第99話 暴漢~見える人々
文字数 3,463文字
日本総合警備保障会社の警護官たちは、暴漢を拘束し、所持していたパスポートを確認すると、それぞれ手分けして事前に取り決めていた通り、次の四か所へ連絡をした。
所轄の東山警察署長
京都府警刑事部捜査第一課長
日本総合警備保障会社近畿本部長
榊直
東山警察署長は、刑事課の署員に緊急の出動を命じた。
さらに、騒ぎが大きくならないよう細心の注意を払って速やかに被疑者を確保し、署へ連行するよう指示をした。
また、府警本部の捜査第一課長にも出動することを改めて連絡した。
捜査第一課長は、上司の刑事部長と府警本部長に事件のあらましを報告の上、自ら部下を数名引き連れて現場へ向かった。
本部長と刑事部長は、夜間にも拘わらず登庁し、捜査報告を待ったのだった。
何故このような措置が取られたのかと云うと、数か月前に日本政治研究所から齎 された情報があったからだ。
それは、第三国人によるテロの可能性があると云うものだった。
それが具体的に予想されるのは、来年2021年の夏であったが、ここ京都も観光客をターゲットにしたテロ発生の可能性が高いとの内容だったのだ。
この詳しい内容については、日本の三大スパイ機関である内閣情報調査室(官邸直属)、公安警察(現在は主に産業スパイ、国際テロ活動の阻止)、公安調査庁(法務省の外局 破壊活動防止法を執行するための調査権を持つ。)とも情報の共有を行っている。
民間の一政治団体に過ぎない日本政治研究所が何故と云う疑問が生じるが、日本政治研究所のバックには、今や日本だけに止まらず全世界に進出している日本総合警備保障、世界中に情報の組織網を持つ五菱グループさらにそれらを統括する山崎一族と榊直の存在が大きい。
戦後、国を憂える人材は、市井において大勢いた。
警察や国の中枢である官僚の中にも少なからずいたのだ。
だが、誤った歴史観を植え付けられ、戦前の日本を全て否定する風潮の中で何の力も無く忸怩 たる気持ちでいたのだ。
そんな彼らの希望が榊直だったのだ。
直の驚くべき予見と洞察力そして実行力によって、岐路に立ったとき、過 てず道を進めた者が多かった。
そのような体験をした先輩方は、既に鬼籍に入っている人も多いが、その体験談は、山崎一族の異能の伝説と共に政界、財界、そして警察の一部には今も脈々と伝えられている。
さらにこの時間軸の世界では、平成七年(1995年)のオウム真理教による地下鉄サリン事件は発生していない。
表向きは前年の松本サリン事件をきっかけにした警察の捜査による成果と云うことになっているが、実態は榊直の日本政治研究所の警鐘と情報によるところが大きかったのだ。
榊直は、早い段階からオウム真理教の危険性を訴えていたが、それでも地下鉄サリン事件の前の松本サリン事件などの死者が出る痛ましい事件を食い止められなかった。
このことが、直にとっては慚愧の念に堪えなかった。
思い切った実力行使に出るべきではなかったかと後悔したのだ。
信頼出来る部下は、その当時何人もいた。
厳選した少人数で実行すれば出来ないことではなかった。
だが、時代は、もはや戦後の混乱期ではなく、直たちの活動も法に則った方法で行うようになって久しかった。
もし、万が一思いもかけない手違いがあれば、その後の活動は著しく制限され、日本総合警備保障会社や日本政治研究所の社会的信用も地に落ちるだろう。
それだけでは無く、榊直が、五菱の山崎一族であると云うことも一部では知られるようになっていた。
きっと、弥太郎や山崎本家にも迷惑をかけるだろう。
それに、もっと大きな国難にも対処することが出来なくなるだろう。
大事の前に小事を捨てざるを得ない状況だったのだ。
だが、直は、心情的に切り捨てることは到底できなかった。
直は、胸を切り裂かれるような気持だった。
そのようなとき、直は、いつも戦友だった鈴木勘四郎を思い出しては、俺はどうしたら良いのだと虚空に問うのだった。
直は、この頃から、戦地で鈴木勘四郎と30名の兵の敵討ちとはいえ、無抵抗の米兵や村人を殺した時の夢を見て魘 されるようになったのだった。
直の苦悩に拘わらず、オウム真理教の事件以来、榊直や日本政治研究所、さらに関係が深いと思われる日本総合警備保障に対する警察や政府の信頼は深まった。
つい最近まで、山崎一族の歴史を調査しようとする研究者に対しては、資金面の締め付けや有形無形の圧力が加えられ、その研究は封殺されて来たのだ。
だが、現在では、直や山崎一族の異能も一部では知られるようになり、マイナーではあるが戦前までの山崎一族の歴史を見直そうとする歴史家も現れるようになった。
長年の実績による信頼のため、政府も警察も、今回の第三国人によるテロの可能性についての榊直たちの忠告を過少評価することは全く無く、外国人による不穏な動きについては、背後関係まで含めて徹底的に捜査をしていた。
特に京都府警は、観光客が多いこともあるが、数か月前に直と弥一郎により、京都には弥一郎の実の娘とその実家があることが知らされていた。
疑惑のある第三国にも榊直たちのことは気付かれている可能性もあり、直が山崎一族であることが知れると、京都に実家がある明子とその家族にも危険が及ぶ可能性は十分考えられたのだ。
そのため、何かあれば、所轄の東山警察署と府警本部の捜査第一課が、特に合同で捜査に当たることにしていたのだ。
結局、今回の事件については第三国との繋がりは無いことが判明し、四人の暴漢たちには強盗強姦未遂で厳正な法の処罰が下された。
事件の捜査や裁判は迅速に行われ、弥一郎や明子の名が公表されることも無く結審したのだった。
----事件があった夜----
弥一郎は、丸の家で炬燵 に入り、今は、丸の家の女将となった三和子と、互いの近況や二日前の拓馬と明子の山崎邸でのデートのことなどを話しながら明子の帰りを待っていた。
三和子の母邦子は隠居し、離れに住んでいるが、80才を過ぎてもなお矍鑠 としている。
頼まれては、芸妓や舞妓たちの芸事の稽古をつけており、女将の時と変わらず元気であった。
「それにしても明子は遅いわね・・・」
と、三和子が言いかけたのだが、その途端、目を見開いた三和子の様子を見て、弥一郎が後ろを振り向くと、そこには薄っすらと白く輝く人物が立っていた。
その人物は切羽詰まり、焦燥感に顔を引き攣 らせているようだった。
その直後、弥一郎と三和子の脳裏に、
『 明子が危ない! 急げ‼ 神社の境内だ! 』
と怒鳴るような声がはっきりと聞こえた。
弥一郎は、裸足で飛び出した。
まるで自分の体が自分ではないようだった。
まさしく飛ぶような勢いで、明子が襲われている現場に着くと、信じられないような動きで暴漢たちを殴っていた。
それは、怒りに我を忘れたようだった。
打撃は、急所が集中する正中線を正確に狙っていた。
だが、弥一郎は長年武術を鍛錬してきており、ぎりぎりで急所を外すことが出来た。
しかし、容赦ない打擲は止もうとはしなかった。
弥一郎は、暴漢を殴りながら、
⦅これ以上殴れば死んでしまいます!⦆
と、心で叫んだ。
すっと力が抜け、気が付けば暴漢は皆石畳の上に倒れていた。
白く輝く人物は、無事な明子を見て安堵したようだった。
そして弥一郎を見ると、済まなさそうな顔になり、頭を少し下げたように見えたが、そのまま消えてしまった。
弥一郎は、明子を抱え、警護官の一人が荷物を抱えて丸の家に戻った。
すると直後に別の十人近い警護官が、丸の家に駆けつけ、丸の家を取り囲むように警護を始めたのだった。
彼らは、日本総合警備保障の近畿本部長が弥一郎たちを警護するために、丸の家からさほど遠くない所に常に2~3名を待機させ、時折巡回をしていたのだが、先月の半ばから増員されていた。
直の指示により、万一に備えてのことだった。
神社から付き添ってきた警護官は、入れ替わるようにすぐに現場に戻った。
弥一郎と明子を迎えたのは、三和子だけでなく三和子の母邦子もいた。
離れにいた邦子にも『急げ!! 』という大きな声が聞こえ、何事かとやって来たと言うのだ。
丸の家にいる他の人間には、何も聞こえなかったようで起きて来た者はいなかった。
弥一郎は、自分や明子だけでなく、やはり三和子にも邦子お母さんにもあの方が見えて、声も聞こえるのだと理解した。
弥一郎は、全てを話し出したのだった。
所轄の東山警察署長
京都府警刑事部捜査第一課長
日本総合警備保障会社近畿本部長
榊直
東山警察署長は、刑事課の署員に緊急の出動を命じた。
さらに、騒ぎが大きくならないよう細心の注意を払って速やかに被疑者を確保し、署へ連行するよう指示をした。
また、府警本部の捜査第一課長にも出動することを改めて連絡した。
捜査第一課長は、上司の刑事部長と府警本部長に事件のあらましを報告の上、自ら部下を数名引き連れて現場へ向かった。
本部長と刑事部長は、夜間にも拘わらず登庁し、捜査報告を待ったのだった。
何故このような措置が取られたのかと云うと、数か月前に日本政治研究所から
それは、第三国人によるテロの可能性があると云うものだった。
それが具体的に予想されるのは、来年2021年の夏であったが、ここ京都も観光客をターゲットにしたテロ発生の可能性が高いとの内容だったのだ。
この詳しい内容については、日本の三大スパイ機関である内閣情報調査室(官邸直属)、公安警察(現在は主に産業スパイ、国際テロ活動の阻止)、公安調査庁(法務省の外局 破壊活動防止法を執行するための調査権を持つ。)とも情報の共有を行っている。
民間の一政治団体に過ぎない日本政治研究所が何故と云う疑問が生じるが、日本政治研究所のバックには、今や日本だけに止まらず全世界に進出している日本総合警備保障、世界中に情報の組織網を持つ五菱グループさらにそれらを統括する山崎一族と榊直の存在が大きい。
戦後、国を憂える人材は、市井において大勢いた。
警察や国の中枢である官僚の中にも少なからずいたのだ。
だが、誤った歴史観を植え付けられ、戦前の日本を全て否定する風潮の中で何の力も無く
そんな彼らの希望が榊直だったのだ。
直の驚くべき予見と洞察力そして実行力によって、岐路に立ったとき、
そのような体験をした先輩方は、既に鬼籍に入っている人も多いが、その体験談は、山崎一族の異能の伝説と共に政界、財界、そして警察の一部には今も脈々と伝えられている。
さらにこの時間軸の世界では、平成七年(1995年)のオウム真理教による地下鉄サリン事件は発生していない。
表向きは前年の松本サリン事件をきっかけにした警察の捜査による成果と云うことになっているが、実態は榊直の日本政治研究所の警鐘と情報によるところが大きかったのだ。
榊直は、早い段階からオウム真理教の危険性を訴えていたが、それでも地下鉄サリン事件の前の松本サリン事件などの死者が出る痛ましい事件を食い止められなかった。
このことが、直にとっては慚愧の念に堪えなかった。
思い切った実力行使に出るべきではなかったかと後悔したのだ。
信頼出来る部下は、その当時何人もいた。
厳選した少人数で実行すれば出来ないことではなかった。
だが、時代は、もはや戦後の混乱期ではなく、直たちの活動も法に則った方法で行うようになって久しかった。
もし、万が一思いもかけない手違いがあれば、その後の活動は著しく制限され、日本総合警備保障会社や日本政治研究所の社会的信用も地に落ちるだろう。
それだけでは無く、榊直が、五菱の山崎一族であると云うことも一部では知られるようになっていた。
きっと、弥太郎や山崎本家にも迷惑をかけるだろう。
それに、もっと大きな国難にも対処することが出来なくなるだろう。
大事の前に小事を捨てざるを得ない状況だったのだ。
だが、直は、心情的に切り捨てることは到底できなかった。
直は、胸を切り裂かれるような気持だった。
そのようなとき、直は、いつも戦友だった鈴木勘四郎を思い出しては、俺はどうしたら良いのだと虚空に問うのだった。
直は、この頃から、戦地で鈴木勘四郎と30名の兵の敵討ちとはいえ、無抵抗の米兵や村人を殺した時の夢を見て
直の苦悩に拘わらず、オウム真理教の事件以来、榊直や日本政治研究所、さらに関係が深いと思われる日本総合警備保障に対する警察や政府の信頼は深まった。
つい最近まで、山崎一族の歴史を調査しようとする研究者に対しては、資金面の締め付けや有形無形の圧力が加えられ、その研究は封殺されて来たのだ。
だが、現在では、直や山崎一族の異能も一部では知られるようになり、マイナーではあるが戦前までの山崎一族の歴史を見直そうとする歴史家も現れるようになった。
長年の実績による信頼のため、政府も警察も、今回の第三国人によるテロの可能性についての榊直たちの忠告を過少評価することは全く無く、外国人による不穏な動きについては、背後関係まで含めて徹底的に捜査をしていた。
特に京都府警は、観光客が多いこともあるが、数か月前に直と弥一郎により、京都には弥一郎の実の娘とその実家があることが知らされていた。
疑惑のある第三国にも榊直たちのことは気付かれている可能性もあり、直が山崎一族であることが知れると、京都に実家がある明子とその家族にも危険が及ぶ可能性は十分考えられたのだ。
そのため、何かあれば、所轄の東山警察署と府警本部の捜査第一課が、特に合同で捜査に当たることにしていたのだ。
結局、今回の事件については第三国との繋がりは無いことが判明し、四人の暴漢たちには強盗強姦未遂で厳正な法の処罰が下された。
事件の捜査や裁判は迅速に行われ、弥一郎や明子の名が公表されることも無く結審したのだった。
----事件があった夜----
弥一郎は、丸の家で
三和子の母邦子は隠居し、離れに住んでいるが、80才を過ぎてもなお
頼まれては、芸妓や舞妓たちの芸事の稽古をつけており、女将の時と変わらず元気であった。
「それにしても明子は遅いわね・・・」
と、三和子が言いかけたのだが、その途端、目を見開いた三和子の様子を見て、弥一郎が後ろを振り向くと、そこには薄っすらと白く輝く人物が立っていた。
その人物は切羽詰まり、焦燥感に顔を引き
その直後、弥一郎と三和子の脳裏に、
『 明子が危ない! 急げ‼ 神社の境内だ! 』
と怒鳴るような声がはっきりと聞こえた。
弥一郎は、裸足で飛び出した。
まるで自分の体が自分ではないようだった。
まさしく飛ぶような勢いで、明子が襲われている現場に着くと、信じられないような動きで暴漢たちを殴っていた。
それは、怒りに我を忘れたようだった。
打撃は、急所が集中する正中線を正確に狙っていた。
だが、弥一郎は長年武術を鍛錬してきており、ぎりぎりで急所を外すことが出来た。
しかし、容赦ない打擲は止もうとはしなかった。
弥一郎は、暴漢を殴りながら、
⦅これ以上殴れば死んでしまいます!⦆
と、心で叫んだ。
すっと力が抜け、気が付けば暴漢は皆石畳の上に倒れていた。
白く輝く人物は、無事な明子を見て安堵したようだった。
そして弥一郎を見ると、済まなさそうな顔になり、頭を少し下げたように見えたが、そのまま消えてしまった。
弥一郎は、明子を抱え、警護官の一人が荷物を抱えて丸の家に戻った。
すると直後に別の十人近い警護官が、丸の家に駆けつけ、丸の家を取り囲むように警護を始めたのだった。
彼らは、日本総合警備保障の近畿本部長が弥一郎たちを警護するために、丸の家からさほど遠くない所に常に2~3名を待機させ、時折巡回をしていたのだが、先月の半ばから増員されていた。
直の指示により、万一に備えてのことだった。
神社から付き添ってきた警護官は、入れ替わるようにすぐに現場に戻った。
弥一郎と明子を迎えたのは、三和子だけでなく三和子の母邦子もいた。
離れにいた邦子にも『急げ!! 』という大きな声が聞こえ、何事かとやって来たと言うのだ。
丸の家にいる他の人間には、何も聞こえなかったようで起きて来た者はいなかった。
弥一郎は、自分や明子だけでなく、やはり三和子にも邦子お母さんにもあの方が見えて、声も聞こえるのだと理解した。
弥一郎は、全てを話し出したのだった。