第112話  二度目の歴史~皆藤定嗣の決断

文字数 1,917文字

 拓馬が領有する山崎に隣接していくつかの荘園があった。
 その中の一つの荘園の所有者は、京の公家で皆藤定嗣(かいとうさだつぐ)と云った。
 定嗣は従五位であり、昇殿が許される殿上人の最下位の貴族であった。
 中央での出世は望みがないため、国司として任官されると任地には代理の人間を送らず直接赴任し統治した。
 受領と言われるもので、上級の貴族たちから(さげす)まれるのだが、実入りは多く、中には土着して武士化する者もいた。
 謂わば生活のために受領をしていたのだが、任地での経験を積むうち、京に限らず、地方も武士の台頭が著しく、世は公家社会から武家社会へと変わっていっていることを身を以て感じていた。
 京の都で武家の武力を頼み権力闘争に明け暮れる公家たちも一歩引いた目で見ていた定嗣
は、公家の中では先見の明がある者と言ってよかった。


 定嗣が、越前の国に国司として赴任し、四年の任期を終え帰京した時、虎の子の荘園に接する山崎で騒動が起き、従三位の山科卿が山崎を統一したとの知らせが入った。
 定嗣は、急ぎ所領へ向かった。
 拓馬に敗れた敗残兵が、山崎に隣接する定嗣の領地で乱暴狼藉を働く可能性があったからだ。
 そのまま横領されては目も当てられないと案じてのことだった。

 だが、心配は杞憂であった。
 拓馬は、近隣の荘園や国衙領に迷惑が掛からないよう降伏をしなかった武士や土豪たちは一人残らず討ち取り、兵や領民が他国へと逃げないよう戦の最中から国境を封鎖した。
 兵の大半は農民であり、他国へ逃げようとした者は少なかった。
 だが、戦いで田畑は荒らされており、食う物がないという状況では隣接する他の地を襲うことは十分に考えられる。
 これについても、拓馬は占領とともに治安の回復を図り、領民に食料を分配し、領民の不安を一掃するだけでなく、荒れた田畑の復旧や河川の治水工事に住民を賦役として使った。
 賦役に従事する住民で住まいを失くした者には、小屋であったが仮の住まいを提供し、賦役中の食事の提供だけでなく、幾ばくかの報酬も宋銭で支払ったのだ。
 そればかりか拓馬は、各村を廻って領民の声を聞き、出来るだけ施政に活かそうとした。
 さらに母である栞が直接占領地を廻り、怪我人や病人の治療をしたのだ。
 賦役の待遇さえ異例中の異例であるうえに領主の母のこのような行いは、この時代においては考えられないことであった。
 山崎の領民の全てが心から拓馬と栞に従おうと決めるのに時間はかからなかった。
 こうして山崎の地には、日ならずして復興の槌音が響いたのであった。

 これを見た定嗣は、拓馬の軍事力とその統治にただただ瞠目し、恐れた。
 もし、拓馬がその気になれば定嗣の領地などひとたまりもなく蹂躙されるだろう。
 攻められなくとも、数年も経てば拓馬の治める山崎と自分が治める荘園の格差は大きなものとなろう。
 山崎では人手が足らず、働き口はいくらでもある。
 すぐ隣に日々発展し、領民も飢えない極楽のような地があるのだ。
 このまま手を(こまね)いていては、自分たちの生活と比べて、いずれ領民に不満が出るに違いない。
 逃散する者も出るだろう。
 そうなれば雪崩を打つように山崎周辺の地は山科卿のものとなるに違いない。
 どうしたらいいのだ。
 受領として少々の蓄えがあっても山科卿の真似など到底できるものではない。
 
 物見に遣らせた小者の話では、兵は専業というではないか!
 兵は一体どうやって養うのだ?
 卿の母君様が直接民の手を取って怪我人や病人の治療をしているだと!
 卿からすれば卑しい賤民と言えるほど身分の低い者たちの手を取って治療をするなど観音の化身とでもいうのか?
 そのうえ、殖産興業とやらで次々と珍しい物を作っては内裏に献上し、主上の覚えもこの上ないと聞く。
 もし山科卿から荘園を横領されても自分の訴えなど誰も聞くまい。
 ・・どうしたらいいのだ・・・どうしたらいいのだ・・・・

 皆藤定嗣は、悩みに悩んだ挙句これから如何にすべきかの結論に達した。

「そうだ! 荘園を山科卿に寄進しよう。その代わり自分には荘務を任せてもらい実効支配すれば実入りは決して多くは減らないはずだ。山崎領の発展に合わせてこの荘園にもその恩恵があるはずだ。武士の台頭で国司の実入りも昔ほどではないし、次に国司に任官されるのもいつか分からない。たとえ山科卿の家人扱いになっても今や皆藤家の領地はこの荘園だけなのだ。我が家が生き延びることが最も大事だ・・・・」

 この頃、拓馬の住む庵は家臣が増えるのに従い、小さいが館と呼べる規模になっており、人は「山崎御所」と呼ぶようになっていた。
 定嗣は、拓馬に面会と山崎御所への参上を願う書状を家人に持たせたのだった。
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