第114話  二度目の歴史~定嗣と妻

文字数 2,663文字

 拓馬から妻と娘明子の同行を請われた定嗣は、急ぎ京の自邸から妻のみわ子を荘園の館へ呼び寄せ、事の顛末を語ったのだった。
 みわ子は、しばらく何かを考えているようであったが、やがて、

「殿様、これは()きお話であると思います」

「何と、どうして左様に?」

「実は、殿様とご一緒に越前赴任から帰京する直前でございました。明子より文が届いたのでございます。
 それには、三位様より文をいただいたとあり、三位様の文も同封しておりました。お父様とお母様に御覧いただき、ご返事を書きたいと思いますと認めておりましたが、本人は嬉しさを隠し切れず心躍るような文面でございました。
 私は、直ぐに殿様にご相談しようと思ったのでございますが、帰京前の慌ただしさと帰京中には山崎の騒動が起こり、殿様は帰京後すぐに荘園へと向かわれましたので、そのままになっておりました」

「・・何と、そのようなことが・・して三位様の文は?」

「ここに持参しております」

 妻のみわ子から受け取った拓馬からの文を定嗣は何度も読み返した。

「・・・どう見ても真摯な内容である・・・だが、不安だ・・・」

「私もそう思います。私は、殿様との婚儀のことを思い出しました。
 私の家に三日続けて夜通って来ていただき三日夜餅(みかよのもちい)を一緒に食べ、露顕(ところあらわし)(披露宴)を致しましたなぁ・・・
 あの時、私は幸せでした。でも不安でした。これからも通ってくださるだろうかと思っていたのです。
 私の父は、従六位で主上のおはします清涼殿への昇殿が許されない地下人(じげにん)の公家でございましたから、殿様の後ろ盾になることなど出来ません。いずれは、身分の高い姫様と結ばれ私の元へは通われなくなるだろうと覚悟していました。
 ところが、露顕の席で殿様が私と同居したい。そのための館を建てているので少しだけ待ってほしいと仰ったのには私も父母も驚いたものです。妻問(つまどい)婚で気が向いた時に来られるものと思っていましたから」

「いや、待て。私は文でも露顕の後は、我が館に迎えたいと認めていたはずだが・・」

「そうではございましたが、それは私の気を引くための一時の方便かもしれない、あまり期待してはいけないと父母から注意を受けましてございます」

「いや、いや、待て、待て! 私は室として迎えるとも申したはずだ」

「でも、正室とははっきり申されませなんだ。だから私は、館が出来ても寝殿(母屋)の正室ではなく、側室として(たい)(別棟)に住まうものと思っていました」

「いや、いや、待て、待て、待て! 私は真っ先にそなたを寝殿に迎えたぞ!」

「そのとおりでございます。そのうえ貴方様は、私以外の女子(おなご)を妻に娶るつもりはないと仰いました。私は、貴方様の言葉が嬉しくも信じられず何度も本当ですかと聞いてしまいました。でも全て本当でした。子は明子だけしか授かりませんでしたが、貴方は言葉を(たが)えることなく私を(いつく)しんでくださいました。受領としての赴任先にもいつもご一緒させていただき、私は、ありがたい気持ちで一杯です・・・」

「みわ子、私は、宮中で皇嘉門院(こうかもんいん)様(藤原聖子(ふじわらのきよこ) 崇徳天皇の中宮(皇后))に女房として仕えていたそなたを一目見た時から、そなたに心を奪われたのだ。学問・礼法に通じているばかりでなく、美しいうえに詩歌音曲にも優れたそなたを中宮様がたってにと望まれ、お仕えすることになったと聞き、さもありなんと思ったものだ。
 だから私は、受領として(ひな)ばかり廻り、都にも疎くなってしまった自分では見向いてもくれないのではと不安だった。何せ宮中の公達は皆そなたの噂で持ち切りだったのだよ」

「ふふっ、そうでございましょう。引く手あまたでございましたのよ」

「それでも、そなたは私を選んでくれた。私は今でもありがたいと思っている」

「それは、私もですわ。あなた・・・あなた、三位様の文はあなたの文と似ていると思いませんか」

「思う・・・それでも、三位様と私では身分が違いすぎる。明子が、中宮様(二条天皇の皇后 藤原育子(ふじわらのむねこ))の女房であると云っても、このように高位の公達からの申し込みは信じられぬ・・・私が、三位様の力になれることなど何もないのだ・・・三位様のただの邪な欲望であったなら明子が可哀そうだ・・・それに何故そなたまで同行せよ言われるのだ? 荘園のことは表向きの(まつりごと)、私一人でよいはずだ・・・明子との婚儀をお望みなら明子だけ同行すればよいではないか? そもそも婚儀についても荘園の取り扱いと無関係のはずはない・・ならば三位様と私で決めることではないか・・・明子だけでなく、そなたまでとは人質か慰み者とするお積りかと詮索してしまうのだ・・・」

「身分の差が違いすぎるのは、私も心配です。私のように明子も三位様が愛しんでいただけるのか・・・私の場合は例外だということは、明子も分かっているとは思うのですが・・・・」

「・・どうしたらよいのだ・・・」

「あなた、三位様のお望みどうりにしてはどうでしょうか。
 それに御母君の栞様は、領民の手を御自ら取り、けがや病気の治療をなされるなど観音の化身とさえ言われ、領民から慕われていると聞きます。案外、取り越し苦労なのかもしれませんよ。
 それにどう足掻いても三位様に敵うはずもありません。ここは腹を決める時と思います。
 明子もこの話を聞けば山崎御所へ参上したいと言うのではないでしょうか・・・いざというときの覚悟は持っています。それは明子も同じと思います」

「・・・・みわ子、そなたの申す通りだ。私も覚悟を決めたよ。早速、明子に文をしたためよう・・」

 明子は、父からの文を受け取ると中宮の女房職を辞し、中宮(この場合は皇后の住居)を退出したのだった。
 京の皆藤邸へと戻った明子は、明子を迎えに来た母みわ子と共に父が待つ荘園の館へと向かい、親子三人の久しぶりの短い団欒の後、そろって拓馬と栞が待つ山崎御所へと参上した。

 山崎御所から見える丘の上にも御所の庭にも白木蓮が美しく咲いている春であった。

■■■
 
 この話を蔵入りで栞から聞いた時、弥一郎は、もしかするとみわ子様は、皆藤三和子の前世ではないかと思った。すると、栞は弥一郎の考えを察知したかのように答えたのだった。
 
「分からない前世は、分からないままでよいのです。人は今生きている今生を力の限り生きることが大切なのですよ」と。

 2020年1月10日、明子が暴漢に襲われた夜、弥一郎は蔵入りの内容を三和子と明子それに三和子の母、邦子に話したのだが、その時も三和子たちも同様に考え、弥一郎は答えとして栞の言葉をそのまま伝えたのだった。
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