第84話  遥~離婚

文字数 2,465文字

 東京パレス・ヘストンホテルで、10年ぶり以上で拓馬を見かけた遥は、疲れた足取りで帰宅した。
 
 家に入ると夫の康司は、リビングのソファーでだらしなく寝ていた。
 また、ビールでも飲んだのだろう、ビールの空き缶がころがっていた。
 小学生と幼稚園児の二人の子どもたちは、ゲーム機を取り合って喧嘩をしていた。
 遥が帰ってもお帰りなさいの挨拶さえしようとしない。
 リビングのローテーブルにも、ダイニングのテーブルにも食器やトレーが乱雑に散らかったままだった。
 
 この時、遥の中で何かが切れた。
 
「いい加減にしてよ‼ 何なのこれは‼」
 
 大声を上げていた。

 それから家庭が崩壊するのは速かった。
 
 
 秋元は、五菱自動車直営のディーラーに出向してから自棄になって自堕落な生活を送るようになっていた。
 だが、生産工場に異動になった頃は、昔のようにデザインに取り組むようになったので、不安はあったが、一安心もしたのだった。
 しかし、それも半年ほどしか続かなかった。
 今は、ディーラーに出向していた頃より悪化している。
 毎日、酒を飲み、パチンコで帰宅も遅い。
 パチンコをしてくるときは、スーツに煙草の匂いが染みついて、遥は顔を(しか)めるのだった。
 そのうえ、時々香水の匂いがすることもあった。
 秋元が家にいる時は、いつもソファーに寝そべっているばかりだ。

 秋元には、もはや若い頃の面影は無かった。
 でっぷりと太り、顔は脂ぎって、目は死んだ魚のようだ、と遥は嫌悪した。
 
 (この男は、何なの! これじゃぁ40をとっくに過ぎた中年のオヤジじゃないの!・・・)

 その夜から、遥は、夫婦の夜の営みを拒否するようになり、夫婦仲は破局へ確実に進んで行った。

 秋元は、会社での自分の立場が、無くなっていく状況の中で、もがき苦しんでいた。
 自分自身に責任があることも自覚していた。
 だが、自意識とプライドが高いだけでは何も解決しなかった。
 若い頃からもてはやされることが当然のような境遇にいて、順風満帆だった秋元は、困難な状況で己を律し、努力をすると云う事が出来なかった。
 自業自得でもあったが、秋元にとっては、家庭も決して癒しの場所では無かった。

 毎週欠かさず、エステに通う妻の遥を見て、秋元は、自身の美容こそが妻の最大の関心事ではないかとさえ思うことがあった。
 仕事の愚痴をこぼそうとすると、あからさまに嫌な顔をされ、
 
 「仕事を家に持ち込まないで」
 
 と、言われるだけであった。

 今の秋元にとっては、酒とパチンコと女が生き甲斐になっていた。

 遥が、夫婦生活を拒否するようになって、半年が過ぎた頃、遥の代理人を名乗る弁護士が秋元に面会を求めてきた。
 遥の弁護士は、遥が雇った探偵の調査報告書を持参して、秋元に見せた。

 報告書は、遥が、探偵を雇って半年に亘り、秋元を尾行し、その素行を調べたものだった。
 秋元は、半年の間に、二度ソープに通い、二回キャバクラの女性とラブホテルに入っていた。
 そればかりでなく、出会い系サイトで知り合った一般の女性とも三回ラブホテルに入っていたのだ。
 その女性は既婚者だった。
 

 弁護士は、遥と打ち合わせた離婚の条件を秋元に提示し、協議離婚に応ずるか、それとも調停から裁判へと進むかと問うた。
 秋元は、弁護士から提示された条件をほぼ呑む形で離婚に応じた。


■■■

 
 遥は、3年前の拓馬が載っている雑誌をパラパラと見た後、ごみ袋に捨てると、再び引っ越しの準備を始めた。
 今は、荷造りを終えること以外、何にも興味が無かった。
 
 雑誌を見た時も、拓馬と結婚していたら良かったのではという気持ちは全くなかった。
 もし、拓馬と結婚していたら20代の一番綺麗な時に、エステも出来なかったろう。そんな生活は真っ平ごめんだ。
 そう思うと、今の美貌を維持できた秋元との結婚の方がやはりましだと思うのだった。

 秋元からは、不貞による離婚の相場としては、弁護士によると十分過ぎる慰謝料を受け取ることで合意した。
 二人の子どもの養育費も、子どもが22才になる前に就職した場合は、そこで打ち切りになるが、就職しなかった場合は、大卒年齢の22才になるまで毎月受け取ることで話がついた。

 
 遥たちが離婚することを、それぞれの親に報告した時は、双方の両親が駆けつけて来た。
 その時、秋元の母親は、目を吊り上げ、
 
 「遥さん!、これはいったいどういう!・・」
 
 と言いかけたが、遥はその母親の言葉を遮るように母親の前に探偵の調査報告書を置いた。
 秋元の両親は、その調査報告書の内容を読むと、顔面蒼白となった。

 遥は、結婚する時、秋元の母親から、

「秋元家とお宅の実家では家風も違いますけど、生まれてくる赤ちゃんに罪はありませんからね」

 と、言われたことがあった。
 前後の会話の内容から、----家柄の良い秋元家に比べて、高利貸しの田島家では釣り合わないが、生まれてくる子には罪は無いから、気乗りはしないが、この縁談は承諾するしかないわね----と言われたのと同じであった。

 遥にとっては屈辱そのものであり、忘れられない言葉だった。
 蒼褪(あおざ)めてうなだれる秋元の母親を見て、遥は、

 (何が罪? 何が家風? 家柄自慢のお前の息子を見てみろ! これでも同じことが言えるのか!)
 
 と、内心声を出して罵りたかったのだが、ただ呆然とする母親と違い、秋元の父親は、遥と遥の両親の前に土下座をして、息子の不始末を謝ったので、遥も少しは留飲を下げたのだった。


 遥は、離婚して旧姓の田島に復した。
 二人の子どもも田島姓になり、3人は、遥の実家で暮らすことになった。

 その後、遥は何人かの男と付き合った。
 だが、男女の関係にはなっても、真剣な交際にまで至ることはなかった。
 恋が終わるたびに遥は、常に相手の非をあげつらい、自己を正当化するのだった。
 最後には、
 
 (こんなに魅力的な私を、本気で愛さない男は馬鹿ね)
 
 と、思うのだったが、遥自身が、本気で誰かを愛したことは一生のうちで一度も無かった。
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