第27話  竹田社長の苦悩~破綻

文字数 4,043文字

 ----- 平成15年、今から16年前 智之が62才の時 -----

 竹田製薬工業の経営破綻は、来るべくして来た。

 新薬の開発には、長い期間と多額の開発コストがかかる。
 最近まで、10~17年の期間と200~300億円の費用が必要だと言われていた。
 しかし、平成15年の現在では、審査基準の厳格化、安全基準の見直しなどによって、新薬の開発期間は13~20年と長期化し、費用も大手製薬会社では600億円が平均と言われるようになった。
 新薬によっては1,000億円とも言われている。

 だが、派閥抗争に明け暮れる竹田製薬工業は、研究開発部門にまで、その余波が及んでいた。
 これでは、全社一丸となった新薬の開発など出来るはずもない。

 同時進行で複数の新薬の開発を行うのだが、先行していたはずの目玉となるいくつかの新薬研究も、いつの間にか同業他社に追い抜かれていた。

 市場に出す新薬は毎年減少し、平成に入ってここ15年ほどは、開発費用の回収率が高い大型案件と言われる新薬を一品も出せずにいた。
 最後の大型案件の新薬の特許期間も5年前に切れ、他社のジェネリック医薬品に押されるようになった。
 既存の医薬品を少し改良したものを市場に出したりもしたが、売上は芳しくなかった。
 市場に出せた新薬は、需要が少なく、十分な費用の回収が見込めないものばかりだった。

 竹田製薬工業の資金繰りは、大型案件の新薬を出せなくなってから徐々に苦しくなり始め、銀行の融資を頼るようになっていった。
 銀行の融資を頼るようになった頃、当時高騰していた地価を抑えるため、大蔵省は、平成2年、不動産融資総量規制の通達を各金融機関に出した。
 地価は、止まるどころか下落が始まった。
 さらに、地価下落は留まることを知らなかった。

 銀行は、担保に出した地価の下落を受けて融資を渋るようになり、融資金の回収を図るべく、その一部の返還も求めてくるようになった。
 かつては無借金経営で、銀行が融資をさせてくださいと頭を下げてきていたのだが、180度状況は変わってしまった。

 大蔵省通達の翌年には、景況感の急激な悪化がデフレを呼び、バブルは終に崩壊した。
 あれから12年、デフレは未だに続き、景気は低迷したままだ。

 社債の発行、遊休資産や保有株、その他の有価証券の売却などで運転資金を捻出してきた。
 銀行の融資は、優良企業としての評価があったので、細々と継続してくれていたが、業績の悪化が続いたため、終に打ち切りを宣告された。
 今は、運転資金のやり繰りに奔走する毎日だ。
 しかし、それも限界を迎えた。

 全社一丸となっていたら、乗り切れていたかもしれないが、会社は、来るところまで来ていた。
 株価の下落も止まらない。
 危機を乗り越える力は、もはや無い。
 智之は、倒産を覚悟した。

 ところが、この危機を見澄ましたかのように、中国のある企業から資本提携の提案がもたらされた。
 もし、これに応ずれば暫くは延命できるだろう。
 だが、竹田製薬工業が積み上げた医薬品の研究成果は、収奪され、切り売りされて結局何も残らないだろう。
 応じなければ、明日にでも倒産し、全てを失うことになるかもしれない。

 智之は、進退(きわ)まった。
 その時、脳裏に閃いたのは、次の五菱グループ代表として待望され、次期経団連会長が確実視されている山崎弥太郎だった。


 弥太郎は、その頃、竹田製薬工業の惨状に胸を痛めていた。

 弥太郎は、小学2年生の頃、父の小弥太に連れられて竹田邸を訪れたことがあった。
 小弥太は、無私無欲な智之の祖父長衛(ながえ)を尊敬していた。
 晩年を迎えた長衛が、時々床に臥せるようになると、度々長衛を見舞った。

 その日は、休日であったので、息子の弥太郎を連れて竹田邸を訪れたのである。
 小弥太は、智之の父國之とも親交があり、小弥太と長衛、そして國之の大人三人が話している間、弥太郎は、その年高校生になった智之に誘われて、智之の部屋で遊んでもらったことがある。

 智之は、父親の國之に似て快活であり、祖父の長衛に似て薬の事となると、小学生の弥太郎相手にすら時間を忘れて、薬の説明をするのだった。
 弥太郎は、智之の話はよく理解できなかったが、薬の分子構造の模型の前で熱心に話をする智之に対して、時に頷きながら真剣な表情で聞いていた。

 弥太郎は、初代の名前を自分に付けた尊敬する父の期待と苦悩、そして悲願を理解していた。
 父の悲願を叶えることが、自分の使命であると、子供心にも思っていたのである。

 しかし、それは嫌ではないが〔 しなければいけない 〕ことであり、〔 したいこと 〕とは断言できない自分がいた。
 だが、目の前の年長の少年は、

 「 僕は大人になったら、お父さんの会社に入って、おじい様やお父さんのように、世の中の人々の役に立つ薬を作るんだ」

 と、希望に満ちて明るく自分の未来を語る智之を(まぶ)しくもどこか(うらや)ましく感じていた。

 (このお兄さんは、自分の好きな道に何の迷いも無く進もうとしている。そして、それが出来るんだ。このお兄さんなら、きっと世の中の人の役に立つ薬を作るに違いない。僕もこのお兄さんと同じような気持ちで道を進みたい・・・ )


 五菱重工社長室

 (このままでは、竹田製薬工業は倒産するに違いない。しかも、中国資本が接触してきていると聞くが本当だろう。こちらから智之さんに接触すべきか・・・そうだ、もはや時間が無い。すぐ行動に移るべきだ)

 そう弥太郎が決心した直後、秘書課長が、入室の許可を求めてきた。

 「竹田製薬工業の竹田社長から、山崎社長に面会のアポイントが取れないかとの電話がございました」

 弥太郎は、直ぐに会うと即答した。

 秘書課の社員は、日本屈指の大会社の社長の突然の予定変更に、その日の全ての予定をキャンセル出来るものはキャンセルし、あるいは代理が可能なものは、その手配に追われた。


 竹田製薬工業社長の竹田智之は、(わら)をもつかむ気持ちで、今や、その存在は日本最大と言え
る企業、五菱重工へ電話を入れた。

 あの弥太郎氏なら、何らかの事態を打開するヒントを得られるのではないか。
 少なくとも、たとえ倒産するにしても、これから竹田製薬工業がどう進むべきか、それを決心する何かのアドバイスが得られれば幸いだと思っていた。

 だが、今倒産してもおかしくない会社の社長になど誰が会ってくれようか。
 現に今まで交友があった会社の社長は、誰もが智之から距離を取るようになった。
 面会のアポイントを取ろうとしても、その日は既に予定が入っているとか、居留守を使ったりされた。
 中には、全く返答がない会社もあったのだ。

 それを怒る気持ちは、智之には無い。
 皆、自分の会社を守るのに必死なのだ。
 祖父や父から受け継いだこの会社を守ることが出来なかった自分が、情けなく憎かった。

 思い起こせば、こんな自分でも、会社を立て直そうと頑張ってくれた社員もたくさんいた。
 倒産すれば、その社員と家族、大勢の人が路頭に迷い苦しむことになるだろう。
 そう思うと、智之は身が張り裂けそうになるのだった。
 妻にも娘の家族にも苦労をかける。
 どう詫びたらいいのだ。

 もう何日も眠れない日が続いている。
 今、智之を突き動かしているのは、残される社員の生活が、何とかして成り立つようにしたいと云う一心だった。

 智之の父國之も祖父長衛も山崎家とは親交があった。
 だが、自分はまだ子供であったし、入社後は、毎日ただ会社の健全化と立て直しに奔走するだけで、他家との交流などの余裕は、全くなかった。
 いや、それは言い訳だ。
 余裕も無いほど、自分の能力が無かったのだ。

 父が亡くなって、山崎家との交流は途絶えた。
 もし、今でも交流を続けていたら、こうなる前に何らかのアドバイスを得られていただろう。
 ああ、今となっては何もかも手遅れで詮無(せんな)いことだ。

 弥太郎氏とは一度会っている。
 弥太郎氏は、まだ小学校の低学年だった。
 だが、自分の説明を真剣に聞いていたあの利発そうな少年の思慮深く確固たる意志を持っているような目に高校生の自分が気圧(けお)されたのだ。
 今では、弥太郎氏と自分では天と地の差がある。
 比較するのも烏滸(おこ)がましいほどだ。

 憔悴しきっていた智之は、半ば無意識に五菱重工に電話をした。
 代表番号に電話をし、会社名と氏名を名乗り、秘書課へ繋ぐよう頼むと、直ぐに秘書課へ切り替わり、秘書課長と名乗る男性が出た。
 山崎社長との面会のアポイントを取りたい旨を告げると、

 「承知いたしました。早速、社長へ伝えます。折り返しご連絡いたしますので少々お待ちください」

 との返答であった。
 智之は、受話器を置くと、

 「・・やれることは全てやったな・・・万策尽きたようだ・・・」

 と、(つぶや)いた。
 折り返し電話します、少々お待ちください、と言われて返答が無かったことは何度でもあったからだ。
 だが、ものの1分もしないうちに返答の電話があった。


 智之は、無我夢中で五菱重工へ向かった。
 会社には社用車を持つ余裕はすでに無く、タクシーから在来線、地下鉄を使っての移動だ。

 ・・どうやってタクシーに乗ったのか・・・

 ・・どうやって在来線に乗り換えたのか・・・

 ・・どうやって地下鉄に乗り換えたのか・・・

 ・・地下鉄の降車駅から歩いて来たはずなのに憶えていない・・・

 智之は、どのように相談したらいいのかの考えもまとまらないままだった。

 五菱重工に到着すると、直ぐに社長室へ通された。

 弥太郎は、社長室で智之を待っていた。
 智之が部屋に入ると、弥太郎は直ぐに歩み寄って、智之の手を両手で包むようにしっかり握った。

 「智之さん、お待ちしていました」

 智之は一瞬、弥太郎に重なった若い頃の父の姿を見た。
 父は、慈愛のこもった目で、

 (よく来たな・・辛かったろう・・・)

 智之も弥太郎の手を両手で握り、頭を下げたまま溢れる涙を止めることが出来なかった。
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