第66話  闇の守護者~直の同志 戦友

文字数 5,303文字

 直にとって、山崎家の人間は、運命共同体であり、生まれながらの同志である。
 そして、今、戦地で共に命を懸けて戦った戦友たちが、新たな同志として加わろうとしていた。

 ---- 再び、兵隊カフェにて ----

 「綿見少佐殿、なぜ隠すのです? あなたが、最後に乗った潜水艦で何をしたのか知っています。お会いしたかったのは私のほうです」

 「知っていると云うのは、本当ですか?!・・・」

 「はい」

 そこへ兵隊カフェの店主であり、直の元部下である山田吾作が、弟の忠夫と共に慌てて店に戻って来た。

 「隊長! お久しぶりです!」

 「おう、山田、元気か、約束通りやって来たぞ」

 「隊長・・待っていました・・うううっ・・・」

 山田吾作は、客の前をはばからず、泣き出してしまったのだ。
 だが、すぐに直と三人の客の間に流れる緊張感に気付いた。
 殺気などではなく、尊敬し合う人間同士が、会話を始めようとしている場面と思われるものだったし、三人の客のうちの一人は、忠夫の戦友で常連でもあった。
 山田は、とっさに、

 「これより店を閉めます。わたくしと弟は外に出ますので、どうぞ、お話を続けてください」

 と言ったのだが、直は、意外にも、

 「いや、君たちも居てくれ、これからの話は、俺と綿見少佐殿たちだけでなく、ここにいる皆に聞いてほしいのだ。いかがでしょう、少佐殿、よろしいでしょうか・・」

 綿見は、一瞬驚いた顔をしたが、森崎と笠原を見ると、二人とも異存は無いと頷き返したのだった。

 直は、山崎家の秘事と指図書については、話すことは出来ないが、それ以外は、出来るだけ話そうと決めた。
 ここにいる人間は、これから、長い年月、使命を果たす仲間となるのだ。
 それも表には出ず、陰で支える仕事なのだ。
 彼らは、なおさら知る必要がある、と直は考えたのだった。

 「綿見少佐殿、あなたたちの乗った潜水艦イ407は、テニアン島沖で、東京に原爆を投下するために飛び立ったB29をたった一発の砲撃で撃墜し、東京と陛下をお守りしたのですね。なぜ、それを秘密になさるのか、おおよその察しは付きますが・・・」

 これを聞いて、山田兄弟は、目を見開いたまま呆然として、一言も発することが出来なかった。
 直の言葉を受けて、綿見は、

 「・・そのとおりです。しかし、全てが、今でも夢であったのではないかと思うことがあります。
 呉海軍(くれかいぐん)工廠(こうしょう)を出港する時でさえ、瀬戸内海は敵の潜水艦で埋め尽くされ、決死の思いで脱出したのです。
 太平洋に出てからも、敵の潜水艦や駆逐艦に追われ続けました。
 テニアン島まで辿(たど)り着けたことが信じられません。
 奇跡でした。
 テニアン島沖に浮上したのは、東京を目指すB29が、発進する時刻ぎりぎりでした。
 砲撃手は、幾つもの海戦を経験したベテランでしたが、顔面蒼白でした。
 B29に向かったはずの砲弾が、いつまで経っても機体に届かないのです。
 まるで、時間が止まったのではないかと思うほどでした。
 B29に砲弾が命中し、黒煙を上げながら墜落するのが、まるでスローモーションのようでした。
 気が抜けるほどに安堵し、叫びたくなるほど歓喜しているのに、声も出ず、体は膝から崩れ落ちそうでした。
 白旗を上げ、全艦完全機動停止するよう命令するまで、自分が思った以上に、時間がかかったのかもしれません。
 命令の直後、機関部に敵魚雷の攻撃を受けてしまいました。
 幸い、航行が不自由になっただけで、乗員に被害はありませんでした。
 イ407の乗員は、一人も欠けませんでした。
 テニアン島への航行中、もし、一人でも欠ける事態になっていたら、あの作戦は、成功しなかったかもしれません。
 全てが、奇跡の積み重ねですが、ここにいる二人を初め、乗員全員の思いと力が、奇跡を呼び寄せたのだと思います」
 「・・それから、このことを私たちが決して口外しないのは、米軍が私たちを釈放する条件であったこともありますが、一番の理由は、後ろめたいからであります。
 潜水艦乗りは、イ407に乗った者以外は、全員が戦死しました。
 私たちだけが生き残り、生を享受しているのです。
 最後に残っていた者たちも、私たちを逃すために、損傷した潜水艦で囮になって死んでいったのです。
 私たちの作戦は、仲間の犠牲の上で成功したのです。
 本当は、あの作戦の功績は、死んでいった戦友たちのものなのです・・・」

 綿見少佐の述懐を聞いた直たちは、誰もが目に涙を浮かべていた。
 それからもしばらくは、イ407の話が続いた。

 イ407は、ドイツの最新鋭の潜水艦であった。
 昭和17年、ドイツから日本へ譲渡されることになり、日本へ向かうイ407が、シンガポールに寄港したことがあった。
 その時、大勢の日本兵が、見物に押し寄せたのだが、直もその中の一人であった。
 だが、直には物見遊山の気持ちは全く無かった。
 ただ、一心に、

 (・・頼む、どうか日本を守ってくれ、東京を原爆から守ってくれ・・・)

 と、祈りを込めたのだった。


 綿見の話を聞きながら、直は、

 『 東京を原爆から守るのは、潜水艦イ407である。この潜水艦の弱点を克服せよ。』

 と記された指図書の内容を、一言一句明確に思い出していた。
 その時、綿見が思い出したように、

 「そういえば、大事なことを思い出しました・・いや、不思議なことと言いますか・・・私たちが乗った艦が、無事テニアン島沖まで行けた大きな理由の一つにエンジンの消音装置がありました。
 その消音装置は、最後に艦が、魚雷の攻撃を受けた時、修理や復元は、全く不可能なほどに損傷を受けてしまいましたが・・
 戦後、アメリカは、あの消音装置の設計図を、それこそ血眼(ちまなこ)になって探したと聞いています。
 我々にも、しつこいほど尋問がされたのですが、誰も詳しいことは知りませんでした。
 もちろん、私も知らぬ存ぜぬを通しました。
 ただ、私は、最後の出撃まで呉海軍工廠にいたのです。
 その間、確か昭和15年頃から、何度も五菱財閥の総帥ではないかと思われる人物を、工廠でお見掛けしました。
 当時、五菱造船や五菱重工の方々が、戦艦大和の建造に多く携わっておられたので、その関係だろうと思っておりました。
 ところが、私がお見掛けしたのは、いつも潜水艦の格納棟だったのです。
 そして、イ407で出撃する時、エンジン部分に取り付けられた大型の消音装置に驚きました。
 イ407は、ドイツから譲渡されたのですが、日本の潜水艦より、一回り大きかったのです。
 艦速も従来のものより早く、砲撃性能も優れていました。
 しかし、最大の弱点が、エンジン音でした。
 これは、潜水艦としては、致命的であり、敵に発見されやすくなるのです。
 ドイツの消音装置は、高性能ではありましたが、それでも、日本の潜水艦に比べて音が大きく、とうとう実戦では、使用されませんでした。
 ですから、たった一隻無傷で残ったイ407での出撃命令を受けた時は、作戦の成功は、ほぼ絶望的であり、生きて帰ることは無いと、私は、覚悟したのです。
 ところが、問題の消音装置が、極秘裡に取り換えられていたのです。
 新しい消音装置は、驚くべき性能でした。
 イ407は、日本の潜水艦と規格が違います。
 戦時中の物資不足の中で、規格を外れ、忘れ去られたような一潜水艦のために、新しい消音装置をわざわざ開発したとは思えませんでしたが、目の前の現実は、そうではないことを示していました。
 私は、とっさに山崎総帥の顔が浮かんだのですが、総帥が、潜水艦の格納棟に顔を出されるようになったのは、昭和15年、対して、イ407が日本に来たのは、昭和17年です。
 2年も前から準備をしていたというのは、普通に考えれば、信じられないことです。
 さらに言えば、終戦間際にイ407が、出撃をすることが分かっていたのではないかとさえ思えます。
 しかし、ここまで考えると、私自身、頭が、どうにかなったのではないかと思い、思考を止めてしまうのです。
 榊直というお名前を聞いて、もしや、あの山崎家の直系の血筋である方であれば、何かご存知ではないかと、不躾とは思いながら、声を掛けずにはいられなかったのです・・・」

 「ああ、あれは、あなたのお見込み通りですよ・・」

 直は、あえて否定することを止めた。

 (やはり、この人は、尋常ではない。指図書で『 綿見真市とその同志を得よ 』と名前まで明記して、お指図があったのも今なら分かる・・真実を話すことは出来ないが、小弥太さんや山崎家の人間が、実際に動いたのは事実であるから、それに基づいた話にしよう・・)

 「 綿見少佐殿、私は、確かに山崎本家の血を継ぐ者です。
 少佐殿は、私の生まれである山崎家の平安末期から現代までの代々に亘っての事跡について、幾つかは、お聞きになったことがあると思います。
 山崎家の人間には、異能とも言える才を持った者が、多く生まれてきました。
 また、山崎家の人間は、その才を帝と日本国を守るという一点においてのみ用いてきました。
 そのため神仏の加護を得たのか、我々の才は、代々受け継がれてきたのです。
 また、山崎一族は、仲たがいや分裂といった紛争は、一度もありませんでした。
 我々は、昔から必要の都度、一族の主な者が集まり、意思の疎通を図り、一族のその後の行動を決めてきたのです。
 この度の敗戦の10年前、昭和10年にも山崎本家と五菱の山崎家との間で、時局の見通しについて、所信を交換する場が持たれました。
 その際は、世界に展開する五菱商事の情報に基づき、様々な検討がなされたのです。
 詳しいことは省きますが、その中の一つに、日米開戦と圧倒的な物量の差による日本の敗戦がありました。
 敗戦の結果、アメリカの政策によって、財閥の解体と日本経済の弱体化が進められることは、容易に予想される事でした。
 その他にも、敗戦によって生じる天皇制や国体の護持など、予想される様々な問題が、検討されたのです。
 その中には、原爆の開発も議題となり、アメリカによる日本への原爆投下の可能性があると結論づけられました。
 五菱は、総帥の弥之助が日本で財閥解体に備え、後継者の小弥太がアメリカで対米工作と情報収集にあたりました。
 もちろん、原爆関連にも、最大限の情報収集を行うことになりました。
 私は、5年後の昭和15年に、この時の検討内容を知ることが出来ました。
 丁度この年、弥之助が亡くなり、小弥太が帰国しました。
 その頃、イ407が、2年後にドイツから日本に譲渡される情報を得ることが出来たのです。
 少佐殿の仰る通り、イ407は、艦速、砲撃性能に優れていましたが、エンジンの消音装置に重大な弱点がありました。
 イ407は、譲渡が決定された時から、お蔵入りが決まっていたのです。
 原爆の開発計画も、ドイツとアメリカの競争になっていました。
 原爆製造は、必ず成功する、問題は、成功の時期だけだと思われました。
 そして、小弥太は、もし、原爆を搭載した爆撃機を撃墜するのは、イ407ではないかと考えたのです。
 いや、イ407しか残っていない可能性が高い、と考えたのです。
 小弥太は、元々技術者志望でした。
 不穏な時局でなければ、五菱重工に就職も決まっていたのです。
 小弥太は、秘密裡にイ407のエンジン消音装置の開発に取り組みました。
 開発に成功し、消音装置を取り換えた直後、イ407は出撃しました。
 消音装置の開発は、小弥太の勘から始まったのですが、結果的には成功と言えるものでした。
 マンハッタン計画のメンバーであるウイリアム パーシーが捕虜になったことも、その供述内容の情報も、極秘情報であるイ407の出撃と成果も、軍の関係者から小弥太には知らされました。
 私は、いきさつを小弥太から教えられました。
 少佐殿は、事情を知らずに真実を見ておられたのですね。恐れ入りました。
 また、小弥太のことを黙っていてくださり、心よりお礼申し上げます」

 直は、深々と、綿見に頭を下げた。

 「どうか、頭を上げてください。お礼を申し上げなくてはいけないのは、私の方です。小弥太総帥と山崎家のお陰で、あの作戦は成功したのです。それに、部下の中に、一人の戦死者も出さずに済んだのも、何度お礼を申し上げても足りません。このとおりです。本当にありがとうございます」

 綿見だけでなく、森崎と笠原も立ち上がり、何度も直に頭を下げたのであった。

 この後、綿見たちが、イ407での戦いを話すと、山田吾作が、戦時中の直の神がかりとも言うべき作戦や戦いぶりについて、身振り手振りで話したりと時間は、あっという間に過ぎていった。

 最後に、直が、今後の日本についての見通しや、これからの計画について話し終えたのは、翌日の明け方であった。
 説明を終えた後、直は、改めて綿見、森崎、笠原に協力を願ったところ、彼らは一も二も無く、直の下で、一緒に働かせてほしいと申し出たのだった。

 新たな同志を得て、直の計画の具体化は、拍車が、かかることとなった。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み