第68話  闇の守護者~安心を守ります

文字数 3,150文字

 昭和22年(1947年)は、直にとって怒涛の年だった。

 先ず、日本総合警備保障会社という警備会社を起業し、その基礎を作るべく奔走したことが挙げられる。
 資金面は、山崎本家に収蔵されていた山崎財閥と山崎本家の資金が活用され、資金に困ることは無かった。
 しかし、直は、各地区本部建物と施設の整備、クライアントの開拓、新規採用者の養成、会社設立のための各種公的手続きなどに忙殺された。

 直は、先ず、会社の経営理念を明確にした。
 長い年月存続する会社には、基本となる理念が重要であると考えたからだ。
 社員全員の考えを募り、それらと自らの信念を何度も幹部ら、時には一般社員も交えて議論をしたうえで、自ら起草したのだった。

 その概要は、

1.警備保障やその派生する事業によって人々の安心や安全に寄与すること
2.社会に有益な事業であること
3.社会に貢献する会社であること
4.会社、社員とも常に努力を怠らぬこと
5.努力と誠実な仕事の対価としての正当な利益以外受け取らないこと
6.常に社会の変化と要請に先駆けて最新の技術を開発開拓し、もってサービスを構築実施すること
7.礼節、礼儀を重んじ、会社内外において全ての人を尊重し、その尊厳を守ること
8.立場、権限を利用した私利私欲の行いを厳に禁ずること
9.社会正義を重んじ、公平、公正に行動すること
10.
 会社の利益は、先ず社員に、次に経営者に、最後に株主に
 会社の損失は、先ず株主に、次に経営者に、最後に社員に

 等々、十数か条に及び、会社の目的や会社及び全ての構成員の目指すべきものを明らかにしたものだった。

 その一条一条についても、必要な説明や事例が添えられており、業務上知り得た情報に基づいた不正の厳禁や、現在問題となっているパワハラやセクハラの厳禁、さらに会社のブラック化も決して行ってはならないことなど、当時だけでなく、現在においても通用する内容であった。

 中でも、第10条の、利益の享受は株主が最後で、損失の負担は株主が最初と云うのは、株主の出資は不要と自ら喧伝しているようなものであった。

 ところが、社会に初めて出現した事業の会社にも拘らず、直の創業した日本最初の警備会社は、その後も順調に成長拡大を続けた。
 国内シェアも、当初は当然ながら、100%を占め、その後も圧倒的な国内シェアを誇り、株は非公開であったが、出資希望の問い合わせが常にあったのであった。

 各地区の本部や出張所などの建物や施設、車両や各種の設備、無線などの情報伝達手段などは、各地区に配置した本部長を初め、幹部や社員の奮闘で急速に形が整えられ充実していったのであった。
 社員の研修についても、新規採用は、戦地からの復員兵が多く、体力、規律など問題なく、改めて一からと云うのは少なかったので、創業したばかりの会社にとっては好都合であった。
 当初から質の高い業務の提供が可能であったため、クライアントからは高い満足評価を得ることが出来た。

 当初のクライアントは、五菱グループの各企業とその関連会社であった。
 これらは全国に存在し、社会的信用も高い企業であったので、日本総合警備保障会社の社会からの信用信頼の獲得にも非常に有効であり、会社発展の大きな力となった。
 また、仕事の質の高さだけでなく、万が一警備上何らかの損害をクライアントに与えた場合の補償についても、五菱グループの保険会社との提携により、十分な補償額をクライアントとの契約の際、提示できたことにより、日本総合警備保障会社の評価は益々高くなった。

 警備対象も、会社の建物から富裕者の家屋、そして個人の警護などと拡大していった。
 特に、戦後の復興のための本格的な建物やインフラの工事が、徐々にではあるが発注されるようになり、工事現場の警備や周辺の交通整理なども手掛けるようになった。
 これらの警備は、当時は、まだ、厳格な工事施工の条件と云う訳では無かったが、五菱関連の企業は、殆どのケースで日本総合警備保障会社に警備の依頼をしたのだった。

 これには理由があった。

 戦前、極道やヤクザと云うのは、香具師(やし)や、博徒と呼ばれる人たちが主であった。
 ところが、戦後は事情ががらりと変わってしまった。
 混乱の中で半グレと呼ばれる人間たちが台頭してきたのだ。

 彼らは、伝統的な香具師やばくち打ちと云った稼業ではなく、恐喝、詐欺、民事介入、薬物売買と云った暴力を背景にした経済ヤクザという面を強くしていった。
 元より、暴力を背景にしていたのは、極道も同様であるが、新しく台頭してきた組織は、もっと悪質なものであった。
 そして、旧来の博徒の人たちも含めて日本の極道は、暴力団、反社会的組織と言われるようになっていった。

 原因は、第三国人の跋扈(ばっこ)であった。
 第三国とは、戦勝国でも敗戦国でもないということだ。
 つまり、日本の敗戦までは日本であったが、戦後独立した台湾や朝鮮などを指していた。

 だが、その中で朝鮮人は、自分たちは戦勝国であると主張し、各地で半グレ集団となり、恐喝や婦女子への暴行など目に余る事件が多発した。
 ところが、警察の武力は極端に弱体化されており、それらを十分に取り締まることが出来なかった。
 そのため、警察は、旧来の香具師や博徒に取り締まりの協力を依頼したのだ。
 彼ら極道と呼ばれた人たちは、組ごとあるいは連携して自警組織を作り、三国人らの取り締まりのため警察に協力し、それは、かなりの効果を上げることが出来た。

 しかし、警察力が充実してくると、警察は、一転して彼ら極道を暴力団と呼び、今度は、暴力団の取り締まりを始めたのだった。
 結果、追い詰められ数を減らしていった暴力団は、陰に(ひそ)み、その収益の手段も多岐にわたる反社会的集団となっていった。

 さらに旧来の極道の弱体化は、結果、外国からの犯罪組織の侵入を許し、犯罪のさらなる巧妙化、悪質化を招いた。
 戦後の薬物乱用は、昭和29年をピークに第一次乱用期は終わったのだが、その後も外国からの密輸によって第二次、第三次と薬物乱用の発生は続くことになった。
 外国の犯罪組織と繋がった密輸は後を絶たず、犯罪の悪質化は、さらに深刻化し、日本の大きな問題となっていくのであった。

 戦後の復興から高度経済成長にいたる日本の発展の裏で、その甘い汁を吸おうと暴力団も動いた。
 入札や工事に絡む利権はもちろんの事、現場でも工事が近隣に与える騒音の迷惑料、または反対派住民への懐柔などを理由に多額の金員を要求し、それらの対応に落札した工事業者は、苦しむことになった。
 そうやって暴力団に流れる資金は、工事の落札価格や工事の質にも影響を与えることになる。
 これは、日本の復興や経済発展に悪影響を及ぼすものであった。

 ところが、直の日本総合警備保障会社に警備を依頼した会社は、不思議な事にこのような問題が一切起きなかった。
 これについては、噂が噂を呼び、次々と工事現場の警備依頼が増えていった。
 そして、警備を依頼した会社は、噂は真実であることを例外なく実感したのであった。


 第三国人の跋扈を許さず、外国人犯罪組織の侵入を阻止し、犯罪の悪質化、薬物の乱用、そして経済発展への悪影響を防ぎ、日本の健全な発展をもたらすことが、直の使命であった。
 直は、日本の伝統と日本人としての誇りを守るため、人生の全てを懸けて(おのれ)の使命を果たす決意であった。
 若い直は、戦後の混乱の時期を力の限り駆け抜けていくのだった。
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