第76話  東京メディシンの新しい出発~新規採用者

文字数 4,235文字

 新しい東京メディシンには、辞めた社員も新たに多く採用された。
 彼ら彼女らは、一部を除き、概ね元の職場にもどる形となり、社長室の新プロジェクトのメンバーを兼務する者が多かった。

 プロジェクトで検討されるのは、泥沼コンビによって没にされた企画が大半であった。
 自分たちが、夢見た企画が再度日の目を見て、彼らは水を得た魚のように仕事に取り組むのであった。

 資金面も、五菱グループによる多額の株の増資が行われ、当面の心配はない。
 拓馬は、自身で新規事業を起こし、その後の資金需要にも対応する計画だ。

 新規採用者の中には、拓馬が、本来は常務取締役として迎えたかった桑野義明がいる。
 21年前、44才の桑野は、竹田製薬工業で研究開発部門第三分野統括であった。
 その当時、敵対派閥である蛭川派に属していたチームリーダーの一人であった高山の不正を発見し、高山を逆スパイにすることを提案したのは、桑野であった。

 社長の竹田智之、副社長の森山秀二、第一分野統括で武闘派のリーダーであった近藤康平、高田裕次、高田里帆らに、高山が改心し、社長派の味方となるなら許して欲しいと懇願したのだ。

 桑野義明は、目立たないが、非常に優秀な研究者であった。
 天才的と言われた高田裕次が、第一分野統括になったのは42才の時であり、多くの社員が最年少記録だと思い込んでいたが、実は、桑野が第三分野統括になったのは、41才の時だったのだ。


 彼は、今年65才になり定年を迎えたのだが、竹田智之を初め経営陣は、早くから取締役就任を彼に切望していた。
 だが、彼は、それを固辞し、一般社員として退職したのだ。

 桑野は、厳しいが、部下のことをいつも気にかけ、面倒見の良い男だった。
 部下の適正や資質を見抜き、適所に配置することで大きく成長した部下は多い。

 しかし、竹田製薬工業は、当時、敵対派閥と武闘派の静かだが、熾烈な暗闘が繰り広げられていた頃であり、彼が、目を掛けた有為な人材が道をそれて行くことも多かったのだ。
 彼は、それらの若者を目立たずに、敵対派閥から離脱させ、社長派になるよう導いていた。
 だから、彼は武闘派には参加せず、穏健な生え抜きの社長派を演じていた。
 武闘派に参加すれば、将来のある救える若者も救うことが出来なくなることを恐れたのだ。

 結果的に彼に救われた人間は数多くいた。
 武闘派とは違う、孤独な彼の闘いがあったのだ。
 だが、成果を人に話したことはない。
 目立つことは、極力避ける必要があったからだ。
 彼に助けられた人間も、彼から決して他言しないようにと言われていた。
 せっかく助けた若者たちが、敵対派閥ではないかと疑われることを恐れたからだった。

 その中で、高山は、特異な存在だった。
 チームリーダーとして有能であるばかりでなく、対人面でも人当たりが良く、微塵も暗さを見せることが無く、桑野も気が付くのが遅くなってしまったのだ。

 桑野は後悔した。
 彼の父親が、多額の借金を残して亡くなったこと。
 母親は、難病で医療費の負担に苦しんでいること。
 敵対派閥の格好の標的ではないか。
 自分は、なぜ、もっと早く気付いてやれなかったのだと。

 結果として、武闘派は、最も優秀な逆スパイを得ることが出来、その後の敵対派閥との闘いでも、決定的な証拠を幾つも掴むことが出来たのだが、高山は、最終的には九州の製薬会社に移ることとなった。
 高山にとっては、最善の道となったのだったが、桑野は、彼を逆スパイにすることでしか救えなかったことを、心の中で、高山に対して済まないと思う気持ちが消えることが無かった。

 逆スパイとなった高山は、大型案件の医薬品開発から、母の難病のための特殊薬品のプロジェクトへと異動することになった。
 だが、この薬品は、特殊薬品の中でも回収率が極端に低いことが予想された。
 当時の竹田製薬工業の実情は、最早、このような回収率が極端に低い特殊薬品の開発をする余裕は無かった。
 しかし、桑野は、智之を初め敵対派閥の領袖であった第五分野統括の蓑茂を除く各統括に頭を下げ、このプロジェクトを立ち上げることが出来たのだ。

 高山の再就職のため、智之と森山が尽力してくれたのだが、桑野は、友人が重役を務める新潟の製薬会社に、もし万が一の時は高山を受け入れてくれるように懇願し、了承を得ていたのだった。

 桑野は、これらのことを人に話したことは無い。
 そもそも、彼は、自分自身のことを研究馬鹿しか取り柄が無いと思い込んでいた。
 だが、彼の人の適正や能力を見る目、そして育てる能力は驚くべきものがあり、拓馬は、竹田製薬工業の歴史を知った時から目を付けていたのだ。

 桑野の能力は、智之たちも気づいてはいたが、やはり医薬品開発の手腕の方に重きを置く傾向が強かった。
 拓馬は、彼の部下の可能性を見出し、育てるという天性の才能に期待したのだ。

 拓馬が、桑野を東京メディシンに招くための会談を持った時、桑野の現役時代、後進のためにいかに心を砕いていたかを知っていると話し、実例をいくつも上げたことに、桑野は非常に驚いた。
 誰にも話したことがなかったからだ。

 それ以上に、自分にそんな能力があるのだろうかと、半信半疑だったが、拓馬の熱心な勧誘に(ほだ)されて、もう一度働いてみようと決心したのだった。
 それに桑野は、非常に見た目が若い。
 60才の中島新常務が、初めての顔合わせの時、桑野を自分より4~5才は若いと勘違いしたほどだった。

 東京メディシンの歴代社長は、拓馬、中島、桑野、広川と素晴らしい人材が続き、その後も、彼らの薫陶を受けた一流と言われる人材が跡を継いでいき、それは東京メディシンの伝統とさえ言われるようになった。

 ただ、桑野の採用には、悔しがる人たちも居た。
 竹田智之をはじめ、竹田製薬工業の経営陣の面々だ。
 彼らは、桑野が退職した後も、桑野を取締役として迎えることをあきらめてはいなかった。

 そのため、拓馬が、当初提案した名簿の中に新常務として、桑野義明の名前を見た時は、正直、拓馬の慧眼(けいがん)に驚きを隠せなかった。
 しかし、山崎弥太郎と弥一郎が拓馬の社長就任を強く主張し、ところてん式に社長の予定だった中島が常務になり、一応桑野の名前が消えた格好になった。
無事、臨時取締役会で決定された時は、智之たちは、ほっと胸をなでおろしたものだった。

 ところが、翌日の人事異動発令では、当初の予定になかった社長室が新設され、社長室長には、何と桑野が任命されたと知った時は、智之ら竹田製薬工業の面々は唖然としたのだった。

 彼らは、悔しがったが、すぐに諦めもついた。
 拓馬が相手では、いずれ何らかの方法で桑野を取られるのではないかと危惧していたのだが、こうも鮮やかにやられたのでは手の出しようもない。
 正に完敗だった。
 しかし、高田里帆だけは本気で悔しがり、地団駄を踏んでいた、と後で聞いた拓馬は、そこまで悔しがられたのか、少しやり過ぎたのかなと思ったのだが、里帆が悔しがった本当の理由は別にあったことを、その時は、まだ知らなかった。

 世間では、桑野の社長室長就任は、親会社からの天下りだと(とら)える向きが多かったが、実情は、全く違っていたのだった。
 
 拓馬と桑野との会談だが、社長就任の日、社員への挨拶などを終えると、拓馬はすぐに、東京メディシンを出て、桑野の自宅へ向かったのだ。
 母親で宇宙生命体の栞に合一してもらい、一瞬で転移すると、四時間近くをかけ、桑野を説得した。
 最小限の宇宙生命体としての能力を使いつつ、人としても努力をしたのだった。
 辞令書の作成は、もちろん能力を使い、一瞬で作成した。


 
 因みに、竹田製薬工業から派遣された三人の取締役だが、従来、竹田製薬工業の社員からは、東京メディシンに週一勤務で、時たま本社に帰社して報告をするだけの超閑職と捉えられていた。
 しかし、今までの三人に対する厳しい処分が下されると、新たに取締役として派遣された三人は、これからは、毎日出勤して監視しなければ、自分の身が危なくなるかもしれないと云う危機感を持った。
 だが、閑職に変わりはなく、割の合わない役だなと内心思っていた。

 ところが、その考えは初日の一日で吹き飛んだ。
 拓馬の140人全員の面接に度肝を抜かれ、さらに初対面のはずの自分たちの面接でも、内心をズバリと指摘された。
 だが、それでも、会社の健全な発展のためには、社外取締役の役割がいかに重要かを説き、終始、真摯(しんし)な態度で面接に臨む拓馬を前にして、彼らは、いつの間にか東京メディシンの経営を担う一員としての自覚とやる気に全身が満ちてくるのだった。

 彼らは、社員の理想的といえるほどの高い士気や日々変貌し、発展していく東京メディシンから一日も目が離せなかった。
 それ以上に、拓馬の神がかりとも言える社長としての仕事ぶりに目が離せなかったのだ。

 拓馬は、初期のうちは、早急に体制を整える必要があったので、かなり細かいことまで指示をしたが、次第に要点のみ抑えるようにし、さらに、少々の失敗があったとしても社員にすべてをやらせるようにしていったのだった。

 それらは、彼ら三人だけでなく、中島常務や桑野社長室長にとっても理想的な人材育成として映った。
 彼らが、この時期、拓馬から得たものは、計り知れないほど大きいものだった。

 三人の社外取締役は、今回から週に一度、竹田製薬工業に帰社し、報告をすることになったのだが、高田里帆の熱のこもった質問にさらに熱のこもった報告を行い、終わると自宅へ直帰せず、真っ直ぐ東京メディシンに戻るのだった。
 それを見送る高田里帆の羨ましそうな悔しそうな複雑な表情を見た社員は、その意味が分からず、戸惑いながら不思議に思うのであった。

 
 またしても、余談だが、今回の社外取締役の任期は、2年と定められていた。
 
 本社に復帰した三人は、まるで人が変わったように目覚ましい仕事への取り組みをするようになっていた。
 後に、三人とも要職を歴任するほど活躍をするのだが、彼らが変わったのは、東京メディシンに社外取締役として赴任してからだというのがもっぱらの噂になり、それはまた真実でもあった。

 東京メディシンはその後も、竹田製薬工業から三名の社外取締役を継続して受け入れるのだが、竹田製薬工業内では、出世の登竜門として、そのポストを巡り、熾烈な獲得競争がなされるのだった。
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