であった。
 修一が2才年上であり、修一が3年生の時、智之が入学し、卒業は一緒であった。

 修一が受講していた講義に新入生の智之が顔を出すようになり、たまたま修一の隣に座ったのが、二人の親交が始まった切っ掛けだった。
 それから四年間、二人は同じ学び舎で学び、生涯の親友となったのだった。

 修一は、竹田製薬工業に入社後は、智之と共に医薬品の研究開発に携われると思っていた。
 だが、智之から、入社後は社長室長にならなければいけないことになったと聞いた時は、社長室長就任を祝うよりも、智之に同情する気持ちの方が強かった。
 研究開発をしたかったと云うのが、智之の本心であることを知っていたからだ。

 しかし、修一は、智之から社内の事情を聞いており、智之と智之の父國之の苦悩もよく分かっていた。
 修一は、竹田製薬工業で働いた29年間、研究開発はもちろん、一貫して智之を支え、智之の事を最も理解している友であった。
 智之も、修一の献身的な働きに心から感謝していた。
 修一は、智之が最も頼りとする人間だった。

 修一は、智之のために、研究開発の時間以外は、全て社内外の情報収集に費やした。
 集めた情報を分析し、智之に助言したのだ。
 単なる統計だけの情報ではなく、統計と生きた人間の生の情報に基づく修一の分析と助言は、智之にとって、いつも会社経営の役に立つものばかりであった。

 また、修一の人を見極める能力は、天性のものがあった。
 中でも、第一分野統括の近藤を若いころ見出し、同志として行動してきた。
 近藤は、今や生え抜きの社長派のリーダーとして先頭に立ち、仲間の同志たちをまとめている。
 修一は、自分には情報収集能力と分析力はあるが、リーダーとしては不向きであり、近藤を仲間に出来たことが、自分の一番の功績だと内心思っていた。

 修一は、誰もが彼を社長派とみなしているにも関わらず、彼の交友関係は派閥を越えており、それを誰も不自然に思わない人徳もあった。
 誰にでも声をかけ、昔からの友人のように接した。
 それを誰も不愉快に思う者はいなかった。

 修一の交際範囲は驚くほど広かった。
 修一の妻は、修一と外出すると、どこに行っても修一の知人や友人と遭遇するため、常に頭を下げていなければならず、終には修一との外出を嫌がるほどであった。
 修一の本来の姿は、研究者として昔から変わっていなかったのだが、いつしか社交家としての評判が定着していた。

 しかし、修一は(まぎ)れもない生え抜きの社長派だった。
 その豊富な人脈と情報は、何度も智之の役に立ったのだ。
 彼が亡くなり、抗争派閥はますます増長するようになった。
 それは、弥太郎が竹田製薬工業の再生計画を決断する一因にもなったのだった。


 井上修一は、苦慮していた。

 昭和63年、竹田製薬工業では一つの事件が起きていた。
 大型案件の新薬の中でも、特に期待されていた目玉となる新薬が発売できなかったのだ。
 そのようなことは、それまでも皆無では無かった。
 だが、この年のことに、修一は強い違和感を覚えた。

 あの医薬品は、自社が、一歩も二歩も他社より先行していたと云う自負があった。
 それが、ある時を境に開発の速度が急に遅れ出したのだ。
 結果は、他社に出し抜かれると云うことになったのだった。
 だが、開発速度が遅れただけで出し抜かれたと言うには、不審な点がいくつもあった。

 その頃、世間では陛下のご健康が思わしくないことが、マスコミの報道で毎日のように流されていた。
 そのような中、この事件は、社内でもあまり取り上げられなかった。

 修一は、近藤らと協力して原因の調査を秘密裡に進めた。
 その結果、幾つかの状況証拠を集めることが出来た。
 もう一歩だった。
 社内を混乱に落としている四つの派閥の領袖(りょうしゅう)たちと、その取り巻きを追い詰めることが出来るのは。
 状況証拠はある。
 しかし、生え抜きの社長派の中で、修一のグループは人が少ない。
 決定的な証拠を集めるには人手が足りなかった。

 修一の交友関係が、抗争に明け暮れる派閥の中にも決して少なくないことを、修一を非難する気はないが、もしかすると抗争派閥と通じてはいないかと懸念する人々が、社長派の中にもいた。
 修一が、社交家であることが裏目に出たのだ。
 さらに、まだ竹田製薬工業に余力があったのも油断を生み、社長派の多くが結集出来ずにいたのだ。

 修一が死の床にあって思うのは、これからどうすべきかであった。
 俺が死んだら、智之社長を誰が真剣に支えるのだ。
 社長派は、これからも会社と社長を支えていくだろう。
 だが、それは今までと同じだ。
 何十年もの間、派閥抗争は続き解決の糸口が見えない。
 最初に違和感を覚えた時から4年間、平成に入ってから大型案件の新薬は一品も出ていない。
 この状況が続けば、会社は、やがて経営危機に陥るだろう。
 その上、抗争派閥は連携を始めた節がある。
 これまでのやり方では、もはや解決できない。
 たとえ、会社を潰してでも抗争派閥を完全に排除し、いちからやり直すしかないのではないか。
 だが、誰がそのようなことが出来ると云うのだ・・・・・

 修一は、あらゆる可能性を探った。
 そして、最後に残ったのが、竹田家と長く親交があった山崎家の力だった。
 特に、企業家として他に比肩すべき人を知らない山崎弥太郎であった。
 だが、これは俺の願望に過ぎん。
 それこそ、藁を掴むことだろうな、と修一は一人自嘲した。

 その夜、修一の病状は急に悪化した。
 修一に最期の時が近づいた。
 病院に駆けつけ、枕元で修一を見守る妻と息子にも別れの言葉を言うことが出来た。
 最後に娘の里帆に向かって、

 「・・里帆、ありがとう・・裕次君と幸せにな・・・お前に・・渡したい物がある・・・2個の・・ブリーフケースだ・・・お父さんの書斎にある・・・・山崎弥太郎氏に連絡を・・・・・無理はしなくてもいい・・・・・・」

 葬儀が終わって、里帆と母親の二人は、修一の書斎で2個のブリーフケースの中を改めてい
た。
 中には(おびただ)しい書類、写真、録音テープなどが時系列的、事案ごとに分かりやすく整理されて納められていた。

 「お父さん、会社のためにこんな事をしていたんだね・・・最期の時も私に・・・・」

 「だから、あんなにお友達も大勢作っていたのね・・それを私ったら・・・・」

 修一が死んだ時、もう涙は一滴も残っていないだろうと思うほど泣いたのに、二人の目からは静かに、だが、止めどなく涙が落ちた。
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