第72話  闇の守護者~金子組壊滅

文字数 3,521文字

 復員兵は、金子の後頭部に拳銃を当て、押すように階段を駆け下りた。
 金子は、たまらず階段の途中で足がもつれころげ落ちた。
 復員兵は、階段の下でうずくまったまま痛みに唸っている金子の傍まで下りてくると、いつの間にか手に持っていたナイフを金子の尻に深々と刺し、そのまま事務所から駆けるように逃走した。

 階段下では、駆け下りて来た金子の子分たちが、大声で(わめ)いているのが聞こえた。

 「医者を呼べ‼」
 「あいつを追え、逃がすな‼」

 復員兵は、走りながら、

 (医者か・・押さえておくべきだな、他の愚連隊の情報も集まるだろう・・追ってくるのは、10人か・・事務所内から出入りできる部屋にも5人の気配があったから、少なくとも6人の子分が残っているな・・)

 復員兵は、物陰に立っている二人の人間に一瞬目をやったが、そのまま駆け去った。

 10人の追っ手は、跛行しながら逃げる復員兵の足の速さに驚きつつも、徐々にその距離を縮めていった。

 復員兵は、袋小路の道に逃げ込んだ。
 金子組の前の道路は、6mほどあったが、復員兵が逃げ込んだ道は2m足らずであった。
 この先は、行き止まりだ。
 追っ手は誰もが、復員兵が袋のネズミになったと疑わなかった。

 行き止まりの場所は、四方が一辺20mほどの四角な広場のようであった。
 建っていた建物が、戦災で焼け落ち、そのままになっていたのだ。
 

 レンガ造りの建物に取り囲まれていて、周りから覗かれる心配がほぼ無い。
 広場に面した建物の壁には窓も二つしかなく、人の生活の気配はなかった。
 建物の壁の下には、あちこちにごみが散乱し、粗大ごみも捨てられているようだ。

 追っ手の子分たちは、始末するのにうってつけの場所に復員兵が逃げ込んだことに、笑いをこらえるかのようにニタニタと口角を上げていた。
 彼らは、復員兵を完全に追い詰めた。


 広場のやや奥に建物の壁に沿って電柱が一本あり、裸電球が点いていた。
 復員兵は、その電球の下をくぐった。
 明かりの向こうの暗闇に復員兵が入ると、真っ暗で復員兵の姿は見えなくなった。

 子分たちは、一瞬戸惑ったが、すぐに中から復員兵が現れ、姿を見せたのだった。
 電球の下に立つ復員兵は、別人のように見えた。


 事務所にやって来た復員兵は、40過ぎの白髪まじりの男であった。
 戦場で負傷したのだろう、片足が不自由で、摺るように歩いていた。
 両肩が、やや前に落ち、少し猫背であった。
 目に光も無く、ただ生きているだけのような無気力さを感じる男であった。

 だが、今、明かりの下に立つ男は、三十代前半と思える精悍な男である。
 体躯までもが変わっているようであった。
 その眼光は鋭く、歴戦の強者(つわもの)と呼ぶにふさわしい雰囲気まで身にまとっていた。

 さらに、復員兵の後ろには、いつの間にか何人もの人の気配がした。
 ぎょっとした子分たちの何人かが、自分たちの後ろにも人の気配を感じ、振りむくと、そこにも何人かの男たちが立っていた。
 子分たちは、慌てて懐から拳銃を取り出そうとした。

 直前、復員兵が半身になり、復員兵の後ろの男たちを制するように左手を挙げた。
 その直後、復員兵が右手に持っていた拳銃が、火を噴いた。
 「パンッ」「パンッ」「パンッ」「パンッ」「パンッ」「パンッ」
 続けざまに6発の乾いた銃声がした。
 
 復員兵の拳銃には、いつの間にかサイレンサーが取り付けられていた。
 サイレンサーを付けても音はそんなに小さくはならない。
 ただ、銃の発砲音の高音域を消し、低音域は残るので、それが周囲の壁などに反響して、どの方角から発砲されたか分かりにくくなってしまうのだ。

 復員兵と子分たちの間は、10mほど離れていたが、6人が眉間を撃ち抜かれ即死であった。
 子分たちの後ろにいた男たちは、復員兵の射線から外れるように建物の壁まで下がっていた。

 子分たちは、目の前に立っている男の拳銃が火を噴いたのを見たはずだが、どこか別の方角から撃ってきたのではないかと勘違いし、闇雲に周りに発砲した。
 だが、彼らは、復員兵の前に出た男たちの射撃によりあっという間に倒された。
 逃げようとした子分もいたが、それは、後ろに控えていた男たちによって射殺された。

 復員兵は、男たちに向かって、
 「手筈どおり、半数は残って始末せよ。半数は、事務所へ向かえ。少なくとも子分が6人以上いる。見張りの者に確認して注意せよ。それから闇医者が来るはずだ、確保せよ。」

 復員兵の指示に従い、彼らは直ぐに行動を開始した。
 復員兵は、部下と思われる男たちに指示を出した後、後ろの暗闇の中へと歩いて行った。
 そこには6人の男たちが立っていた。
 うち、二人は日本政治研究所所長の綿見真市と副所長の森崎繁房であった。

 あとの4人は、戦闘に参加をしなかった者たちだ。
 一人は、博徒山本組の若頭である小松時次郎、他の三人は小松の舎弟で、闇市の場所代のいざこざで小松が金子組に乗り込んだ時に付いて行った組員であった。

 復員兵が近づくと、綿見と森崎は直立不動の姿勢で復員兵に頭を下げた。
 復員兵は、
 「今日は、ありがとうございます。こちらが、小松さんと上田さん、野口さん、小田さんですか」
 「はい」

 復員兵は、小松ら4人に向き直ると、
 「私は、榊直です。綿見さんから話は聞いていると思います。今日は私たちの覚悟を見てもらいました。いかがでしょう、協力をしていただけますか」

 「へい、正直申し上げて度肝を抜かれやした。金子組とはいずれ決着を付けなければなりませんでしたが、このような形になるとは、思いも致しませんでした。あっしらも半グレには苦り切っていやした。このままでは任侠道は無くなるでしょう。綿見先生の仰るとおり、日本の将来にも禍根を残すことになるのなら、及ばずながらもお力になりとうございます」

 「心強い言葉だ。ありがとう」

 榊直は、多くを語らず、その場を去った。



 「先生・・・お恥ずかしい、あっしは震えて立っているのがやっとでした」

 「いや、若頭(かしら)は大したもんだよ。俺も初めて会った時は、脳天に雷が落ちたかと思ったぐらいだよ。初めてだったよ、あんな経験は。俺は、あの日、一も二も無なくあの方に付いて行くことを決心したんだよ」

 「そうだったんですかい。でも、何であっしなんかに? こんな大変なことを打ち明けてくださったんですかい・・・」

 「それは、あのお方がそうしろと仰ったんだよ。「このままでは、山本組は金子組に潰される。山本組は、昔からの任侠道を大事にする組だ。小松時次郎は、必ず、東日本の極道界で頂点に立つ。だが、金子組を潰さないと、いずれ金子組との抗争で殺されるだろう。」とね」

 「先生は、それを信じなさったんで?・・・あっしが、そんな大それた人間になるなんて、そんなことは、あり得る訳がありやせん」

 「まぁ、それは、今後のお前次第とも仰っていたがな・・・」

 「・・・分からねぇ・・だけど、あのお方は、間違いなく俺の命の恩人にちがいねぇ。あっしも男だ。あのお方との約束は必ず守ります。・・・それと、あのお方のことは、何とお呼びしたらいいでしょう?」

 「俺たちは、総裁と呼んでいるが、お前さんたちが何と呼ぼうと構わないと思うぜ。だが、あの方の名前は忘れろ。一切の詮索も無用だ。いいな」



 金子組は、消滅した。
 親分をはじめ組員が一人もいなくなったのだ。
 警察も一応の捜索はしたが、何の手がかりも掴めなかった。

 数か月後、山本組の親分は、高齢のため、跡目を小松時次郎に譲った。
 小松の跡目相続には、叔父貴たちはもちろん兄貴たちからも異論は全く出ず、小松新親分の下、新しい山本組は急速に力を付けていった。


 「親分、襲名披露も無事に終わり、おめでとうございます」
 「こんなご時世だ。するつもりは無かったんだが、兄貴や叔父貴たちに言われて、どうしてもな・・・」
 「親分、あの方の仰ったことは、本当になるような気がするんですが・・・」
 「まさかな・・・俺たちは、あの方や綿見先生との約束を守って任侠道を進むだけだ」
 「親分、あの方の呼び名ですが、何とお呼びすれば? あの方じゃなくて何か・・・」

 「・・そうだな・・・・『闇の守護者』はどうだ。日本の表の発展のため、闇から日本を守る・・それに俺たち裏稼業・闇の人間にとってもある意味守護者だからな・・・」

 この時から、榊直は、裏の社会で、それも一握りの人間にしか知られていないが、「闇の守護者」と言われるようになった。

 昭和22年、榊直が、修羅の道を歩み始めたのは、山科拓馬が東京メディシンの社長に就任し、初めて世に出た時と同じ28才であった。
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