第105話 72年ぶりの蔵入り~それぞれの思い
文字数 3,027文字
姿絵から出てきた女性が口を開いた。
「皆、今日はよく集まってくれました。ありがとう。改めて自己紹介をしましょうね。私は、山科栞、始祖である山科拓馬の母です。ここにいる山崎家と榊家の人間の直系の先祖でもあります。今日ここに現れない始祖様に代わり、指図書の内容を皆に伝えます」
参集した者たちは皆小刻みに震えていた。
言い伝えでしか聞いていない始祖様とその指図であった。
それは、誰も姿を見たことがなく、誰も直接その肉声を聞いたことはないというものだった。
だが、今日初めて山崎一門とその最も信頼されている家臣たちは、始祖様の母君の姿を目の当たりにし、直接その肉声を耳にしたのだ。
彼らは、一言も聞き漏らさないようにと栞を見つめるのだった。
蔵入りが始まると、終わるまで言葉を発してはいけないとは事前の注意であった。
だから彼らは、今まで一言も発してはいない。
だが、最初から彼らの驚きは驚天動地のものであった。
言葉を発することさえ出来ないほどであったのだ。
まず、彼らが蔵に入り、彼らの前に指図書が現れ、次に姿絵が現れた時の驚愕は言うまでもなかった。
描かれている武者が、榊直であることは、誰もが一目でわかった。
直が、壮年であった頃と瓜二つであったのだ。
不思議なことであるはずだが、榊直は、榊家の初代「榊清丸」の生まれ変わりであり、今は、始祖様の直系の子孫であるということも皆が自然に理解したのだった。
「御台の方 明子様」の文字と絵姿を見た弥一郎の驚きは、筆舌に尽くしがたいものがあった。
彼は、口を半開きにしたまま閉じることさえ忘れ震えていた。
御台の方様は、明らかに皆藤三和子との間に生まれた弥一郎の娘、明子であったからだった。
皆藤家の人々も御台様の血筋になるのだということも弥一郎は分かった。
この時、弥一郎は、自分がこれからすべきことをいち早く理解した。
御台の方については、祖父になる弥太郎も驚きは同じであり、これからするべきことも弥一郎と同じ考えであった。
山崎四天王家の一人である末延道夫は、弥一郎が初めて五菱評定に参加した時、進んで弥一郎の教育係を買って出た。
そればかりか、大学を出たばかりの弥一郎をお座敷遊びに誘ったことが切っ掛けで、芸妓絢乃と弥一郎の間に明子が生まれたのだった。
末延道夫は、弥一郎に対する親愛の情が強かったばかりに、調子に乗って自分はとんでもないことを仕出かしたのではないかと長年後悔していた。
だが、絵姿の御台様を見た時、ああ、これは始祖様が望んでおられたことなのだ、自分は気づかないうちに始祖様のお望みのことをしていたのだと、ほっと安堵の気持ちになったのだった。
榊直だけは、79年前の昭和15年に四人の絵姿を見ていた。
姿絵にある自分と始祖様、御台様、母君様がいずれめぐり合うことも知らされていた。
ただ、時が来るまで口外は禁じられていたのだ。
直は、口外は出来なくとも、始祖様たちの出現をいち早く知っておく必要があると思った。
直は、指図によって警備会社を設立していたのだが、それを利用し、始祖様、御台様、母君様の出現をありとあらゆるアンテナを張り巡らして待っていた。
直が最初に出現を知ったのは栞であった。
それは、栞が、始祖様の血を受け継ぎ山科の姓を名乗る最後の人間である山科亮二と結婚し、拓馬を妊娠していた頃だった。
直は、指図によっていかなる事態であってもこの三人に決して手を出してはならない、一切の手助けも無用であると命じられていた。
だが、黙って手を拱 いてはいられなかった。
彼は、特別に選抜した秘密警護官たちに密かに栞一家の警護を命じていた。
だが、拓馬が5才の時の交通事故で父親の亮二と母親の栞は亡くなってしまった。
この時の直が受けた衝撃は、計り知れなかった。
直は、自分は間違ったのではないか、さりげなく山科一家の前に警護の車を先行させておくべきではなかったのか、自分の警護の甘さが、始祖様の母君様と父君様を死に追いやったのではないかとそれから23年もの間、自分を責め続けたのだった。
彼は、拓馬が児童養護施設に預けられたことも、東京メディシンに就職したことも知っていた。
拓馬が、養護施設の周りを父母の迎えを信じて毎日廻っていることも見ていた。
養護施設のブロック塀の周りを毎日歩く幼い拓馬に駆け寄って抱きしめたいと思ったことは何度あったろう。
自分が引き取ることは出来ないだろうかと思ったことも何度もあった。
だが、始祖様は全てを見通し、承知のうえで決して手助けはならぬと申されたのだ。
直は、ただ耐えるしかなかった。
拓馬が、小学生の山崎龍馬を驀進 してきたトラックから助けて瀕死の重傷を負った時は、絶望の淵に立ったと言ってもよかった。
拓馬の入院中、直は、水以外の食べ物をほとんど口にせず、頬はこけやせ衰えていた。
もし、拓馬に万が一のことがあれば死んで詫びる覚悟だったのだ。
だが、わずか一ヶ月後、拓馬は元気に退院した。
さらに、それからすぐに拓馬のアパートから若い女性が出てきたのを警護官が目撃した。
警護官が報告した女性の容姿は、正に母君様であった。
翌日、直はその目で確認した。
運よく栞を確認した時、直は、長い年月の後悔と苦悩から解放されたのだった。
栞は、深層の拓馬に真実を知らされるうちに彼女自身も真に覚醒した。
そして榊直の長い人生の苦悩もはっきりと分かった。
だから、栞は蔵入りの指示をした時、最初に直の元を訪れ直の苦労を労ったのだった。
直は、明子についても、弥一郎と三和子の間に生まれた子の名が明子と知った時から、明子とその家族の警護も秘密裡に行っていた。
今回の蔵入りの数か月前、一年後、某国との間に戦争が勃発する恐れがあり、京都でもテロが起きる可能性があるので明子たちの警護をしようと弥太郎と弥一郎に正式に申し入れたのだが、実はそれよりずっと以前から明子たちの警護は行っていたのだ。
始祖様である山科拓馬については、その名と顔を、参集した者たちで知らない者は一人もいなかった。
今を時めくあの山科拓馬氏が、我らの始祖様であったことに興奮しない者は一人もいなかった。
始祖様が再臨されたこの時代に、我らは何をなすべきなのか、今からその道標 が示されるのだ。
母君様の言葉を待つ彼らは皆、体の震えを止めることが出来なかった。
榊直も、今回の蔵入りで初めて皆の前に姿を現した母君様を前にして、いよいよ大詰めの仕事が始まろうとしている、今度こそ最後のご奉公だと覚悟を新たにした。
2019年12月の半ば、年の暮れに行われた蔵入りは、それぞれの思いを胸に今始まろうとしていた。
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作品を読んでくださりありがとうございます。
物語は、大詰めを迎えてきました。
しかし、何故、βの息子である拓馬とαの娘である栞が、子孫である山崎一族とともに歴史に関わろうとするのか、目的は何なのかと思われる方も多いと思います。
これから、それらの一端が明らかになっていきますが、拓馬と栞の最終目的が明らかになった時、この物語は結末を迎えます。
それまでは、一話ごとの展開をお楽しみいただければと思っています。
「皆、今日はよく集まってくれました。ありがとう。改めて自己紹介をしましょうね。私は、山科栞、始祖である山科拓馬の母です。ここにいる山崎家と榊家の人間の直系の先祖でもあります。今日ここに現れない始祖様に代わり、指図書の内容を皆に伝えます」
参集した者たちは皆小刻みに震えていた。
言い伝えでしか聞いていない始祖様とその指図であった。
それは、誰も姿を見たことがなく、誰も直接その肉声を聞いたことはないというものだった。
だが、今日初めて山崎一門とその最も信頼されている家臣たちは、始祖様の母君の姿を目の当たりにし、直接その肉声を耳にしたのだ。
彼らは、一言も聞き漏らさないようにと栞を見つめるのだった。
蔵入りが始まると、終わるまで言葉を発してはいけないとは事前の注意であった。
だから彼らは、今まで一言も発してはいない。
だが、最初から彼らの驚きは驚天動地のものであった。
言葉を発することさえ出来ないほどであったのだ。
まず、彼らが蔵に入り、彼らの前に指図書が現れ、次に姿絵が現れた時の驚愕は言うまでもなかった。
描かれている武者が、榊直であることは、誰もが一目でわかった。
直が、壮年であった頃と瓜二つであったのだ。
不思議なことであるはずだが、榊直は、榊家の初代「榊清丸」の生まれ変わりであり、今は、始祖様の直系の子孫であるということも皆が自然に理解したのだった。
「御台の方 明子様」の文字と絵姿を見た弥一郎の驚きは、筆舌に尽くしがたいものがあった。
彼は、口を半開きにしたまま閉じることさえ忘れ震えていた。
御台の方様は、明らかに皆藤三和子との間に生まれた弥一郎の娘、明子であったからだった。
皆藤家の人々も御台様の血筋になるのだということも弥一郎は分かった。
この時、弥一郎は、自分がこれからすべきことをいち早く理解した。
御台の方については、祖父になる弥太郎も驚きは同じであり、これからするべきことも弥一郎と同じ考えであった。
山崎四天王家の一人である末延道夫は、弥一郎が初めて五菱評定に参加した時、進んで弥一郎の教育係を買って出た。
そればかりか、大学を出たばかりの弥一郎をお座敷遊びに誘ったことが切っ掛けで、芸妓絢乃と弥一郎の間に明子が生まれたのだった。
末延道夫は、弥一郎に対する親愛の情が強かったばかりに、調子に乗って自分はとんでもないことを仕出かしたのではないかと長年後悔していた。
だが、絵姿の御台様を見た時、ああ、これは始祖様が望んでおられたことなのだ、自分は気づかないうちに始祖様のお望みのことをしていたのだと、ほっと安堵の気持ちになったのだった。
榊直だけは、79年前の昭和15年に四人の絵姿を見ていた。
姿絵にある自分と始祖様、御台様、母君様がいずれめぐり合うことも知らされていた。
ただ、時が来るまで口外は禁じられていたのだ。
直は、口外は出来なくとも、始祖様たちの出現をいち早く知っておく必要があると思った。
直は、指図によって警備会社を設立していたのだが、それを利用し、始祖様、御台様、母君様の出現をありとあらゆるアンテナを張り巡らして待っていた。
直が最初に出現を知ったのは栞であった。
それは、栞が、始祖様の血を受け継ぎ山科の姓を名乗る最後の人間である山科亮二と結婚し、拓馬を妊娠していた頃だった。
直は、指図によっていかなる事態であってもこの三人に決して手を出してはならない、一切の手助けも無用であると命じられていた。
だが、黙って手を
彼は、特別に選抜した秘密警護官たちに密かに栞一家の警護を命じていた。
だが、拓馬が5才の時の交通事故で父親の亮二と母親の栞は亡くなってしまった。
この時の直が受けた衝撃は、計り知れなかった。
直は、自分は間違ったのではないか、さりげなく山科一家の前に警護の車を先行させておくべきではなかったのか、自分の警護の甘さが、始祖様の母君様と父君様を死に追いやったのではないかとそれから23年もの間、自分を責め続けたのだった。
彼は、拓馬が児童養護施設に預けられたことも、東京メディシンに就職したことも知っていた。
拓馬が、養護施設の周りを父母の迎えを信じて毎日廻っていることも見ていた。
養護施設のブロック塀の周りを毎日歩く幼い拓馬に駆け寄って抱きしめたいと思ったことは何度あったろう。
自分が引き取ることは出来ないだろうかと思ったことも何度もあった。
だが、始祖様は全てを見通し、承知のうえで決して手助けはならぬと申されたのだ。
直は、ただ耐えるしかなかった。
拓馬が、小学生の山崎龍馬を
拓馬の入院中、直は、水以外の食べ物をほとんど口にせず、頬はこけやせ衰えていた。
もし、拓馬に万が一のことがあれば死んで詫びる覚悟だったのだ。
だが、わずか一ヶ月後、拓馬は元気に退院した。
さらに、それからすぐに拓馬のアパートから若い女性が出てきたのを警護官が目撃した。
警護官が報告した女性の容姿は、正に母君様であった。
翌日、直はその目で確認した。
運よく栞を確認した時、直は、長い年月の後悔と苦悩から解放されたのだった。
栞は、深層の拓馬に真実を知らされるうちに彼女自身も真に覚醒した。
そして榊直の長い人生の苦悩もはっきりと分かった。
だから、栞は蔵入りの指示をした時、最初に直の元を訪れ直の苦労を労ったのだった。
直は、明子についても、弥一郎と三和子の間に生まれた子の名が明子と知った時から、明子とその家族の警護も秘密裡に行っていた。
今回の蔵入りの数か月前、一年後、某国との間に戦争が勃発する恐れがあり、京都でもテロが起きる可能性があるので明子たちの警護をしようと弥太郎と弥一郎に正式に申し入れたのだが、実はそれよりずっと以前から明子たちの警護は行っていたのだ。
始祖様である山科拓馬については、その名と顔を、参集した者たちで知らない者は一人もいなかった。
今を時めくあの山科拓馬氏が、我らの始祖様であったことに興奮しない者は一人もいなかった。
始祖様が再臨されたこの時代に、我らは何をなすべきなのか、今からその
母君様の言葉を待つ彼らは皆、体の震えを止めることが出来なかった。
榊直も、今回の蔵入りで初めて皆の前に姿を現した母君様を前にして、いよいよ大詰めの仕事が始まろうとしている、今度こそ最後のご奉公だと覚悟を新たにした。
2019年12月の半ば、年の暮れに行われた蔵入りは、それぞれの思いを胸に今始まろうとしていた。
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作品を読んでくださりありがとうございます。
物語は、大詰めを迎えてきました。
しかし、何故、βの息子である拓馬とαの娘である栞が、子孫である山崎一族とともに歴史に関わろうとするのか、目的は何なのかと思われる方も多いと思います。
これから、それらの一端が明らかになっていきますが、拓馬と栞の最終目的が明らかになった時、この物語は結末を迎えます。
それまでは、一話ごとの展開をお楽しみいただければと思っています。