第39話  竹田製薬工業の再生~反撃

文字数 3,546文字

 水戸市での敵対派閥の密談から1か月後、医薬品と生産工場の若干古いが、十分に機密と言える情報のサンプルが出来上がり、仲介者を通して中国の企業へと流れた。
 その後、時を経ずして、敵対派閥の複数の秘密口座に、多額の金額が情報料として振り込まれた。
 これが、後に産業スパイ防止法初の大掛かりな摘発事件の重要な証拠となり、世間を騒がすこととなる。

 医薬品や生産工場の最新の機密を含めたデータの完成期限の3年後まで、後数ヶ月となり、敵対派閥の人間たちは最後の仕上げに追われていた。

 その状況の中で、竹田智之社長は、突然の宣言を行った。

 それは、敵対派閥に衝撃的な動揺を与え、敵対派閥は混乱のため、何ら効果的な手を打つことが出来なかった。

 智之は、山崎弥太郎との会談から五菱の新プロジェクトのメンバー及び武闘派との10日間連続の打ち合わせを行った。
 さらに、社内の生え抜きの社長派の取締役を中心とした幹部社員たちへの事前の説明と協力の取り付けを行った。
 併せて、株主総会対策として、智之が最大株主として50%、その他の竹田一族が17%を所有していたが、初代長衛の時代から智之に至るまで協力的な大株主にも極秘裡に賛同を求め根回しを行った。

 敵対派閥は、機密情報を流出させるための作業にかかりきりであったことと、社長は、資金繰りのために駆け回っているとの思い込みから、これらの動きに気付くことが出来なかった。

 なお、五菱の新プロジェクトは、3年前の産業スパイ防止法成立の時、その拠点を、より竹田製薬工業に近く、取引もある五菱商事の国内商事部門本部ビル内に移していた。
 さらに、産業スパイ防止法の成立が、連日のようにマスコミを(にぎ)あわせていた間隙を縫うように新プロジェクトは、五菱商事を中心とした五菱グループの100%出資による『新生薬品』として生まれ変わっていた。

 竹田智之社長の突然の宣言は、竹田製薬工業の解散、つまり廃業であった。

 もちろん、緊急に開かれた臨時取締役会で、派閥の領袖である営業担当取締役と生産担当取締役は強硬に反対した。
 反対理由は、
 「現在の会社は債務超過ではないか、ならば倒産するしかない」
 というものであったが、これは単に時間稼ぎであり、他の役員たちからは、何を狼狽して反対しているのだという目で見られただけであった。

 債務を全額返済できる目途があるから、社長は廃業と言ったのである。
 もちろん、優先的に支払うべき労働債権である退職金も同じだ。
 倒産でろくに退職金が出ないよりは、出た方が良いに決まっている。

 臨時取締役会は、敵対派閥の二人を除いて、圧倒的多数で会社の解散が決まった。
 株主総会についても、法定の最短期間である15日後と決定され、その日のうちに招集通知が発送された。
 15日後という期限を有効にするためには、その日のうちに招集通知を発送する必要があるからだ。

 株主総会の所管は、3年前に総務部から社長室の広報担当に移管されていた。
 それでも、文書の発送は、敵対派閥の領袖の一人が部長を務める総務部で行われるのだが、このときは人事担当主幹と広報担当主幹を兼務していた高田里帆を中心とした社長室が、秘密裡に準備を進め、発送まで行ったのだ。
 社長室は、昔から社長派で占められていたが、里帆の人事担当主幹就任後は、全員が生え抜きの社長派で完全に占められた。


 臨時株主総会の招集通知が発送された翌日、社内の不正摘発が大々的に行われた。
 警察の家宅捜索が、竹田製薬工業及び一部の敵対派閥メンバーの自宅で一斉に行われたのだ。
 警察の押収物件は、なぜか決められていたかのように数が少なく、捜索も素早く行われた。

 同時に敵対派閥の人間が、次々と逮捕された。
 容疑は、購入物品の水増しや医薬品の横流しと云った横領から入札予定価格を業者に漏らすなどの背任や営業妨害など様々であったが、いずれも取り調べの初日に反論の余地がない証拠を示され、容疑者は、全員が自らの罪を認めざるを得なかった。

 敵対派閥は、短期間に組織としての機能不全に陥っていたが、不思議なことに、機密情報の流失に関わった者たちには、何ら司直の手が伸びなかった。
 また、容疑者として逮捕された全員が、すぐに自供したことも何故か公表されなかった。

 四派閥の領袖を初めとした機密情報の流出に関わった者たちは、一か八かの勝負に出ることにした。
 臨時株主総会の前に記者会見を開き、一連の出来事は、五菱グループの竹田製薬工業乗っ取りの陰謀であると発表することにしたのだ。
 彼らの主張は、五菱グループが作った『新生薬品』というダミーの会社に会社の意に沿わない善良な社員を捏造した容疑に問い、彼らを退職に追い込み、残った従順な社員と一緒に会社を売り渡すと云うものだった。


 竹田社長の提案は、五菱グループの完全子会社である『新生薬品』という新興会社に竹田製薬工業の資産を全て買い上げてもらうと云うことだった。
 本社ビルを始め、生産工場、医薬品や機械設備に関する機密情報を含む全ての知的財産、さらに将来的に生じる債権まで含めて買い上げると云うものだった。

 竹田製薬工業は、それを資金として社員の退職金など全ての債務の支払いに充て、株主の損失補填としては、臨時株主総会時点での株価の一割増を支払うというものだった。
 竹田製薬工業は、社員を除いて『新生薬品』に買い取られるということだ。

 しかし、それは敵対派閥にとっては、新生薬品との契約が成立した時点で、会社への立ち入りが大幅に制限され、自分たち抗争派閥の人間は追い出され、会社内へ出入りできるのは社長派だけになってしまうのは容易に推測できることだ。
 それでは困る。
 後2ヶ月、いや1ヶ月あれば、何とか仲介者に渡すデータが出来上がる。
 だが、今は全く動けない。
 
 さほど重要とは思われない情報まで、アクセスにロックがかかっているのだ。
 PCの起動まで制限がかかってしまっている。
 どのように抗議しても、会社は、
 「警察の捜査のため制限せざるを得ない。期間は分からない」
 の一点張りだ。
 
 敵対派閥の領袖たちは、警察に制限の解除についての質問と要請を行ったが、
 「捜査中であるため、一切の質問に答えられない。社長印が押印された正式文書であっても同様だ。そもそも、その問いなり要請は、社長の指示によるものか」
 との回答しか得られなかった。

 しかし、彼らは警察に逮捕された者たちが、自供したというニュースが一切流れないことから、たとえ状況証拠はあっても、決め手となる直接証拠は無いのだと確信していた。
 彼らが長年に亘って会社の目をごまかしてきた手口に、絶対の自信を持っていたのだ。
 さらに、機密情報の流出に関わっている者たちが、一人も逮捕されていない事実が、彼らの自信の裏付けとなった。


 臨時株主総会の3日前、都内のホテルで敵対派閥の領袖とそのメンバーによる記者会見が開かれた。

 領袖たちが、滔滔(とうとう)と述べる主張に、参加した記者たちは、誰もが共感と興奮を覚えた。
 記者の誰もが、明日の一面はこれだと確信し、PCに内容を打ち込みつつ本社へ打電していた。

 領袖たちの主張が一段落し、記者たちとの熱を帯びた質疑応答がなされている時、突然背広を着た一団が会場に入って来た。
 入って来た背広の一人が、領袖たちに向かって逮捕状らしきものを示して宣言していたが、領袖たちや記者たちの怒号でかき消された。

 「・ 何だ?! 止めろ! 皆さん! これが奴らのやり口だ! テレビで流してくれ!!・・・」

 「おい、一体何だ! 権力の横暴か! 答えろ!!」

 騒然となった会見会場は、混乱の坩堝(るつぼ)と化した。

 同時刻、同じような光景が会社や敵対派閥メンバーの自宅で起きていた。
 一斉摘発が実行されたのだ。
 併せて、家宅捜索も行われたが、押収された物件は極端に少なく、まるで現場検証のように写真が撮られていた。


 その日の夕刻、茶の間で夕食を摂っていた人々は、テレビから流れる衝撃的なニュースにくぎ付けとなった。
 
 2社のテレビ局が、
 【五菱の陰謀か 老舗製薬会社廃業の裏側】
 【五菱の横暴 疑われる権力との癒着】
 と題して、記者会見の混乱の様子を映しながら、ニュースキャスターが、似たような内容で口角泡を飛ばしながらコメントをしていた。

 翌日の朝刊もテレビ局と同系列の2社が、経済面のトップで、
 【竹田製薬工業解散か】
 の見出しに続いて、解散については、様々な疑惑があることを報じた。

 だが、これらのテレビ局と新聞社は、翌日には国民の失笑を買うことになる。

 他のテレビ局、新聞社は、警察と竹田製薬工業の正式の発表を待つことにし、静観していた。
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