第43-2話  竹田製薬工業の再生~不正の摘発 逆スパイ

文字数 3,922文字

 武闘派の反撃開始の狼煙(のろし)でもあった智之の解散宣言の5年前、里帆が社長室で人事担当主幹に就いた頃、蛭川の側近の一人として、蛭川派で活動していた高山も、第3分野のチームリーダーの一人に昇進した。
 これは、総務部で持っていた人事権を社長室に移すために、智之らが蛭川に幾つか譲歩した内容の一つだったのだ。

 蛭川にとって、高山は使い勝手の良いメンバーであり、(こま)であった。
 蛭川派は、事務畑には強かったが、研究開発部門に抱える人材は少なかった。
 その中で高山は、優秀な研究員であるうえ、情報機器の取り扱いにも精通していたのだ。
 当時、高山は主任であったのだが、蛭川は何としても高山をチームリーダーにして、さらに高度な医薬品開発の機密を手に入れたかったのだ。

 この時の人事で、蛭川は智之らと交渉を行い、高山の他にも蛭川派のメンバーをかなりの人数、一度に昇進させることが出来たため、人事権が社長室に移ることに抵抗するのを止めたのだった。

 高山は、チームリーダーになると直ぐに機密を盗み出し、蛭川に提供した。
 蛭川は、高山に対して高額な報酬を支払ったのだが、これら一連の不正は全て高田裕次らが知るところであった。

 高山の口座に報酬が振り込まれて数日後、高山は第3分野統括の部屋に呼び出された。
 そこには、第3分野統括の桑野と第1分野統括の近藤、それに第1分野のチームリーダーの一人となった高田裕次とその妻で社長室人事担当主幹の里帆がいた。

 桑野
 「待っていたよ。座りたまえ」
 高山「はい・・・」

 高田裕次の手によって、高山の前にタブレットが置かれた。

 桑野
 「これを見て欲しい。この映像は、君と蛭川部長で間違いないね。君たちの声も録音している。これだ」

 ・・蛭川と高山の会話が流れる・・・  

 桑野
 「さらに、これらの写真やデータにも覚えがあるだろう」
 高山「はい・・・」
 桑野
 「この預金通帳に振り込まれた多額の金は、蛭川派からの入金だね」
 高山「・・・・・」
 桑野
 「5年前から今までにも何度か、蛭川派から、かなりの金額が振り込まれているね」
 高山「・・・・・」

 高山は、もはや顔面蒼白で(うつむ)いたままだ。

 桑野
 「それが何のための金か、それも把握しているよ」
 高山「・・・・・」

 近藤
 「君が、それを何に使っているのかも調べている」
 高山「えっ・・・・」

 高山は、その言葉に驚いて顔を上げた。

 近藤
 「お母さんの病気は難病だ。毎月多額の治療費がかかっているのだね。発病は、君が結婚して直ぐだったね。君の奥さんは、今二人目の子どもを妊娠しているんだったね」

 長い沈黙が流れた。

 高田
 「元々中立派だったあなたが、5年前、急に蛭川派に所属したのは、蛭川派がそれまで最も熱心に勧誘していたことと、お母さんの治療のために、金が必要だったのではないですか。
 あなたが入社した時も、お父さんが亡くなられて、お父さんの借金返済に苦労したと聞いています。
 お母さんが発病した時、預金も無い状況だったのではありませんか。
 蛭川派は、それを知ってあなたを熱心に勧誘したのではないですか」

 高山は、もう観念したようだった。

 高山
 「・・・そうです。・・やっとの思いで父の借金を返し、それまで結婚を待ってくれた妻とも結婚して、これからという時でした。
 私は、蛭川部長の誘いを受けてしまいました。
 蛭川派に入った時、まとまった金を渡されました。
 私は、それも受け取ってしまいました。後は、もう蛭川部長の言いなりです」
 高田
 「抜けようとは思わなかったのですか」   
 高山
 「・・・一度不正に手を染めてしまっては、もう抜けられません。それに、そのうち次第に慣れるようになってしまいました・・・」
 里帆
 「怖くはなかったのですか」
 高山
 「・・いつかバレるのではないかと、いつも不安でした。その時が今日だったのですね・・」
 里帆
 「バレた時の奥さんや子どもさん、それにお母さんのことは考えなかったのですか」
 高山
 「・・バレたらと思うと、とても不安でした・・破滅ですから・・」

 近藤
 「破滅しない方法は、一つだけある」
 高山
 「えっ??・・どんな?・・・」
 近藤「俺たちの仲間になれ」
 高山「えっ??・・」
 近藤
 「俺たちの仲間になって抗争派閥の情報を教えてくれ」
 高山
 「それは・・逆・スパイ・・ですか?・・」
 近藤
 「そうだ。このままでは君は全てを失うぞ。
 ある方の尽力で、後2年すれば産業スパイ防止法が成立する。
 もう、それは既定路線になっているんだ。政府の準備も進んでいる。
 このままでは、今までの不正だけではなく、産業スパイとして厳罰に処せられるぞ。
 だが、俺たちに協力すれば、司法取引が適用されて刑を免れることが出来るはずだ。
 俺たちも警察に上申する。
 それだけではない。竹田社長は、長い間、国の認定を受けていない難病を認定するよう政府に働きかけておられる。
 その甲斐あって、来月の厚生労働省の難病認定委員会で幾つかの難病が認定される。
 その中に君のお母さんの難病も含まれているんだ。
 難病認定を受ければ国の補助金が出るから、高額な治療費の問題は無くなる。
 それでも君は蛭川派に留まるのか?」
 
 桑野
 「実は、お母さんの難病に有効な新薬の開発に取り組むことになった。
 君が望むなら、そのプロジェクトに入ってほしいと思っている。
 そのためにも、今、君は覚悟を決める必要があるのだよ。
 高山君、どうするんだ?」
 高山
 「・統括、・・私を・・私を許して下さるのですか?・・・」
 桑野
 「仲間だったら許すしかない。だが、君がしたことは、忘れていいことではない。それは分かっているな」
 高山
 「・統括、・・私がしたことは許されることではありません。しかし、お願いします。私を仲間に入れてください。・・少しでも許されるよう生まれ変わりたい・・皆さん、どうかお願いします」

 こうやって、最も優秀な逆スパイが一人誕生した。

 高山は、大型案件の新薬開発から外され、回収率が低く、あまり儲からない特殊新薬の開発に回されたため、その後は、医薬品の機密流出にあまり関わらなくても済んだ。
 だが、高山は優秀であったので、蛭川は、彼に多くの自派の仕事を任せて重宝したのだった。
 
 高山は、雑用係から蛭川の代理まで広くこなすようになり、自然と重要な情報にも触れることとなり、武闘派に有益な情報を多くもたらした。
 高山のもたらした情報は、警察の捜査と立件にも大いに役に立ち、司法取引が適用され、彼のいくつもの不正は、刑に問われることが無かった。

 だが、新生竹田製薬工業に採用されることも無かった。
 その代わり、智之と森山の尽力で、森山の郷里である九州の中小の製薬会社に就職することが出来た。

 表向きの理由は、温暖な地で母の療養を行うためということであったが、九州の気候が母親に合っていたのか、次第に病状が好転していった。
 それに、高山が竹田製薬工業で開発に携わった母親の病気に有効な新薬が発売され、母親は日常生活が無理なく出来るまでに快復したのだった。
 このため、高山一家は九州で幸福な日々を送ることが出来た。

 高山は、まるで人が変わったように新薬の研究開発に打ち込んだ。
 新しい会社に入った頃は、竹田製薬工業の処分に感謝していたからというだけではなく、人生をやり直すには、もうここしかないのだという強迫観念が彼を突き動かしていた。

 新しい会社は、竹田製薬工業に比べると全てが小振りであった。
 開発に携わる社員も少なく、全員が互いに名前を呼び合う関係であり、情報交換しながら開発を進めていくのだ。
 社内は和気藹々(わきあいあい)として、昔の竹田製薬工業は、きっと、こうだったのだろうと思わせるものだった。
 設備や機器も一世代前のものが多く、最新機器は数えるほどだ。

 それでも、派閥抗争など無縁な職場で、社員は皆が日夜研究に励み、新薬の開発に進展があったり、開発が成功した時は、互いに心から喜びを分かち合うのだ。
 全員が爆発したように喜び合う姿を初めて見た時、高山は、これこそが自分が望んでいたものだと気づき、喜びの輪の中で溢れてくる涙を止めることが出来なかった。

 彼は、この会社で一生を新薬の開発に捧げた。

 住まいの近くには筑後川が流れていた。
 彼は、休みの日は堤防の上をよく散歩した。
 最初の頃は、母親の体調が良いとき、母親と散歩をした。
 子どもや妻ともよく散歩をした。

 春秋を重ねて、高山も高齢となった。
 母親も他界し、子どもは独立した。
 菜の花が、筑後川の堤防一面に咲いた頃、最後の散歩を妻とたっぷり楽しんだ後、対岸にある大学病院に入院した。

 病床で、高山は、これまでの来し方を思うのだった。
 過去を振り返る時の出発点は、いつも同じ日からだった。
 九州の会社へ再就職が決まり、尽力してくれた智之社長と森山副社長に礼を述べ、竹田製薬工業から去った日だ。

 自分の本当の人生は、あの日から始まった気がする。
 それまでのことは、今では思い出すことさえ出来ない。
 思い出そうとすれば、後悔と葛藤に(さいな)まれていた自分が(よみがえ)ってくるのだ。
 この年齢になっても、この苦い思いは消えてくれないんだなと、高山は、病床で一人苦笑するのだった。

 それから、妻や子ども、母親との幸せな九州の生活、会社の仲間たちと新薬の開発に取り組む日々、開発が成功した時の喜び、少しは世の中の役に立ったかもしれないと思う少しの自負、それらの喜びの思い出にしばし(ひた)るのだった。

 家族に最期の別れをした彼の顔は、人生を生き抜いた人間の持つ穏やかな表情に満たされていた。
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