第22話  建墓

文字数 4,343文字

 11月も下旬に入り、朝晩の冷え込みもきつい。

 俺は今、朝の冷気の中で白い息を吐きながら霊園へと続く通路を(のぼ)っている。
 通路の幅は、人がすれ違う程度で、簡易のアスファルト舗装だが、路肩は地面がむき出しになっている。
 初めてここへ来た時は、良く刈り込まれて背丈が低くなった草に覆われていたが、初冬の今は草はほとんど枯れているようだ。
 路肩には霜が立っていて、たくさんの小さな氷が力を合わせて表面の土を押し上げているように見える。

 ・・・ザクッ、サクッ、ザクッ、サクッ・・・・

 俺は、路肩の霜を踏みながら上っている。

 ・・こんな音だったな・・・


 俺は5才の時、児童養護施設に入った。
 突然両親の姿が見えなくなって何日も経っていたと思うが、施設に入るまでのことは憶えていない。

 俺は、両親が迎えに来てくれるものと思っていつも待っていた。
 施設に来訪者があると急いで玄関に走って行った。
 父さんと母さんが、玄関のドアを開けて入ってくるかもしれないので、出来る限り玄関に座って待っていた。

 両親は、いつまで待っても迎えには来てくれなかった。
 俺は、門扉の前で待つことにした。
 毎日、門扉の内側に立っている俺を施設の職員たちは()めさせようとしたが、俺は(かたく)なに止めようとしなかった。
 職員も強く止めさせようとはしなかった。

 それでも両親は来なかった。

 ・・もしかしたら、入り口が分からないのかもしれない・・・

 俺は、施設の塀の内側を塀に沿って歩くことにした。
 きっと、塀の外から父さんと母さんが顔を出して、
 「たくまーっ!」
 と呼ぶに違いないと思っていた。
 毎日塀の内側を歩いた。

 暑い夏が終わり、秋になって冬が来た。
 塀の内側には霜が立つようになった。

 ・・・ザクッ、サクッ、ザクッ、サクッ・・・・

 小学生になった。
 俺は毎日、学校から帰るとすぐに職員室に行って、父さんと母さんが来なかったかと尋ねた。
 答えはいつも同じだった。

 それでも俺は毎朝早く塀に沿って歩き、学校から帰ってきてまた歩いた。
 特に冬は暗くなるのが早いので、ランドセルを置くとすぐに外に出て歩いた。
 小学3年生になると朝は塀の内側を歩き、昼は塀の外側を歩いた。
 雨の日も雪の日も変わることなく歩いた。

 小学高学年になる頃には、入所している子どもたちの親が迎えに来ることは滅多に無いことが分かった。
 代わりに、養子になって引き取られていく子どもが時々いた。
 養子になる子は、小さな子が多かった。
 その子たちは、養親に抱きかかえられて嬉しそうにしていた。
 小さな子たちは大人の来訪者があると、すぐその人にまとわりつきたがった。
 大人に抱きかかえられると、皆嬉しそうにしていた。

 俺を養子に欲しいという話は、三度ほどあったそうだ。
 小学生になる前に二度と、小学1年の頃に一度だ。
 俺も少しだが憶えている。
 正式な養子縁組の前に数日、養親希望者の家で一緒に暮らすお試し期間があるのだが、俺は火が付いたように泣いて、連れていかれるのを拒んだ。

 「かあさんが、むかえにくる!! かあさんが、むかえにくる!!」

 俺は、狂ったように泣き(わめ)いた。
 俺のあまりの剣幕に、養親希望者の方も施設の職員も諦めざるを得なかったそうだ。

 小さい頃の俺は、母さんがいつも近くにいるような気がして、父さんと母さんが迎えに来ることを少しも疑わなかった。
 それもそのはずだ。
 母さんは俺の中にいたんだから。

 中学生になる頃は、さすがに諦めかけていた。
 しかし、もしかしたら迎えに来てくれるのではないかと云う気持ちはまだ残っていた。
 塀に沿って歩くことは止めなかった。

 高校生になった。
 もう親が迎えに来ないことは分かっていたが、早朝に塀に沿って歩くことは続けていた。
 高校3年の時、学校の文化祭で田島遥と知り合ってからは、早朝の歩きはしなくなった。
 残っていた親子三人で写った写真やその他の写真も荷物の奥に仕舞った。

 遥と別れた後は、社畜の毎日に埋没したような一日の繰り返しで生きているだけのようだった。
 毎年、菩提寺への参詣は欠かさなかったが、父さんと母さんの写真を見ることは無くなった。
 いつの間にか写真に写った父さんと母さんの顔さえよく思い出せなくなっていた。
 段々と死んだ両親の年齢に近づくにつれ、自分は一人で生きていかなければいけないのだ、自分は天涯孤独なのだと自分自身に言い聞かせていた。


 病院を退院してアパートに帰った日、仕舞い込んでいた写真を探し出した。
 そこには、今隣にいる母さんと死んだ父さんが、真ん中にいる小さな俺の手を繋いで笑いながら写っていた。
 俺は、使うこともなく持っていた写真立てに写真を納めた。

 俺が今いるのは、父さんと母さんの犠牲があったからだ。
 俺に、もし子どもが出来て同じような事が起きたら、きっと同じ事をするだろう。
 俺は母さんに助けてもらったうえ、こうやって一緒に生活が出来る。
 それに、

 ・・母さんは、最初から俺を迎えに来ていた・・・

 興味深そうにアパートの部屋の中を見ている母さんを見ながらそう思った。


 我家の墓地に到着した。
 墓地では、すでに建墓の作業が始まっていた。
 石材店の監督と作業員の皆さんの手際良い仕事が続き、昼過ぎに作業は完了した。

 「気持ちばかりですが、どうぞ皆さんで食事代の足しにでもしてください」

 と、俺は監督の人に心付けを渡した。

 作業をしていた人たちが去った後の霊園には、俺と母さんの二人だけが残った。

 霊園の墓は我が家も含めて、全て明るい白色系の花崗岩で建立されており、墓地は清々(すがすが)しい気に包まれていた。

 あの事故からまだ半年ほどなのに、もう2、3年以上経っているような気がする。
 色んな変化が次々と起こり、とても慌ただしかった。

 しかし、青く広い空、濃い緑と紅葉が混ざったように見える山々、時折り聞こえる鳥の鳴き声、眼下には見渡す限り広がる初冬の田園、遥か彼方に細く薄っすらと見える海
 今だけは、時が止まっているようだ。

 しばらくすると後方から、

 「いやぁ、遅れてすみません」

 と、慌てて上って来たのだろう、少し息を切らせながら菩提寺の住職が声をかけてきた。

 建墓後の開眼供養は、改めて吉日を選んで厳修する予定だったが、住職の都合で今日になったのだ。


 拓馬は建墓を具体的に決めた後、母親の栞を連れて住職に報告をした。
 栞のことは遠縁の娘だと紹介した。
 寺にはもう墓を建てる余地が無かったので、拓馬が霊園に建墓することや天涯孤独だと思っていた拓馬に遠縁の親戚があったことを聞いて、住職は我が事のように喜んでくれた。


 拓馬は就職後、初給料をもらってすぐに両親の菩提寺に参詣した。
 本堂の前で手を合わせた後、両親の遺骨を長い間、預かってもらっている住職に挨拶するため、庫裡へ向かった。

 応対に出てきた寺庭(じてい)さん(この寺の宗派で使われる住職の妻の呼称)は、拓馬の来訪の旨を聞くと急いで住職を呼びに戻った。
 住職は、バタバタと慌てた様子ですぐに玄関へやって来た。

 「君が拓馬君か! よく来た! ささっ、上がって、上がって」

 「はっ、はい」

 拓馬は住職が長い間、遺骨を預かってくれていることに礼を述べ、今まで参詣できなかった事を詫びた。
 さらに、住職に問われるまま今までの事を話した。

 「何と冷たい・・本家は一度も会いに来なかったのか・・・」

 お茶を出して、そのまま住職のそばで一緒に話を聞いていた寺庭さんも住職と同じように憤慨したり涙ぐんだり、時には笑ったりしながら拓馬の話を聞いた。

 それから、住職は、拓馬を本堂へ連れて行くと、すぐに戻るからと言って本堂を出て行った。
 しばらくして、住職は布に包まれた骨壺と思われる物を二つ、両手に捧げ持ったお盆に載せて戻ってきた。
 拓馬の両親の遺骨が入った骨壺だった。
 拓馬は、骨壺の蓋を開け、初めて両親の遺骨を見た。

 その後、住職が亡くなった拓馬の両親の供養のためにお経を上げた。

 「ありがとうございます。これからは7月の両親の命日と8月の旧盆は、必ずお参りさせていただきます」

 東京は7月の新盆が主流だが、東京から少し離れたこの地域ではお盆は8月に行われている。

 「お盆は、お参りの日時を事前に知らせてくれれば、その時間は必ず寺にいるから、また、お経を上げさせていただくよ」

 「そんな・・お盆は檀家廻りの予定が、早くから詰まっているのではありませんか? 僕なんかのためにそんな事をしていただかなくてもいいです」

 「いや、お盆にお経を上げることはとても大切なんだよ。遠慮なんかしなくてもいい。それに、私がお経を上げたいんだ」

 拓馬は改めて礼を述べ、用意していたお布施を取り出すと、

 「些少ですが、お納めください。こんなことは初めてで、どうしたら良いのかよく分からないのですが、これからもよろしくお願いします」

 「えっ、お布施を用意していたのかい? その若さで・・驚いたよ・・いや、失礼、ありがたく頂戴します」

 と、深々と頭を下げた後、

 「・・これは拓馬君の初めての給料で、初めてのご両親へのプレゼントになるのかな・・・」

 そのとおりだった。
 拓馬は、もし、両親が生きていたなら初めての給料で、せめて1万円ずつ何かプレゼントし
たかったなと思っていたのだ。
 だから、お布施には想像のプレゼントの合計額である2万円を包んだ。

 住職はさらに、

 「お布施は気持ちでいいんだよ。決して無理をしないように。必ず、また来るんだよ」


 帰っていく拓馬の後姿を見送りながら住職夫婦は、

 「さぞや苦労したんでしょうね・・あの若さであんなに気遣いをして・・・」

 「そうだな・・だが、拓馬君は真っ直ぐに育った・・・これから、きっと、仏様の大きなご加護を受けるに違いない」



 建墓したばかりの霊園で、住職がゆったりとした良く通る声でお経を唱えている。
 住職のお経が白い息に乗って、澄み渡った青い空に昇り、溶け込んでいくようだ。
 心の籠った落ち着いた時間が流れていた。

 (・・父さん、お墓を建てるのが遅くなってごめんよ。これからは、もっとお参りするからね・・・)

 (・・あなた、私だけ生き残ってごめんなさい。でも遺骨はあなたと一緒に埋葬します。宇宙生命体になった私は、人間として拓馬と一緒に生きてみたいと思っています。しばらく待っていてくださいね・・・)

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 拓馬にも色々あったんだろうなと、自分が書いているのに思ってしまいました。
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