第93話  運命の女性~デート 緊張

文字数 2,578文字

 暫くの間、拓馬と明子は、J-POPを何曲か二人で連弾したのだが、途中で希美も部屋に入って来て、代わる代わる三人でピアノを弾いた。
 だが、その後が大変だった。
 希美が、どうしてそんなに上手いのか?、どこでピアノを習ったのか?、先生は?、ひょっとして音大か音楽学校に通っていたのではないか?、どうして・・・?、どうして・・・?、と拓馬に質問攻めをしたのだ。

 明子は、何も質問しなかったのだが、希美の質問は留まることを知らず、拓馬は閉口した。
 拓馬は、ピアノは我流で覚えた、アパートの大家の了解を得て、部屋に防音改修をして小さなピアノで時々練習している、と答えたのだが、希美は、それにしても上手すぎる、あなたは天才だと興奮し、まだ、何か言いたそうだった。

 拓馬は、少しやり過ぎたなと後悔したのだが、弥一郎が、そのくらいにしなさい、山科さんが困っているだろうと、助け船を出してくれたので、希美もようやく質問を止めたのだった。


 拓馬の言ったことは、概ねそのとおりなのだが、真実とも言えなかった。
 拓馬の住むアパートは、2階建てで、1階に6室、2階に7室、計13室あった。
 1階のうちの1室は、2室分の広さがあり、大家が住んでいる。
 一年前まで満室だったが、二か月前に拓馬と栞以外は、全員が退去した。

 75才になる高齢の大家が、水戸市に住む長男の家族と同居することになり、手放すことにしたからだった。
 立地条件も良いため、複数の不動産デベロッパーから購入の打診があり、どこに売却するかを検討しているとのことだった。
 だが、賃借人が大方退去しているにも関わらず、まだ、売却先は決定していなかった。

 大家は、いざとなると決断が出来ずにいた。
 ここは、大家が産まれ育った土地であり、家があったのだ。
 成人して、結婚し、子を育て、その子が独立し、夫婦だけになると、家をアパートに建て替え、1階の一部を夫婦の住まいにし、他の室を貸し出したのだった。
 9年ほど前のことだった。
 しかし、3年前、大家の妻が亡くなり、高齢となっていく一人暮らしの父親を心配した長男夫婦が同居を申し出たのだった。

 拓馬と栞は、相談の上、全室を借り上げたいと大家に申し出た。
 ここは、確かに立地も良く今後の活動を考えると拠点として確保しておきたいと考えたからだ。
 建物の前の駐車スペースも、横に12台、縦に2台、計24台が余裕で駐車出来るのも魅力的だった。
 条件は、一か月の賃料150万円
 その代わり、2階を拓馬たちの住まいにしたいので7室を一つに改修したいこと。
 そのうち会社を設立するので、会社への又貸しを認めて欲しいこと。
 会社は、1階に置きたいので、1階もそれに合わせて改修していきたいこと。
 改修費用とその後の維持メンテナンスは、全て拓馬が負担すること。
 期間は、20年とすること。
 維持メンテナンスは、誠意をもって行い、期間終了後、いつでも他者が入居できる状態に原状復帰して返還すること。
 を提示した。
 期間を20年としたのは、その頃にどうしても転居の必要が生じるだろうと云う予感が、拓馬、栞ともにしたからだった。

 これは、大家にとってもこの上ない好条件であった。
 今までも月120万円の賃貸収入があったのだが、税金や火災保険料は当然としても、建物の維持メンテナンスは馬鹿にならない金額になることもあったからだ。
 月30万円の増収の上、維持メンテナンスの必要は無く、20年間毎月150万円の収入があれば、長男夫婦に生活の負担をかけることも無いし、将来高額の医療費が必要になった場合や、もし、施設に入ることになっても十分賄えるだろう。
 それに5年もすれば、家賃収入の累計はデベロッパーが提示した金額を超過する。
 デベロッパーは、高層マンションを建築し、一部を大家の所有として賃貸すれば、今より多くの収入を得ることが出来るとも言ったが、大家としては、思い出の現在のアパートが残ることの方が大事だった。
 息子にも遺産として丸々残すことが出来る。
 20年後には死んでいるだろうから、その時は息子が好きにすればいい。

 それに大家夫婦は、当初から礼儀正しい拓馬に好意を持ち、拓馬の天涯孤独の境遇にも同情していた。
 拓馬に栞という遠縁の娘がいたことや、課長に昇進したことを知った時は、心から喜んでくれたのだった。
 その拓馬が、なんと社長になったと言うではないか、大家は拓馬の申し出を喜んで受けたのだった。

 大家は、亡妻の遺影と共にアパートでの最後の正月を過ごし、月末には長男夫婦の元へ転居する予定だ。
 その後、アパートを大改修することになっている。
 もっとも、栞の空間拡張能力は、もはや空間創造というレベルに達しており、一歩部屋に入れば、すでに大改修どころではないものになっている。


 昼になり、四人は食事をしたのだが、この時、希美が三和子との馴れ初めや、明子も含めた現在に至る経過を話したのだった。
 希美の話には嘘が全くなかったので、拓馬は安心したのだった。
 拓馬も自分の生い立ちをあらまし話し、時には明子の生い立ちの話にもなったので、時間はあっと言う間に過ぎた。
 弥一郎は、終始自ら話そうとはせず、もっぱら拓馬たちの話に頷きながら聞き役に徹していた。

 気が付くと、夕方が近づいていた。
 拓馬は、弥一郎に責任を以って自宅まで送るので、明子さんがよければ、一度自分のアパートに連れて行きたいと申し出た。
 希美は、ちょっと驚いていたが、意外にも弥一郎は、
 「それはいい。ぜひ連れていってもらいなさい」
 と、明子に言い、明子も嬉しそうに、
 「お願いします」
 と、言ったのだった。
 希美は頷いていて特に反対する気持ちはないようだった。

 拓馬は、明子に秘密を全て話そうと決めていた。
 だから思い切って申し出てみたのだが、あっさりと弥一郎と明子の承諾がとれたので少し意外だったが、これから明子に秘密を打ち明けるのだと思うと、緊張が高まってしまうのだった。

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 希美と三和子との馴れ初めや、明子を含めた現在に至る経過も近いうちに書きたいと思っています。
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