第97話  暴漢~帰省

文字数 3,042文字

 ----2020年1月10日(金)----

 明子は、家路を急いでいた。
 この日は、休暇を取っていたのだ。
 理由は、いくつかある。
 まず、母と祖母に拓馬のことを報告したかった。
 そして、1月生まれの母、三和子の誕生日がもうすぐだった。
 母の誕生祝いをし、同時に2月生まれの明子の誕生祝いもしてもらうことになっている。
 明子の誕生日は、2月初めだからだ。
 それに、10日は、弥一郎が出張で京都に来ているのだが、明日には帰ってしまう。
 親子三人で過ごせるのはとても貴重だ。
 明子は、朝から準備をしていたのだが、母の誕生祝いのプレゼントを買うのに時間がかかってしまった。
 母だけではなく、祖母や父の分も買った。
 それだけでなく、置屋にいる仕込みさんや舞妓、芸妓の分まで買っているとさらに時間がかかったのだった。

 JR京都駅に着いた時、外は、すっかり暗くなり、夜になっていた。
 明子は、勿体ないからとタクシーではなく、いつもの習慣で市営バスに慌てて乗り込んだのだった。
 タクシーに乗っていれば、何事もなかったのだが、気が()くあまり、冷静に判断出来なかったのかもしれない。
 バス停を降りて、お土産を詰め込んだ大きな荷物を載せたキャリーバッグを引いた明子は、近道を行くことに決めた。
 しばらく歩くと神社の前に出た。

 明子の実家、置屋「丸の家」の前には、道を挟んで神社がある。
 丸の家は、神社の裏手にあった。
 さほど大きな神社ではないが、境内は、細長く、(もり)は、鬱蒼としている。
 そのため夜になると境内の参道は、驚くほど暗く、人通りはない。
 昼はよいのだが、夜実家に帰るときは、神社を避けて大回りすることになる。
 しかし、この夜、明子は、早く家に帰りたい気持ちが強かった。
 鳥居を(くぐ)って急いで参道を通り、本殿の裏に回れば直ぐに道に出ることが出来、道を渡れば目の前が丸の家だ。
 明子は、意を決すると境内に足を踏み入れた。
 ここでも、明子は判断を誤った。
 一言、家に電話をすればよかったのだ。


 境内に入って、20mほどの参道の横に手水舎(ちょうずや)がある。
 その手水舎で水を飲んでいる四人の男がいた。
 彼らは、四人ともたまたま昨年の春に中国から来日し、大阪で同じ日本語学校に通いながら、同じ飲食店で働いていた。
 中国での四人の出身地は違っていたが、四人とも似たような性格、考えであったため、類は友を呼ぶの(たと)えどおり気が合い、いつの間にか四人で(つる)むようになった。

 彼らが通う日本語学校は、実は、学校法人の認可を受けた(れっき)とした大学であった。
 だが、生徒の殆どが日本語が話せない中国人であり、そのような中国人で学校は存続していると言っても過言では無かった。
 そのため、授業内容は、日本語学校のそれであり、大学とは名ばかりであった。
 やがて四人は、大学の授業は殆ど受けなくなり、飲食店での仕事がメインになっていった。
 仕事が終わると、四人は繁華街や歓楽街を彷徨するようになり、他の従業員や日本人とは交わろうとしなかった。
 勤める飲食店での勤務態度にも問題があり、店側も苦り切っていた。

 そんな時、彼らが勤める飲食店で、徐々に広がりを見せていた武漢肺炎が集団発生し、店は臨時休業となったのだ。
 四人はすぐに雇止(やといど)めとなった。
 四人は、他の店で働こうとしたのだが、彼らの評判の悪さは飲食店の間で広まっており、どこも雇おうとはしなかった。
 さらに、武漢肺炎が中国発であったため、飲食店ばかりではなく、他の業種のどこも中国人の採用はしなくなっていた。

 四人は、中国の実家とネットで連絡を取っていたが、そのうち中国では都市封鎖が行われ、出入国も禁止になるかもしれないとの情報を得た。
 四人の所持金も底をつき始めていた。
 いずれ日本も出入国が難しくなるかもしれない、このまま無収入のままでは生活も出来なくなる。
 彼らは、帰国することにした。
 帰国の前に彼らは、京都見物をすることにした。
 京都は初めてだった。
 大阪とは違う京都の佇まいに四人は、魅了された。
 気が付けば、今夜の食事代どころか宿泊代まで使ってしまっていた。
 懐にあるのは、明日の中国行きの飛行機のチケットと関西空港までの交通費だけだった。

 四人は、境内の手水舎で、空腹を満たすために冷たい水を飲んでいたが、沸々と怒りが込み上げていた。

 四人の日本に対する認識は、中華思想そのものであり誤ったものだった。
 本国では、中国は世界第二位の経済大国であり、やがて世界の覇権を握り、世界に君臨する国になると言われていた。
 日本についても、日本は、中国共産党との戦いに敗れた敗戦国であり、国土も狭く資源も無い国である。
 戦時中は、数々の蛮行を中国人に行った唾棄すべき民族である。
 戦後、アメリカの援助で少々経済的に成功はしたが、中国よりはるかに格下の劣等国である。
 と教えられ、日本のことは「小日本」、日本人を「日本鬼子」と蔑称で呼んでいた。

 彼らは、俺たちが小日本に行けば、日本鬼子相手に楽に稼げるだろう、と何の根拠も無く考えていた。
 ところが、来日してみると想像とは全く違っていた。
 中国の大都市には、高層ビルが立ち並び、高級外車に乗って闊歩する人間が多くいるように見えるが、それらは共産党か共産党と何らかの繋がりのある人間であり、多くの人民は、貧しい暮らしに喘いでいる。
 大都市でも裏通りに入れば、昔と変わらない生活をしている人は多い。
 大都市から少し離れると、飲み水は綺麗な井戸水なら良い方で、電気でさえ満足に通っていないのだ。
 
 だが、日本人の貧富の格差は、表面上、中国ほど酷くはない。
 四人には、殆どの日本人が裕福に見えた。
 街の中は清潔で、人々は礼儀正しく規律があり、災害があれば助け合う。
 近代的なビルも多いが、歴史的な建造物も伝統も残っている。
 大阪の雑踏でさえ美しいのだ。
 彼らは、共産党に教えられたことは本当なのだろうかと思うようになっていた。

 だが、彼らの疑問は、的外れな怒りにすり替えられ、日本人に対して向けられる。
 
 武漢肺炎が問題になってきてはいたが、京都には観光客が多く、皆楽しそうに見物していた。
 外国人も多いが、もちろん日本人も多い。
 日本人たちは、皆にこにこと浮かれて、能天気に何の悩みも無いように見えた。
 四人も初めての京都の風物に興味を惹かれ、色々な所を廻ったのだが、各地で屈託のない日本人を見るにつけ、日本で上手くいかなかったのは、日本とあんな日本人たちの所為(せい)だと自らを省みない浅薄な怒りが湧き上がってくるのだった。

 なんで俺たちが、こんな所で冷たい水を飲んでいるんだ?・・なぜ、劣等民族の小日本のくせに皆幸せそうにしているのだ、日本鬼子の奴らは、俺たちを真っ先に解雇しやがった・・態度が悪いだと!、大中華民族の俺たちが、何故日本鬼子ごときに頭を下げなくてはいけないのだ!、経済的にも軍事的にも優位に立つ中国が、いずれ日本を属国にするだろう、その時は目に物見せてやる、吠え面をかくなよ・・・・

 自己本位な怒りに身を焦がしながらも、四人は、水を飲んだらさっさと京都を発ち、大阪へ戻るつもりだった。
 知り合いもいないこんな所で夜を明かしたら凍死するかもしれない。
 四人は、神社を出ようと思い、入り口に顔を向けた。
 その時、神社の入り口にある鳥居の外に、街灯の灯りに照らされて、大きな荷物を載せたキャリーバッグを引く若い女性の姿に四人は気が付いた。
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