第13話 山崎弥太郎
文字数 1,376文字
私は、五菱財閥の創設者、初代山崎弥太郎の四代目で、現五菱グループの代表だ。
敗戦後のGHQによる財閥解体で、三代目の父は、全ての役職から離れ、山崎家は、表舞台から消えることになった。
だが、それぞれの会社を継いだのは、戦前から山崎家に忠誠を尽くす者ばかりで、彼らは、秘密裡に五菱評定と呼ばれる会議を毎月開催し、それは、現在も続いている。
会議のメンバーは、忠誠心のある後進を育て、引退するときは、その後進と交替するのだ。
会議の議長は、大番頭と呼ばれるグループの重鎮が務めるが、最終判断を行うのは父であり、父は、お上 と呼ばれていた。
会議の目的は、経済や政治と云った時世の分析と、グループ企業の結束の強化と繁栄であり、グループにとって重要な最終決断が実質的になされる。
しかし、最も重要な目的は、山崎家の復権だった。
やがて、私が高校生になると、私も会議に出席するようになり、当代の一流の企業家たちから薫陶を受けることになった。
私も、初代の名前を付けてくれた父や、番頭( 五菱評定のメンバー )たちの期待に応えるべく、わき目も振らず、何事にも真剣に取り組み努力をした。
大学卒業後は、五菱重工に入り、着実に地歩を固め出世した。
もちろん、父や番頭たちの目立たないが、強力な後押しがあってこそだ。
父は、表舞台に立つこと無く鬼籍に入った。
私を献身的に支えてくれた妻も、父と前後して亡くなった。
あれから、20年が経った。
人並外れて健康な私は、父の遺志を継いで、会社と五菱グループの発展に貢献すべく、寝食を忘れて、全身全霊で日夜仕事に励んだ。
山崎という名は、五菱グループでは、カリスマ的権威があったのも大きかった。
最近になって私は、ようやく父の夢を実現できたようだ。
山崎家の復権は、叶ったと言っても良いと思う。
息子の弥一郎は、私を凌ぐ企業人だ。
何の心配もいらない。
男の孫が、小学3年生の龍馬だけなのが少し残念だが、こればかりは仕方がない。
ところが、1ヶ月前、孫の龍馬が交通事故に遭った。
私は、息子の弥一郎と弥一郎の嫁の希美 の三人で病院に急行した。
龍馬は無事だと、医師から説明を受けたが、孫を助けようと飛び出した青年は、病院到着後から長い時間心肺停止しており、もはや無理だろうとのことだった。
蘇生したとしても、回復困難な重度の後遺障害が残り、植物状態になる可能性が高いとのことだった。
龍馬が無事だったのは、奇跡としか言いようが無い。
龍馬は、念のため入院して経過を診 ることになった。
子どもが無事だったと聞いて、ほっとしたのも束の間、孫を助けてくれた青年は、重度の危篤状態だった。
彼は、まだ28才で天涯孤独らしいとのことだった。
救急車で搬送中は、まだ心臓が動いており、うわ言で、
「・・ こどもは?・・ こどもは?・・・ 」
と言っていたと聞いて、嫁の希美は泣き崩れた。
私も息子も、申し訳ない気持ちでいたたまれなかった。
だが、彼の心臓はまた動き出したのだ。
私は、病院に無理を言って、青年を最も豪華な特別室に移してもらった。
もし、植物状態になっても、彼の面倒を一生看 る覚悟だった。
敗戦後のGHQによる財閥解体で、三代目の父は、全ての役職から離れ、山崎家は、表舞台から消えることになった。
だが、それぞれの会社を継いだのは、戦前から山崎家に忠誠を尽くす者ばかりで、彼らは、秘密裡に五菱評定と呼ばれる会議を毎月開催し、それは、現在も続いている。
会議のメンバーは、忠誠心のある後進を育て、引退するときは、その後進と交替するのだ。
会議の議長は、大番頭と呼ばれるグループの重鎮が務めるが、最終判断を行うのは父であり、父は、お
会議の目的は、経済や政治と云った時世の分析と、グループ企業の結束の強化と繁栄であり、グループにとって重要な最終決断が実質的になされる。
しかし、最も重要な目的は、山崎家の復権だった。
やがて、私が高校生になると、私も会議に出席するようになり、当代の一流の企業家たちから薫陶を受けることになった。
私も、初代の名前を付けてくれた父や、番頭( 五菱評定のメンバー )たちの期待に応えるべく、わき目も振らず、何事にも真剣に取り組み努力をした。
大学卒業後は、五菱重工に入り、着実に地歩を固め出世した。
もちろん、父や番頭たちの目立たないが、強力な後押しがあってこそだ。
父は、表舞台に立つこと無く鬼籍に入った。
私を献身的に支えてくれた妻も、父と前後して亡くなった。
あれから、20年が経った。
人並外れて健康な私は、父の遺志を継いで、会社と五菱グループの発展に貢献すべく、寝食を忘れて、全身全霊で日夜仕事に励んだ。
山崎という名は、五菱グループでは、カリスマ的権威があったのも大きかった。
最近になって私は、ようやく父の夢を実現できたようだ。
山崎家の復権は、叶ったと言っても良いと思う。
息子の弥一郎は、私を凌ぐ企業人だ。
何の心配もいらない。
男の孫が、小学3年生の龍馬だけなのが少し残念だが、こればかりは仕方がない。
ところが、1ヶ月前、孫の龍馬が交通事故に遭った。
私は、息子の弥一郎と弥一郎の嫁の
龍馬は無事だと、医師から説明を受けたが、孫を助けようと飛び出した青年は、病院到着後から長い時間心肺停止しており、もはや無理だろうとのことだった。
蘇生したとしても、回復困難な重度の後遺障害が残り、植物状態になる可能性が高いとのことだった。
龍馬が無事だったのは、奇跡としか言いようが無い。
龍馬は、念のため入院して経過を
子どもが無事だったと聞いて、ほっとしたのも束の間、孫を助けてくれた青年は、重度の危篤状態だった。
彼は、まだ28才で天涯孤独らしいとのことだった。
救急車で搬送中は、まだ心臓が動いており、うわ言で、
「・・ こどもは?・・ こどもは?・・・ 」
と言っていたと聞いて、嫁の希美は泣き崩れた。
私も息子も、申し訳ない気持ちでいたたまれなかった。
だが、彼の心臓はまた動き出したのだ。
私は、病院に無理を言って、青年を最も豪華な特別室に移してもらった。
もし、植物状態になっても、彼の面倒を一生