第18話  昇進

文字数 2,429文字

----- 時は少し遡り、退院した頃 -----

 俺は、同僚や上司の冷たい視線を覚悟して、退院後初の出勤をした。

 「皆さん、おはようございます。長い間ご迷惑をおかけしてすみませんでした」

 俺は、深々と頭を下げた。

 「おはようございます! 身体はもう大丈夫なんですか? 」

 「退院おめでとうございます! 常務から聞きました。事故で全身骨折だったんでしょう? 本当に大丈夫ですか? 」

 「お見舞いにも行けなくてすみませんでした。常務からしばらくの間、面会はできない。代わりに社長と俺がいくからと、病院も教えてもらえなかったんです・・・」

 「退院おめでとう。お前が復帰できて良かったよ。快気祝いをしないとな。なあ、みんな! 山科、もう酒はいいのか? 」

 「あぁ、もうすっかりいいよ」

 昔から俺を知る者たちは、皆驚いたような安心したような温かい感情を向けて話しかけてくれた。
 もちろん、冷ややかな視線を向ける者もいた。

 俺「おはようございます」

 「・・おはよう」「・・おはようございます」

 俺「係長、おはようございます。長い間すみませんでした」
 「主任、おはようございます。ご迷惑をかけ、すみませんでした」

 「たとえ怪我でもノルマはあるからな、今日から気合い入れろよ」

 「まったく、主任の俺に一番しわ寄せが来たんですよ。今日から挽回してくださいよ」

 大卒で入社し、早々と拓馬を抜いて出世し、さらに出世を約束された者たちだ。


 元々俺たちの会社は、ある中堅製薬会社の子会社だった。
 ところが、その親会社は10年前、大手の同業他社に買収された。
 その時、旧親会社で営業部の部長と課長だった末田と沼田の二人が、俺たちの会社に社長と常務として出向してきた。

 二人は当初、左遷されたと憤慨していた。
 ところが、そのうち、親会社に咎められるような事でもしない限り、この会社を自分たちの思い通りに出来ることに快感を覚え、それからは好き放題に権力を振り回すようになった。

 また、二人は同じ大学の先輩、後輩の関係だった。
 俺が、入社した翌年からは、二人と同じ大学の学生を優先的に採用するようになった。
 係長も主任もこの二人と同じ大学だ。

 ちなみに、俺たちは社長と常務のことを初めの頃は〔 二卵性双生児 〕と呼んでいた。
 二人は考え方がよく似ており、いつも仲良くつるんでいるからだ。
 しかし、すぐに二人のあだ名は〔迷コンビ〕に変わった。
 もっとも当人たちは〔名コンビ〕と勘違いして気をよくしているが。


 「課長、おはようございます。長い間ご迷惑をおかけし、すみませんでした。今日からまた一生懸命頑張ります」

 「おはよう、退院おめでとう。元気そうだが、あまり無理はするなよ」

 そして、俺にだけ聞こえる小さな声で、

 「ノルマなんか気にするな。体を大事にしろよ」

 中島課長は、俺と同じ高卒だ。
 俺に営業のイロハを教えてくれた恩人だ。
 営業の実力は、会社の中で随一だ。
 人格的にも尊敬できる人だ。
 会社の業務全般に詳しく、経営者としても十分な能力を持っている人だと、今の俺には、はっきり分かる。
 だが、課長は二週間後に60才の定年を迎える。惜しいことだ。
 それ以上に、中島課長との別れは悲しく寂しい。

 そんなやり取りの中で、常務がひょっこり部屋にやって来た。
 常務は、業務上の指示を各部長の頭越しに、各課長に直接指示をする事が度々ある。
 中島課長は、その事を部長にきちんと報告し、承諾を得たうえで仕事に取りかかるのだが、頭越しに指示を出される部長としては、不愉快な気持ちになることも多いだろう。

 常務は、係長や主任にまで直接指示することもある。
 そんなとき、彼らは課長の了承を得ることなく、指示を受けた仕事に嬉々として取りかかるのだ。
 彼らは、自分たちが常務、ひいては社長から特別に目をかけられていると思っている。
 それは勘違いだ。

 社長や常務にとって、自分たち以外の部下は全て横一線の平の駒に過ぎない。
 係長や主任が、部長や課長になっても同じ事をされるだろう。

 しばらくして、課長との話が終わった常務が、部屋から出て行こうとした時、偶然俺と目が合った。
 常務は、俺には気付かない素振りでさっさと出て行ったが、

 ⦅今日から出勤なのか・・ どうせ大した怪我でもないのに大袈裟に騒いで入院し、代表に上手く取り入ろうとしたのだろう。会社が大変なときにふざけた奴だ。とんだ穀つぶしが!⦆

 と、内心毒づいていたのが、俺には筒抜けだった。


 〔迷コンビ〕の会社運営は、組織のヒエラルキーの利点を生かすことなく行われた。
 出される指示が独善的であり、業績に反映されることもあまり無く、かえって本来の業務に支障を来たすほどであった。
 また、意見具申する者は容赦なく切り捨てられたので、有益な進言も日の目を見ることは無かった。
 結果、発展性に乏しい非効率な会社運営となり、それはじわじわと会社の業績にも影響を与えていった。
 会社の業績が低下すると、焦ったコンビはさらに指示を乱発し、業績はさらに低下すると云う悪循環に陥っていた。


 社長と常務は、拓馬が龍馬君を助けて入院したことを皆には内緒にしていた。
 ただ、交通事故で入院したとだけ伝えて、面会謝絶だからと病院名も明かさなかった。
 代表に取り入ることが出来るかもしれない美味しい話は、他人には教えたくなかったからだ。
 たとえ、自分たちの会社の社員でも拓馬の見舞いにかこつけて、先を越されるかもしれないと考えたからだ。
 全く馬鹿馬鹿しいことだが、彼らは自分たちがそれをやってきたから他人もやるだろうと本気で考えていた。
 だが、事件が一段落して拓馬も退院すると、今度は自分たちが五菱の山崎代表に会ったことを自慢したくなり、やがて会社の皆が知ることになった。


 二週間後、廊下の掲示板に人事異動の紙が貼られた。

【 山科拓馬を営業課長に命ずる 】

 拓馬にとって晴天の霹靂(へきれき)だった。
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